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加藤和彦さんをしのぶ [音楽]

加藤和彦さんが亡くなられたと聞きました。

私の青春時代の70年代は北山修作詞、加藤和彦作曲の歌で埋め尽くされていました。
私が最初に虜になった曲は、「あの素晴らしい愛をもう一度」です。
(音声だけですが... 北山修の25歳のバースディーパーティーから)


この曲は、最近では音楽の教科書にも載っているそうで、若い人でも知っている人が多くてビックリしています。
この曲は、加藤和彦さんと福井ミカさんとの結婚のお祝いに北山修さんが詩を送り、それに曲をつけたものだと言われています。これは永遠に歌い継がれる名曲だと思います。

さて、加藤さんの原点と言えば、やはりザ・フォーク・クルセダーズです。これは「フォークの十字軍」という意味ですが、北山修さん、加藤和彦さん、端田宣彦さんの3人のグループでカッコ良かったです。北山、加藤のお二人はともに身長が180cm以上あり、それも憧れでしたね。当時は加藤さんはビートルズばりのマッシュルームカットでしたが、その頃のアルバムに北山さんは人の3倍くらい毛が多くて絶対にハゲない。加藤さんは危ない、と書かれており、そんな風に見えないのに...と思っていましたが、その通りになりましたね。(^^)
デビュー曲:帰ってきたヨッパライ


イムジン河」です。 


この「イムジン河」は、デビュー2曲目の発売予定でしたが、朝鮮総連から抗議を受けて急きょ発売中止となりました。抗議内容は、イムジン河の作者は朝鮮国内でも有名な大作家で、「帰ってきたヨッパライ」を歌っているようなふざけたグループに歌わせるわけには行かない、という内容だったと記憶しています。昔からあの国は横やりがすごかったんですね。
それで詩人の佐藤ハチロー氏に急いで作詞をお願いして、ホテルに缶詰めになって曲をつけたのが、「悲しくてやりきれない」です。

この時、曲のアイデアが湧かなかった加藤さんは、「イムジン河」のテープを逆回しにして流してその旋律からこの曲を作ったという逸話が残っています。「イムジン河」の発売中止のお陰でこの名曲が誕生したことを思えば、あの国に感謝すべきかも知れません。

フォーク・クルセダーズ解散後は、加藤さんは奥さんのミカさんをボーカルに高中正義さんやつのだひろさん(のちに高橋幸宏さん)、小原礼さん、後藤次利さんなどとサディスティック・ミカバンドを結成してフォークの世界からロックの世界へと行ってしまいました。その頃、私はフォークの世界に留まっていたので、その頃の加藤さんの活躍は、あまり見ていませんでしたが加藤さんのセンスの良い音楽、ファッションにはいつも注目していました。

サディスティックミカバンド  「塀までひとっとび


ミカバンドは、ミカさんとの離婚をきっかけにして解散し、その後、桐島かれんさん、最近では木村カエラさんをボーカルとして再結成されて活躍していました。
また、ザ・フォーク・クルセダーズをきたやまおさむさんと坂崎幸之助さんで再結成をしたこともありました。
まだまだお元気で、ますますの活躍を期待していたのですが、本当に残念です。

今日は、加藤さんの動画を見まくって過ごしたいと思います。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1

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