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合氣道の開祖 植芝盛平は弱かった? 中村天風と植芝盛平 氣の確立 藤平光一著 を読む [格闘技]


中村天風と植芝盛平 氣の確立
中村天風と植芝盛平 氣の確立  幻冬舎文庫
植芝盛平は合氣道の開祖として数々の武勇伝、オカルト的な逸話で神格化されていますが、そのような植芝盛平像を粉砕し正当な評価への第一歩となりそうなのが、藤平光一氏著の「氣の確立」です。
この本は、藤平氏が師事した植芝盛平と中村天風について書かれていますが、両方の師に後継者にと思われていたほどの著者にしか書けない事が多く書かれています。

若い方は中村天風のことはあまり知らないと思いますので少し説明します。天風は日本初のヨーガ行者で「心が身体を動かす」という思想の心身統一法教える天風会を作り、山本五十六、東郷平八郎、松下幸之助など多くの著名人が弟子入りしたことでも有名です。
天風は、16歳の時に頭山満の縁で、陸軍の軍事探偵(いわゆるスパイ)となって満州で大暴れして「人斬り天風」と呼ばれましたが、30歳で奔馬性結核を発病します。満州では死も恐れない活躍をしていた天風ですが、病魔によってじわじわと蝕まれる恐怖を感じ、それを克服するためにアメリカからヨーロッパを回ってその病気を治す方法を探ります。しかし、結局得られるものがなく帰国する途中のアレキサンドリア港の食堂で、ヨガの大哲学者カリアッパに邂逅して、そのまま3年間インドに滞在し、帰国する時には病気が治っていたそうです。

植芝盛平は、ご存じのように合氣道の開祖と言われており、このブログでも紹介した塩田剛三氏や藤平光一氏などの多くの弟子を育てました。盛平は、出口王仁三郎の大本教の熱心な信者であり、「鉄砲の弾をよける」、「瞬間移動できる」など、オカルト的な逸話が沢山ありました。また、王仁三郎とともに満州に渡り馬賊と戦うなどの実戦経験も豊富でした。
合氣道というと、現在では「女性でもできる護身術」という印象がありますが、藤平氏が入門した当時は一般人の入門は認められておらず、軍関係者など有力者の紹介状がなければ入門できなかったようです。それだけ危険な技も多く、本質的は本当の武術と言えるものだと思います。(現在は危険な技は使用しないでしょうが...)

この本の中で一番興味深かったのが、植芝盛平の武道的な開眼に関してです。
和歌山の田辺に講道館の道場がありそこを任されていた鈴木新吾氏の話です。植芝盛平が兵役を終えて大陸から帰ったあと、鈴木氏に入門して柔道を習っていたそうです。その鈴木氏曰く、
植芝先生は、私に入門したころは弱かったよね。いつかあなたくらいに強くなれるんだろうか、なんて私に聞いていたものね。
盛平が北海道の開拓時代に武田惣角に大東流柔術を習い、強さに一層の磨きがかかったというのが通説でしたが、
あのときもダメだったよね。大東流を習ってきたから負けない、なんて言いながら、やっぱり弱かったよね。あのときは、先生、1ヶ月寝込んだね。
盛平が鈴木氏を投げようと思った瞬間に爪先でポーンと飛ばされてしまい、腰を痛めて1ヶ月ほど寝込んだというのである。伝説では、戦争に行った時に敵が撃った銃弾の軌跡を見切ったり、北海道ではならず者たちを何人も叩き伏せたりさまざまな武勇伝が伝わっていますが、当時はそんな強さは無かったことになります。
でも、先生、大本に行って修行して帰ってきたときには強くなっていたね。あの時に強くなったんだね。
盛平は、大本教と出会ってから以前とは見違えるように強くなったと言うわけです。藤平氏は、
”だから先生は大本教からは生涯離れることができなかったし、一生涯、大本教の信者であった”と書いています。

そして、盛平は大本教でリラックス(自然体)の重要性を体得したため、弟子達に宗教的な訓話を多くしていたとの事ですが、重要なのは、それを会得するために大本教(宗教)は必須条件ではなかったということです。藤平氏や塩田剛三氏は盛平の弟子として、その強さを継承しましたが大本教の教えには疑問を持っていたそうです。
もう一つ面白かったのが、盛平が藤平氏に対して、
私が苦心して覚えたこと(リラックスが重要だということ)を、藤平のやつがみんな教えて歩く
と怒っていたそうです。

盛平は、道場ではリラックスしろとは教えずに「力を入れろ」と逆の事を教えていたそうです。そのため、盛平の言う事を忠実に守った人は強くなれずに、藤平氏や塩田氏のように師匠から技・極意を盗んだ人が達人となったわけですね。

藤平氏は、二人の師匠に関して、以下のように述べています。
植芝先生は死ぬ間際まで、私の悪口を言った。 (中略)
植芝先生とは逆に中村天風先生は、私の扱いにも氣をつかってくださり、どこへ行っても私のことをほめてくれていた。
だからどうだということではないし、植芝先生に恨み言をいうつもりも毛頭ない。
ただ、天風先生のほうが、やり方がスマートだったのだと思う。
藤平氏の植芝盛平に対する記載を紹介します。
・ただし、これははっきりと書いておくが、植芝先生はとにかく強かった。押しても突いてもびくともしない。鋼鉄のような感じで、なぜこれほどまでに強いのだろうかと、いくら考えてもわからないほど圧倒的に強かった。これは間違いのない事実である。
・とにかく無邪気で、いつでも先生の心はプラスの状態だった。また、いくら自分の弟子でも、面と向かっては文句を言えない氣のやさしい一面も持っていた。
ただ、合氣道の技の効果はともかく、理屈の面では最初からどこかおかしいのではないかと感じていた。合氣道の技の説明のはずなのに、いきなり大本教の話をされても、こちらとしてはとまどうだけだ。
伝説の達人たちには、いろいろと話に尾ひれが付きやすいものです。植芝盛平に関しても同様のようですね。
合氣道に興味のある方にはお勧めです。

塩田剛三氏の本に関してはこちらをどうぞ。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-08

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このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1


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Simple

tsworking さん

Nice! ありがとうございます。
私はウォーキングの時は、大きく前後に振るようにしていますが、みなさんそうでもないんですね。
by Simple (2011-12-11 18:49) 

Simple

mo_co さん

Nice! ありがとうございます。
昨日の月食は、寒かったので見るのを途中で断念しました。
by Simple (2011-12-11 18:52) 

Simple

TBM さん

Nice! ありがとうございます。
セレッソはまだ試合が残っていていいですね。
ぜひ勝ち上がって欲しいですね。
by Simple (2011-12-13 23:37) 

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