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真樹先生を悼む 実録・地上最強のカラテ 真樹日佐夫著を読む [真樹日佐夫]

真樹先生の訃報を聞きました。まだ71歳です。
TVで見ていてもまだまだお元気のようでしたので突然の訃報にはとても驚きました。大山先生が亡くなった時も突然だったので驚きましたが、大山先生が亡くなられたのも70歳と9カ月でした。何かの因縁を感じずにはいられません。

実録・地上最強のカラテ―ゴッドハンドの系譜〈下巻〉



jijyousaikyou.jpg真樹先生は、稀代の「ケンカ師」という顔と、極真会館の師範代までつとめた空手家としての顔があります。真樹先生の著書である「実録・地上最強のカラテ」から極真カラテとの関わりを中心に書いてみます。
「カラテ大戦争」が封切られたのは昭和53年春であり、その年の秋に私は極真会館総本部師範代を拝命。
館長室で大山より言いだされ、手に余るとの思いがあって、
「大変光栄ではありますが、いま、支部から手を引くというのはちょっと・・・・・」
手塩にかけてきた道場生たちのことを理由に辞退せんとした。ところが、
「支部長と掛け持ちすりゃいいさ。言っとくが、これは柳川の後押しもあってのことなんでね」
「柳川相談役の?」
極真会館相談役の一人として名を列ねる柳川次郎(のちの魏志と改名)は、かつて山口組傘下で、”殺しの軍団”の異名をとる柳川組を率いて世間を震撼せしめ、この柳川と大山がやはり義兄弟の間柄で、そうしたことから梶原と柳川の間にも俗にいう”回り兄弟”の関係が生じていた。
(実録・地上最強のカラテ下巻 P162)
このように、真樹先生、梶原一騎先生、大山館長は、義兄弟として蜜月の時代が続きましたが、ご存じのようにその関係もだんだんとギクシャクし始めてきました。
昭和54年、大山館長から真樹先生、梶原先生は築地のスエヒロでアントニオ猪木に関して相談を受けました。
異種格闘技路線というか、挑戦者はどの分野からでもよしってことで、そしてプロの空手家たちも何人か倒しはしたが、しかしそれだけで空手界にはもはや敵なしなどとされてしまっては----(中略) ひとつこの辺で極真としてはいつでも彼の前に立ちはだかることができるんだということは言って置きたく、それでこうして
これを受けて梶原先生はウィリー・ウィリアムスとの対戦を進めることになります。もと極真会館の師範代で、”鬼の黒崎”の異名をとる黒崎健時にウイリ―を預けて鍛え上げることになります。ところが、黒崎の特訓のおかげで強くなりすぎたウイリ―は、第二回世界大会を破竹の勢いで勝ち上がります。
これにより、「このままじゃ日本は勝てん。アメリカ勢に優勝を攫われる・・・・」と大山館長が呻くように言い、結局、ウイリ―に片八百長をさせることにして、日本の王座を守ることになります。
ウイリーに片八百長の反則負けを強いてまでも、大山としては王座の海外流出を防ぎ語ったのか。表彰式を終えて武道館を後にする私のの身も心も鉛のように重く感じられたが、帰途、梶原と立ち寄った銀座の酒場で彼の口から、それだけであるはずがなかろうと聞かされるに至って、内なる思いは千々に乱れたことであった。
「王座の海外流出を防ぐ、それは勿論だが、まあ半分だろうな」
「半分?というと、あとの半分は」(中略)
「極真の世界チャンピオンとなれば確かに集客力は増そうが、さりとてもしウイリーが猪木のブロレスに敗れてでもしてみい。言いだしっぺの大山は、それこそピエロになり下がる。違うか?」
「三位なら名誉もまあ損なわれずにすむわけか」
好物のバーボン・ソーダが常になくほろ苦く感じられた。(前出 P180 ~181)

maki1.JPGさらに大山館長は、昭和55年2月、ウイリー対アントニオ猪木戦の直前に、ウイリーの師匠である大山茂を無期禁足、ウイリーを破門処分とすることを発表しました。
「当方から挑戦状を叩きつけての他流試合が禁止されているにもかかわらず対アントニオ猪木戦を強行すること」が理由であるとの大山館長のコメントが出されました。当時の私は極真会館の支部道場生だったので、ウイリーの片八百長から破門処分までの一連の動きをリアルタイムで知っていましたので、それまで抱いていた大山館長への思いはどんどん醒めて行ったことを憶えています。
そして、大山館長、梶原先生の関係はさらに拗れていきます。
「ウイリー対猪木戦でもしウイリーが猪木に敗れた場合、会場の混乱に紛れて猪木を襲い、序に梶原、黒崎両名も袋叩きにせよ、という秘密指令が極真会館上層部より同館幹部の何人かに出されている」
という情報を真樹先生はある筋からもたらされます。
――大した波乱もなくてすんだが、この興行が大山と梶原、私を含めて義兄弟関係を裂く引き金となったことは動かせない。
それに拍車をかけたのが、少し後に生じた「添野・芦原事件」。
添野の事件を報じる記事が新聞に載ったのと前後して、芦原と大山の不和が決定的になった、ということが極真会館内部で囁かれだした。

そして、極真本部委員会の決定事項として、添野、芦原の除名と「この両名と私的交際を続けたものは、同様の処分を受ける」との通達が出されたそうです。それに対して真樹先生は、「この伝でいうならば、例えば身内の者が刑事責任を問われなどした場合、兄弟の関係にあったとしても二度と近づいてはならぬということになるではないか」と反発して、大山館長に対しても電話で話をしたそうです。しかし、
「それはまあ、真樹さんの言い分もわからないではないが、なんせ委員会での決定事項だから・・・」
というような反応だったそうです。そして、この委員会の決定を無視し続けたことに対して、腹を立てた門下の若手過激分子たちが、刺してやると息巻き、十人ばかりで特攻隊を編成したという物騒な情報が入ることになります。それに対して、真樹先生は腹を立てて、
はねっ返るのもいい加減にしろ。おまえたち若手が拠って在る極真会館を今日あらしめたのは、近いところでは添野であり、芦原である。彼らの骨惜しみない献身があればこそ極真会館はここまで規模をひろげることができた、このことは動かせない。そうした事実も忘れ、交遊を絶やさないというだけの理由で、こともあろうに特攻隊とは・・・(中略)
当時、私はこの記事を真樹先生発行の「現代カラテマガジン」で読みましたが、何がどうなっているのかさっぱり分かりませんでしたが、この本を読むとこの若手(内弟子と思われる)は、大山館長の意向で動かされていることが分かります。

このように真樹先生の本部師範代就任からウイリー対猪木戦、添野・芦原除名事件などを時系列で振り返ってみると、私の大山館長や極真会館への熱い思いが一気に醒めていく過程がフラッシュバックしてきます。

今夜は真樹先生を偲んで手元にある先生の本を読みかえそうと思います。
押忍!

それ以外の真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹先生の大山館長への思いを書いた「大山倍達との日々」 
【お勧め】
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その2

大山倍達については、以下もご覧ください。
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1

真樹日佐夫の百花繚乱交遊録ああ五十年身に余る―真樹日佐夫ワル自伝史上最強の69すてごろ懺悔―あばよ、青春兄貴―梶原一騎の夢の残骸 (ちくま文庫)格闘家は女々しい奴が9割



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Simple

SORI さん

Nice! ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
機内持ち込みはいろいろとうるさいんですね。
by Simple (2012-01-04 14:33) 

Simple

mo_co さん

Nice! ありがとうございます。
ipad2私も欲しいです。(笑)
by Simple (2012-01-04 14:34) 

TBM

私も真樹先生の本を読んでみようと思います。
by TBM (2012-01-04 19:19) 

Simple

TBM さん

Nice! ありがとうございます。
真樹先生にはもっと元気でいて欲しかったですね。
by Simple (2012-01-04 22:14) 

Simple

tsworking さん

Nice! ありがとうございます。
本当に最近は朝や夜が寒いですね。
ビタミンCを飲んでカゼ予防してます。
by Simple (2012-01-06 21:53) 

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