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「日本はキリスト教国家だった! 封印された日本史」 著 を読む2 [宗教について]

封印された日本史~日本はキリスト教国家だった!今回は、日本とキリスト教に関する本です。

この本の主張は、「日本にはザビエルが来るずっと前からキリスト教が伝わっていた」ということです。

著者のケン・ジョセフ氏は1957年東京生まれ。18歳まで日本で育つ。米カリフォルニア州バイオラ大学卒。先祖はアッシリアとのこと。日本の古代史研究家、秦氏研究家、景教研究家で千葉大学准教授です。

ジョセフ氏のお父さんは宣教師で大東亜戦争終戦後、マッカーサー元帥が米国民に日本の復興を助けるため1万人がボランティアで日本に来て欲しいという呼び掛けに応じて来日したそうです。
ジョセフ氏の先祖の地である中東のアッシリアという国は現在はありませんが、現在のイラクやイラン辺りの地域にあったと言われています。エデンの園、バベルの塔、ノアの箱舟が漂着したアララト山もアッシリアにあったと言われています。

ジョセフ氏は、古代アッシリアの時代から中国とは交易を行っており、漢の武帝の時代に大月氏の国(現在のアフガニスタン)に使者を送ったという記録があるそうです。つまり、古代から中近東と中国は、シルクロードを通してかなりの交流があり、中国にもキリスト教(景教)が伝わっていたということです。そして、そのシルクロードの終着点が私たちの住んでいる日本ですので、当然日本にも伝わっていたというのがその主張です。

現在の通説では、16世紀にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが初めて日本にキリスト教を伝えたことになっています。しかし、ザビエルは日本に行く前にマラッカで日本人弥次郎に会い、日本の宗教、風習についてヒアリングしていたそうです。その時に、日本の仏教は基督教に似ており、混合していると気づいたそうです。そして、「福音はすでに日本において語られていると思われます。しかしその光は、今は彼らの罪と、異なる教えとによって、薄暗いものとなってしまっています。」とヨーロッパに手紙で伝えたそうです。

確かに、日本史をひも解いてみると、聖徳太子(厩戸皇子)が厩の前で生れたとか光明皇后の1,000人の垢すりの逸話も明らかにキリスト教(聖書)の影響があると思います。

ジョセフ氏は、景教以前に秦氏の渡来によって、古代キリスト教が日本にもたらされたと考えています。秦氏は応神天王14年(283年)に中央アジア弓月国の王が、約2万人という大集団を率いて渡来したと言われています。当時の日本の人口を考えると2万人は、かなりインパクトのある数だと思います。
秦氏は兵庫県赤穂市坂越に上陸したと言われています。秦氏は、京都の太秦を本拠地にして広隆寺を建立しましたが、これも仏教の寺ではなく古代キリスト教の教会だったと言います。江戸時代においても、儒学者太田錦城の「寺と名はついているが、仏教の寺ではない」という記述が残っているそうです。
また、後に造られた平安京は秦氏が造ったと主張しています。現在考えると、集団で渡来してきた秦氏が、どうして日本の中心である京都に土地をもらえたんだろうと疑問に思いますが、これは逆で秦氏が渡来した当時の日本の中心は河内周辺です。ですので、9世紀に秦氏が自分達の住んでいた土地に平安京を作ったということのようです。飛鳥時代以降は、奈良や京都は渡来人の新興住宅地だったそうで、当時の奈良の南部の住民の80%、京都の70~80%が渡来人、帰化人であったと言われているそうです。

ジョセフ氏は強く主張します。
・中近東、中央アジア、東アジアから多くの人がシルクロードを通って日本にやって来ている。
・奈良、京都はシルクロードの終着点である。
・シルクロードから日本にやって来た時、古代キリスト教や景教も一緒に伝来してきたはずで、その時に古代キリスト教や景教だけ中国や朝鮮半島に置いてきたはずがない。

その他、興味深い点をいくつか紹介します。
●茶道について
・茶道は、キリスト教の聖餐会である。
・キリシタン迫害時代に、茶室で「聖餐式」を行っていた。
⇒千利休の弟子たち「利休七哲」は高山右近などのキリシタン大名が多かった。
これに関しては、ジョセフ氏が、京都の裏千家の本部で確認したそうです。その時のコメントは、「 裏千家としては、そうは思っておりません。でも、家元がそう思っていらっしゃることは、事実です」とのことです。
もしこれが本当だとすると、秀吉は茶道の奨励を通してキリスト教を各地に広めたことになりますね。

●聖徳太子について
・聖徳太子が建立した四天王寺に「四箇院」(敬田院、施薬院、療病院、悲田院)という福祉施設が付随していた。このようなものは、他の仏教施設にはないものである。
⇒ これはキリスト教の思想によるものである。

●キリストの墓について
・このブログで紹介した青森県新郷村(旧戸来村)の「キリストの墓」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15)に関して、ジョセフ氏は、何日か滞在して調査したそうです。そして、キリストの墓の土地の持ち主にしつこく聞いて、以下の事実を聞き出したそうです。
昔その地方には渡来人の墓があったとのことでした。7つあったといいます。それらにさわると、バチがあたると言い伝えられていました。しかし戦前に、おばあさんがその墓を開けたそうです。そして中にある物を持ち出した。そのあと、いろいろあったみたいですけれども、やがて憲兵が来て、それらの墓を全部、大阪に持っていってしまったというのです。墓は、どうも基督教系の渡来人のものだったようです
現在、日本人は神道や仏教を信仰しているにもかかわらず、クリスマスを祝い、教会で結婚式を行い、バレンタインにチョコを送り、ハロウィンの仮装に興じています。普通に考えると節操がないとなりますが、この本に書いてあるように太古の昔から古代キリスト教に慣れ親しんできたからだと考えると何となく納得できますね。(^^)

日本の歴史に興味がある方にはぜひ読んで欲しいお勧めの一冊です。

このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
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