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スカG神話を作った男、生沢徹! ポルシェのノーズは旅館の浴衣だった! [モータースポーツ]

1980年代、私はモータースポーツに熱中していました。
特に私は往年の名レーサーである生沢徹さんの大ファンでした。早くから海外志向の強かった生沢さんは、本場ヨーロッパに単身乗り込みF2、F3で活躍しました。F2での最高位は2位で、これは中嶋悟さんが1982年に生沢さんとともにヨーロッパ遠征した時に実現するまでは、誰もなし得なかった快挙でした。

しかし、結局F1には行けずに日本に戻ってきて、本人曰く「趣味」でGC(富士グランチャン)に出場し、型遅れのマシンでGCのタイトルを取るなど活躍しました。 当時生沢さんは、抜群にスタートダッシュが良く、必ずと言っていいほど第一コーナーには1番で飛び込んでいました。しかし、なにせ乗っている車は年式遅れの戦闘力のない車です。そのうちに他の車に追いつかれてしまうのですが、そこはテクニックのある生沢さんです。巧みなコーナーワークで、なかなか他の車に抜かせなかったため生沢さんの車のあとに長い集団ができてしまいました。当時、これは「生沢スクール」呼ばれていたものです。(笑)

TeamIkuzawa.JPG

そんな生沢さんが選手を引退して「i&i」というチームを作る事になり、当時のTopチームであるヒーローズのNo.2ドライバーであった中島悟さんを引き抜きます。その時のNo.1ドライバーは「日本一早い男」星野一義さんでした。これは、ヨーロッパなどでは、ありふれた話ですが、当時の日本のレース界では大問題となりました。当時(確か1978年)のレース界は閉鎖的で仲間意識が強く、一匹狼であった生沢さんはアウトサイダー的な存在でした。しかも、その生沢さんが名門チームのNo.2ドライバーを引き抜いたのですから大変です。しかし、ヨーロッパ育ちの生沢さんにしてみれば、「何いってんのよ!」と言った所でどこ吹く風だったようです。そんな事もあり、生沢さんには「クール」、「ドライ」といった形容詞が付くようになりました。
1980年代後半、私は世田谷の深沢に住んでいましたが、桜新町駅に行く途中、246号線沿いのロイヤルホストの向かいに「Team Ikuzawa」のショップがあり、ちょくちょく通っていろいろなものを買ったりしていました。

JPSs.JPGさて、その生沢さんが、その昔日本グランプリに出て、ポルシェを抜いて「スカG神話」を作った時の話です。
現在はどうなのか良く知りませんが、私が車の運転を始めた頃「スカG」ことスカイラインGTの神話が確かにありました。その頃は、排ガスの50年規制という大きな技術的壁によって国産車は骨抜きの状態でした。その頃のスカGは、直6 2,000CC SOHCで確か120PS位しかありませんでした。その当時、国産車で唯一DOHCを搭載していたトヨタのセリカGTに「名ばかりのGTは道をあける」と馬鹿にされていたものでした。それにも関わらず、走り屋にとってスカGはある種のステイタスを有していました。

このスカG神話の始まりは、1964年の第2回日本GPまでさかのぼります。前年のGPで大敗を喫したプリンス(日産と合併前)は4気筒スカイラインに無理やり直6エンジンを搭載して必勝を期していました。ドライバーはエースの生沢さんでした。
当時、ドライバー達は生沢さんや式場氏のように画家や医者の息子達がほとんどでした。生沢さんや式場氏、ミッキー・カーチス氏、後の徳大寺有恒氏達は、毎日のようにホテルオークラの「カメリア」にたむろしていました。そこで式場氏がポルシェ904カレラGTSでGPに出る事が明らかになったから大変です。特に楽勝と考えていた生沢さんは、
「俺らが三菱ミニカで早いと威張っていたら、式場がマクラーレン・ホンダを持ち込んだ」
という位ショックを受けたそうです。その圧倒的な車の差を考えて、生沢さんは式場氏に
一周だけ、一周だけでいいから前を走らせてよ
と半分冗談で頼みました。
GPでは、トップに立った式場氏が2位の生沢さんを引き離しにかかる7周目、初心者マークを付けて欲しいほどのレベルの低い女性ドライバーを抜くのに手間取っていた式場ポルシェを横目に生沢スカイラインがヘアピンでインから抜き去りました。
ポルシェと違ってこっちは戦車みたいな車だからぶつかったって平気だからね
それから、生沢さんはバックミラーを一度も振り返らずに走りました。
「実はスプーンの立ち上がりで抜けた」 という式場氏ですが、生沢さんの「一周だけ」の言葉が頭にこびりついていたため、後に付いてメインスタンドに戻りました。その時、スタンドは全員総立ちで国産車(スカG)がポルシェを従えて走る姿を応援していました。ここに「スカG神話」が誕生したわけです。
ここで面白かったのが、予選でクラッシュした式場ポルシェを仲間達が徹夜で修理したそうですが、ミッキー・カーチス氏曰く
「カーボンファイバーが壊れた所に旅館の浴衣をギッてきてセメダインを塗って貼ったんだよ。当時はガムテープなんてなかったからね」
当時の最高峰のスポーツカーであったポルシェ904カレラGTSのノーズの部分が旅館の浴衣だったというのは最高ですね。(笑)

以下が、ソース画像です。(消されるかもしれませんので、文章として書いておきました)



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Simple

TBM さん

いつもNice! ありがとうございます。
格闘技の世界も震災の影響が大きいですね。

by Simple (2011-04-03 09:28) 

Simple

mo_co さん

いつもNice! ありがとうございます。
TAIKAN、何だかよさそうですね。息子に教えてあげようと思います。
by Simple (2011-04-03 15:12) 

Simple

ぼんぼちぼちぼち さん

Nice! ありがとうございます。
俳句(川柳でしょうか)と写真のコラボレーションが素晴らしいですね。
by Simple (2011-04-03 15:24) 

Simple

RONRON さん

Nice! ありがとうございます。
いつも温かい本の紹介ありがとうございます。
by Simple (2011-04-05 23:02) 

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