SSブログ

世界遺産の平泉の金色堂! 漫画 「奥州藤原四代」 横山まさみち著を読む。 [東北]


奥州藤原四代(1)
前回に引き続き、横山まさみち氏の歴史マンガシリーズです。
今回は、世界遺産になった平泉に黄金の浄土を再現した藤原氏四代の話です。

今回は、私の好きな平泉の話ですので少しは知識があります。(^^)
日本史の教科書には、平泉の中尊寺金色堂は写真付きで必ず載っています。そして、金色堂には藤原三代のミイラが埋葬されていることも書かれていましたね。しかし、なぜ忽然と東北の平泉に藤原氏が黄金の文化を築いたのかは、教科書を読んだだけではまったく分からないと思います。私も「前九年の役」や「後三年の役」など、語句としては覚えはしましたが、まったく内容は知りませんでした。

奥州藤原四代(2)奥州藤原氏の初代清衡の父である亘理権大夫(わたりのごんのたいふ)である藤原経清(つねきよ)は、平将門追討の功や百足退治の伝説で有名な藤原秀郷の子孫を称していました。
その当時の東北地方に住んでいる人たちは、蝦夷(えみし)や俘囚(ふしゅう)と呼ばれ、中央の貴族たちからは、蔑まれていました。当時の蝦夷の反乱を平定するために京都から送られたのが、「征夷大将軍」で、坂上田村麻呂が有名です。
中央からの出先機関としては、多賀城(現在の仙台の北)がありました。そこに派遣された国府軍がその北にある陸奥国、出羽国を管理していました。その当時、陸奥国の奥六郡(岩手、志和、稗貫、和賀、江刺、胆沢)は、俘囚の安倍一族が支配しており、豊富な黄金、駿馬を持ち一大勢力となっていました。藤原経清はその安倍一族の娘と結婚し、関係を深めます。

奥州藤原四代(3)【前九年の役】(安倍一族が滅亡)
・1051年、源頼義が陸奥鎮守府将軍となり、子である源義家(八幡太郎)と安倍一族の豊富な財宝を手に入れるため、大軍を率いて安倍氏を攻めます。
・藤原経清は、当初政府軍に従っていましたが、身の危険を感じて安倍一族側に加わります。これによって、安倍一族側が優勢となり、退却した将軍は僅か六騎で多賀城に逃げ帰ります。
・政府軍は策を練り、同じ蝦夷である出羽の清原一族を味方に付けることで勝利し、安部一族を滅ぼしました。藤原経清もとらえられ、恨みを持っていた源頼義は、わざと鈍刀でじわじわと首を切り、苦しめながら殺しました。
・経清には妻(安倍一族)との間に清衡が生れていましたが、経清が斬首された後、清原一族の武則が経清の妻と清衡親子を貰い受けたことで清衡は生き残ることができました。

【後三年の役】(清原一族が滅亡)
・清原武則の子となった清衡ですが、前妻の子である真衡、同じ母の子である家衡に挟まれて忍従の日々を過ごします。
・武則の死後、兄の真衡が清原一族を継ぎ、鎮守府将軍となります。そして、八幡太郎義家が陸奥守になり多賀城に赴任し、この地に源氏の基盤を築こうと狙っていました。
・1083年、真衡は、ささいな事がらをきっかけとして家衡、清衡を攻め落とそうと兵を挙げました。真衡は八幡太郎義家に援軍を依頼しますが、清衡は義家には戦う意志が無いことを示し、結局義家の介入で和解することになります。
・和解に納得しない真衡は、再度軍を進めますが突然亡くなります。(原因不明)
・その後、義家の領地分配に不満を持つ弟の家衡が清衡の館を急襲しますが、清衡は何とか逃げ出して助かります。その報を聞いた義家は、自分の調停に対する反乱と考え、清衡とともに家衡を攻め込み苦戦の末、1087年に家衡を打ちとり、清原一族は滅亡します。
・これで奥州を手に入れたと考えた義家ですが、朝廷はこの戦を清原一族の内紛に介入した「私闘」であると判断して、義家には何の恩賞も与えずに陸奥守を解任して京に戻しました。

この源義家の無念が源氏の宿意となり、義家は子孫に「我より七代目の子孫は必ず天下を取れ」との置文を残したことで、その子孫である足利尊氏が室町幕府を開く遠因となります。その前に源頼朝が朝廷の命令なしに源義経を匿った事を理由として平泉を攻め滅ぼしたことも、この義家の宿意が原因と言われています。(源氏の源頼朝が天下を取ったのですから、「我より七代目の・・・」は、もう良いような気がしますが...(^^))

さて、後三年の役の後、奥州の支配者となった藤原清衡は、前九年の役、後三年の役で夥しい数の兵士の命が亡くなったことを悲しみ、平泉に浄土の世界を作ろうと考えて、清衡が中尊寺、二代基衡が毛越寺、三代秀衡が無量光院が建立しました。

三代、100年に渡って栄華を誇った平泉も、秀衡の死後、10万とも言われる源頼朝の大軍勢によって滅ぼされてしまいます。この時、義経は平泉で死なず北に逃れ北海道に渡ったという伝説もありますが、これは井沢元彦氏の説でほぼ消えたと思います。このブログでも紹介しましたので、義経と金色堂に興味がある方は、そちらもご覧ください。(「義経は平泉で死んだ? 義経はここにいる 井沢元彦著 を読む」http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-01-01

平泉、藤原四代に興味がある方にはお勧めの本です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
ブログランキングに参加しています。記事が気にいったらクリックをお願いします。
人気ブログランキングへ



nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。