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合気道の達人の本「合気道人生」 塩田剛三著 を読む [格闘技]

合気道の達人、塩田剛三先生の本です。

合気道人生
みなさんは合気道と聞くとどんな印象を持っているでしょうか?
「護身術」、「関節をきめる」、「健康に良さそう」などの印象だと思います。私もそうでした。以前書いたように、私は大学時代に極真空手をやっていたため、「極真が一番」などという、ある意味梶原先生に洗脳された状態でした。ですので、大学の合気道部の演武を見ていても「あんなもの実戦には役に立たない」と小馬鹿にして見ていました。
(洗脳が解けた今考えるととても恥ずかしいです(^^))

そんな私が出あったのがこの塩田先生の本です。この本で私の合気道に対するイメージは180度変わってしまいました。そして、「これこそ本当の武道では?」と思い塩田先生の養神館に関する書物やビデオを買いまくり、一時は本気で入門しようと考えていました。塩田先生に関しては、まずはこの映像をご覧下さい。



「これはヤラセではないか?」と思う方も居るかと思いますが、この塩田先生に関しては、ニセモノだという評判はほとんどありません。
最近、何かと話題になっているライターの小島一志氏ですが、私は結構好きで読んでいます。氏も極真空手をやっていたこともあり、氏の視点からみた格闘技論には共感を持っていますし、かなり信頼性が高いと思っています。
氏の書いた塩田先生に関する記述です。
応接室で会った塩田は、どこにでもいる老人という趣だった。(中略)
「これが達人といわれる塩田剛三か? やっぱり・・・・」(中略)
塩田は道着を身にまとって現れた。その姿は、さっきの塩田ではなかった。五体から濛々と立ち上がる殺気、オーラを背負ったような神々しさ、そんな超人的な空気を漂わせている男は、私の知る限り、大山倍達と芦原英幸以外いなかった。
そして、私のところにくると突然、弟子がもっていた木刀を取り、私に突き出した。「どこからでもいいから、これで私を打ってきなさい。遠慮する必要はありません」というのである。私は塩田の威圧感に、完全に飲まれてしまった。正直いって私は、私のもとに歩みを進める塩田の存在を見て、ただそれだけで震えあがってしまった。(中略)
私は塩田に勧められるまま、木刀を手にして無我夢中で打ちまっくった。最初は手加減していたが、木刀の先には、さっきいたはずの塩田の姿がないのだ。次第に熱を帯びて、私は本気で塩田に向かったいった。
ところが塩田は木刀を紙一重でかわしてしまう。かわした直後、私の視界から姿を消してしまうのである。(中略)気が付いた瞬間、塩田の手刀が私の喉元にあるのである。(中略)後ろから塩田の襟元、袖、帯などを掴みにいくと、掴んだ瞬間、私の腕に激痛が走り、体が宙に舞った。最後には、塩田の背中や肩に手を触れただけで、私の腕は曲がりそうになった――。(「新世紀格闘技論」より)

さて、その塩田先生の本ですが、合気道以外の話になると途端に軽いイメージになってしまいます。拓大を卒業した先生は、親交のあった陸軍大将畑俊六の部下となり、「支那派遣軍総司令秘書官」を任ぜられて満州から台湾、南方まで派遣されます。当然、海外でも合気道の厳しい稽古の話出るのかと思いきや、そこでの生活は「金とヒマをもてあます」と書かれているような内容で、芸者と遊んだなどの話がでてきます。「何だか武人にしては軽い人だな~」というのが正直な最初の印象でした。(笑)

しかし、この本をよく読んでいくと何となく裏が見えてきました。
いくら畑俊六大将と親しいからといって戦時中に軍人がそのようにヒマをもてあましていたはずはありません。
塩田先生の御尊父は小児科の名医と言われた塩田清一氏で、病院の仕事が終わると、ひっきりなしに家に来客があったそうです。その顔ぶれがスゴイです。陸軍関東軍司令官畑栄太郎、その実弟、畑俊六大将、東条英機(陸軍大将、首相)、南次郎(陸軍大将、朝鮮総督、貴族院議員)、宇垣一成(陸軍大臣、朝鮮総督、参議院議員)小磯国昭(陸軍大将、首相)、加藤友三郎(海軍大将、首相)、清浦奎吾(内務大臣、首相)、後藤新平(満鉄初代総裁、内務大臣、東京市長)、頭山満(玄洋社総帥)、渋沢栄一(第一国立銀行頭取、実業家)、馬越恭平(大日本麦酒社長)、大倉喜八郎(大倉財閥創設者)などなど。

このような人脈を持っているということは、国事に関わる環境が揃っていたということです。そして、その塩田先生が、畑俊六大将の「支那派遣軍総司令秘書官」として満州に行ったのですから、これは「特務(スパイ)」活動を行ったとしか思えません。本場のイギリスでもそうですが、普通の人間はスパイにはなれません。きちんとした(信用のおける)人脈や絵描きや歌手、先生のような武道家など特殊な技能がなければ国の命運を左右する、そのような重要な仕事は任せられません。
スパイというと、「そんなの小説や漫画の世界でしょ?」という人がいると思いますが、現在でも日本以外では普通に行われていることですし、日本も日露戦争から第一次世界大戦までは活発に諜報活動を行っていました。みなさんも明石元二郎石光真清などの名前はご存知だと思います。

その目でこの本を見直すと、植芝道場の時代に、陸軍憲兵学校や陸軍戸山学校、大川周明の東亜経済調査局附属研究所(いわゆるスパイ養成機関)に出稽古に行っていたとの記載があります。これは出稽古という名目で特務に関する訓練を受けていた可能性が大きいと思います。

そして、このブログでも紹介したクマさんの「ケンカ道 その”究極の秘技”を探る」に以下のような記述がありました。
塩田先生):おじが陸軍大臣(畑俊六)をやっとったので、特に仕事はなかったんですが、中国に”調査”ということで渡ったんです。
クマさん):何の調査?
塩田先生):何の調査ですかなぁ(笑)。ただ金を使って遊んでただけですから(笑)。
塩田先生、クマさんが相手なので、リラックスして思わず本当のことを言ってしまったようですね。塩田先生の「しまった!」という舌打ちが聞こえてきそうです。(笑)

このクマさんの本には、上海のフランス租界の女郎屋での命がけのケンカの話がでてきます。

1人めが部屋に飛び込んできたから、そいつの顔をギザギザのビールで突いてねじったんですよ。そうしたらそいつはギャーと叫んで、目ん玉が飛び出て、顔の半分がぐちゃぐちゃになっちゃった。
こりゃいかん、危ないと思ってビール瓶を捨てると次に飛び込んできた奴が、中国人ですから中国拳法でもやっとったんでしょう、横蹴りで蹴ってきたんです。それでその足を手刀で叩いてやったら、足が折れてしまった。
その次にきた奴は殴りかかってきたので、合気道の技で四方投げという、腕の関節を逆にとる技で投げたら、腕がポキンと折れてしまった。なるほど、植芝先生の言ったことは本当だ、合気道ってのはよく効くわいと思いましたよ(笑)。

塩田先生の合気道は、このような命をかけた実戦で裏打ちされた武道なのだと思います。

最後にもう一つ画像を紹介します。


◆明日につなげる今日のアクション◆
本に書かれていることを鵜呑みにしないで必ず裏読みする


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このブログの目次です。
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塩田剛三直伝 合気道 呼吸力の鍛錬合気道修行―対すれば相和す写真詳解 合気道基本技全書塩田剛三の合気道―達人の技と心を伝える養神館 合気道入門 (MAN TO MAN BOOKS)合気道―はじめて合気道を志す人のために (ドゥスポーツシリーズ)塩田剛三の奥義伝承[DVD]英文版 合気道 - Dynamic Aikido

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コメント 2

RONRON

Simpleさん こんばんわ^^
YouTube見させて頂きました。
凄いですね合気道、私も護身術という認識でしたが、
この映像を見ると凄いと感じます。
実は、叔父が合気道の師範なんです。
小さいころ手首の取り方とか教えられてましたけど、
あまり真剣に聞いてませんでした^^;


by RONRON (2010-04-09 00:19) 

Simple

RONRONさん 毎度ありがとうございます。

植芝先生の時代の合気道は、一般の人は入門できなかったそうです。
(皇室や軍人などの推薦が必要だったと記憶しています)
柔道と違って道着を掴まないで投げるので、受け身ができないと危ないですよね。(^^)
叔父さんが合気道の師範とはうらやましいですね。私も習いたいです。
by Simple (2010-04-09 01:50) 

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