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宗達は本当に琳派か? 俵屋宗達 琳派の祖の真実 古田亮著 を読む [美術]


俵屋宗達 琳派の祖の真実 (平凡社新書)

琳派の人気はすごいものがあります。最近でいうと2008年に『尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展-継承と変奏-」』という展覧会が東京国立博物館で開催されて20万人以上の方が見に行ったそうです。
この展覧会は、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の描いた4つの「風神雷神図」を一度に見られるということで評判になりました。私も行きましたが、宗達や光琳の風神雷神図には圧倒されました。

さて、この本の著者の古田亮氏は、1964年東京生まれ、1993年に東京国立博物館研究員、1998年東京国立近代美術館の主任研究官を経て、2006年から東京藝術大学大学美術館の助教授に就き、現在准教授だそうです。琳派に関していうと、2004年に国立近代美術館で開催した『「琳派 RIMPA」展』の企画展を担当したそうです。
その企画展を担当して、宗達に関して疑問をもったそうです。

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宗達は別格である
それはまさに、宗達の再発見というにふさわしい体験であった。まっさきに浮かんだことは、宗達は琳派なのかということだ。もちろん、そこには琳派とはいったい何を基準に考えればよいのかという根本的な問いもある。
琳派というのは、狩野派などの流派のように家系や師弟関係で流派の伝統技術を継承したものではなく、私淑という形でその芸術的な技法を受け継いできたことに特徴があります。Wikipediaには「琳派(りんぱ)とは、桃山時代後期に興り近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称である。本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、酒井抱一・鈴木其一が江戸に定着させた。」との記載があります。
具体的には、俵屋宗達の風神雷神図を尾形光琳が模写しました。この時は実際の絵に紙を当てて同じ寸法で模写したそうです。その尾形光琳の風神雷神図を酒井抱一が模写し、鈴木其一がそれを引き継ぎます。これが琳派としてひとくくりに考えている根拠なのですが、酒井抱一は、光琳の風神雷神図は実際に見て、自分の絵を描きましたが、宗達の風神雷神図を見てはいないようです。

実際に宗達とともに多くの作品を目の当たりにして感じたことは、琳派というひとつのくくりで企画された展覧会であるはずなのに、宗達だけが別格な存在に映ったということだ。光琳以降の、私淑というかたちで継承された琳派のスタイルを知っている私たちは、つい宗達を琳派の祖として考えてしまいがちである。たしかにそれはひとつの考え方ではあるが、戦後の美術史観がつくり上げた琳派という幻想に過ぎないのではないか。
さて、その琳派の祖と言われる宗達ですが、生れた年も亡くなった年も分かっていないそうです。
いつどこで生れ、どういう環境で育ち、なぜ絵師になったのか。どういう人柄でどういう芸術観を持っていたのか。私たちが知りたいことは山ほどあるのに、それに応えてくれる文献資料がない。
謎の絵師と言えば東洲斎写楽が有名です。写楽には別人説があり、北斎などの30人以上の有名画家の名前があげられていますが、美術史家である水尾比呂志氏は、50年ほど前に「宗達=光悦説」を出したことがあります。本阿弥光悦は、芸術家・書家として知られており、宗達の描いた絵の上に光悦が書を描いたという作品が多く残されていますが、この絵も書も両方とも光悦が書いたというのが水尾氏の説でした。(後に氏はその説を撤回しています)そう考えた方が考えやすいくらいに、史料がない状況のようです。

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さて、宗達を模写した光琳の風神雷神図ですが、古田先生に言わせるとまったくダメということになります。(この本では、「あくまでも宗達からみた場合」と断っていますが...)
これは、画題の選定、構図、画法など弟子が勝手に解釈することが許されずに、そのまま伝承することで「派」を保っている他の流派と琳派の大きな違いであると古田先生は書きます。
・・・琳派の場合、光琳は宗達の、抱一は光琳の作品から「何を」学ぶかは、学ぶ側の自由なのである。それは自発的なものであるから、逆をいえば、深く熱い継承意欲がなければできない面もあるだろう。ただし、その受容の内容は、当の先人が伝えたいものだったとは限らない。

大ざっぱにいうと、宗達が風神と雷神に動きや躍動感を与えるために工夫した両者の配置や画角に対するフレーミングを光琳は全く無視して、模写をしてしまったということです。宗達が、雷神の連鼓をフレームからはみ出させることで、絵に躍動感を与えていたものを、光琳はすべてフレームの中に納めてしまったことで、制止した絵となってしまったのです。
ただし、これは古田先生が書くように、宗達側から見たもので、光琳からしてみると、「これこそが俺の風神雷神図だ!」ということになるのかも知れません。光琳の絵は、絵の躍動感というよりは、より平面的、デザイン的な絵を目指していたのかも知れません。

琳派に興味がある方にはお勧めの一冊です。

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このブログの目次です。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-17-1
もっと知りたい俵屋宗達―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)俵屋宗達 (新潮日本美術文庫)
俵屋宗達: 金銀の〈かざり〉の系譜聚美(しゅうび)7教科書に出てくる日本の画家〈1〉近世の画家―雪舟、葛飾北斎、俵屋宗達ほか週刊 アーティスト・ジャパン 15 俵屋宗達 (分冊百科シリーズ日本絵画の巨匠たち)
絵は語る (9) 松島図屏風-俵屋宗達筆 座敷からつづく海-琳派をめぐる三つの旅―宗達・光琳・抱一 (おはなし名画シリーズ)美術手帖 2008年 10月号 [雑誌]もっと知りたい尾形光琳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)宗達伊勢物語図色紙

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