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「佐野乾山事件とバーナード・リーチ」 豊口真衣子著 を読む [尾形乾山]

今回紹介する本は、普通の本ではありません。東京大学比較文学・文化研究会から1998年に出された論文です。私は、東大から小冊子を購入しましたが、最近では、WebにPDFがUpされています。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/48878/1/CLC_15_004.pdf

前回紹介したような産経新聞の記事が出される前、佐野乾山について語られることがほとんどない状況で、この論文が出されたことに関してはある程度の意味があったと思います。佐野乾山事件に関する経緯が簡潔にまとめられていますので佐野乾山に関して何も知らない人が読む入門書としては、当時の状況が把握できて良いと思います。

ただし、論文の結論・内容に関しては...残念です。
私は常々佐野乾山に関する記載で、「国会での言論統制」に関して記載のない物は評価するに値しない、と考えています。その意味でこの論文は、わたし的にはここで「終了!」です。

この論文の結論は以下の通りです。
・リーチの名はメディアに頻繁に登場する。
・佐野乾山事件が紹介されるときは必ずリーチが言及される。事件を大きくしたのも複雑にしたのもリーチだ。
・リーチが本物説を唱えたことは本物説論者にとって大きな安心感を与えた。
・リーチは新佐野乾山、日本の動向に関して限られた情報しか与えられなかった。本物説論者によって利用されていた面がある。
・結局、リーチは本物説、偽物説の両方から利用された

豊口さんは古美術業界に詳しくないようですが、それにしても佐野事件に対するとらえ方があまりにも表面的すぎます。論文のテーマの取っ掛かりとして、リーチの役割に目を付けるのは良いでしょう。もしかすると、事件の登場人物で唯一知っている名前だったのかも知れません。

事件の発端となった発見者の森川氏の家族にまでインタビューするなど、過去の経緯を綿密に調査しているにもかかわらず、なぜこの真贋事件の核心である国会文教委員会での議論に到達しなかったのでしょうか? 通常は、白か黒か結論が明確になるはずの真贋事件で「日本最大の真贋事件」と言われた佐野乾山事件だけが、なぜグレーと判断されてそのまま30年以上(論文執筆当時)も放置されているのかと不思議に思わなかったのでしょうか?

その国会の文教委員会で行われたことは、東京国立博物館の林屋晴三氏、京都国立博物館の藤岡了一氏、東京大学の山根有三氏などの真作派に対する言論の弾圧でした。これによって佐野乾山に関する学問的な研究の道が閉ざされてしまいました。このことこそ豊口さんが大学の論文で取り上げるべき重要なテーマであったと思います。

事件当時から佐野乾山を調査してきた渡辺達也氏の「尾形乾山の見極め」には、地元高校の教諭であった渡辺氏にも圧力がかかっていたこが記載されています。
おそらくこれは篠崎源三氏の差し金だろうが、著者は昭和三十八年(1963)年十月五日、六日の二日間にわたって壬生町の常楽寺境内の具慶尼庵址及び乾山作陶窯址の発掘を壬生高等学校美術家生徒の教育の一環として実施した。その後、県教育委員会から佐藤金作学校長を通じて、「佐野乾山問題から手を引くように」との圧力があり、日本美術史上に関わる専門のことであるからと、拒否したことがあった。(同書 P118)
昭和39年1月に宇都宮市の東武デパートで「乾山展」が行われました。この時、栃木新聞社が新聞紙上で展示品の佐野乾山を紹介しました。その作品解説は、地元の研究家である石塚青我氏が担当しました。
しかし、石塚氏は、私に「実は解説文は全部林屋晴三君が書いたんだよ。ただ名前を出せないので僕の名前にした」と言っていた。文部省の干渉が影響したといえる。(住友慎一、渡辺達也「尾形乾山手控集成」P404)

ちなみに当時のマスコミも、「国会で議論された」と書いていましたが、何を議論したのかに関しては何も報道しませんでした。私は当時のマスコミがこの問題を報道しなかったことが、佐野乾山をグレーにした元凶だと考えています。産経新聞も、今回のように今まで知られていた陶磁製方の寄贈の話を大々的に報道するのではなく、このような真贋事件の本質に関してきちんと報道すべきだと思います。

その他、豊口氏の記載に関して一言、二言...。
①リーチは真作派であったが、常に贋作である可能性を挙げて逃げ道を用意していた。
はっきり言って、300年以上前の美術品に関して絶対確実な真作の根拠などありません。ですので真面目に考えている人ほどその発言は慎重になるはずです。リーチの、
(これほど美しいのに)本物でないなら、過去に乾山と同じように偉大な芸術家がいて、絵具も釉薬も手法もそっくり乾山流に作ったか、或いは、信じられないような人物が今日存在しているか」だ」
という発言は、「可能性としてはあるがそんな人は存在しない」という意味で捕えるべき発言でしょう。リーチは、森川氏の佐野乾山を見て、「一目見て本物と思うばかりでなく、私が今まで見たなかでもっともすばらしい乾山の焼物です。」とコメントしたのです。リーチは長年乾山を研究してきて、七代乾山となった人です。そのリーチが、それまで知られている乾山の傑作よりも森川氏の佐野乾山の方が素晴らしいと評価したのです。つまり誰もが名品として認めるであろう光琳・乾山の合作よりも素晴らしい贋作を作ることができるような陶芸家が存在するとは考えられない、という当たり前のことです。

逆に、贋作派の代表である加瀬藤圃の、
真乾山とは似ても似つかない下手物であることは明瞭である。
森川氏は、まづ第一の明き盲で、これを絶賞して已まなかつた美術史家の数氏は、尚一段の半鑒耳食の徒である。その愚劣低見論ずるに足らぬヘボ学者である。二世紀以前の作品と今窯から出たばかりの下劣醜陋なるものとを辨別が出来ぬとあつては、今までなにを勉強されていたのかといいたい。
という断定的で自信満々のコメントほど、眉毛が濡れるほど唾をつけて疑ってかかるべきものだと思います。

②リーチは陶芸家としては唯一真作派であった。これは、日本では佐野乾山に対する反対意見が大勢を占めているという正しい情報を与えられなかったからだ。
贋作派の中心は日本陶磁協会でした。陶磁協会は、陶芸家や骨董屋、文部技官などが会員となっている大きな団体で、事件当時、陶磁業界で大きな力を持っていたと言われています。佐野乾山に関してその陶磁協会のTopが贋作であると判断したのですから、陶磁協会の会員はその判断に従わざるを得ません。つまり陶芸家たちは自分たちの作品が業界内で売れなくなるリスクを考えると自由に意見を言える状況では無かったのです。その中で、日本の陶磁業界とは関係のないリーチは、陶芸家としては唯一自分の感じた、信じた事を自由に発言できる立場にいたのです。その点を理解できなければ話になりません。
前出の渡辺達也氏の「尾形乾山の見極め」には、以下の記載があります。
私は直接リーチ氏に「富本さんは乾山についてどういっておられますか?」と聞いてみたところ、リーチ氏は「富本は絵もわからないしなにもいわない。いえないのだ。悲しい。」と、親友の富本氏がなにも発言できない立場を知っていて、それこそ悲しそうであった。とどのつまりは富本憲吉氏でさえ、勿論浜田庄司氏でも同じであったろう、日本陶磁協会の傘下にある陶芸家の泣きどころを、リーチ氏はよく知っていて、日本の美術界の狭隘な姿を悲しんでいたのである。(渡辺達也氏「尾形乾山の見極め」P97)

最後に「永仁の壷事件」と「佐野乾山事件」に関して書きます。
佐野乾山に関して論じる時に、「永仁の壷事件」の時に陶磁協会が何をしていたかを一緒に考えなければ状況をきちんと理解できません。
「永仁の壷事件」とは、陶工の加藤唐九郎が作った壺を文部技官であった小山冨士夫が鎌倉時代の古陶として重要文化財に認定しましたが、さまざまな疑惑の声が上がり最終的には唐九郎が「自分が作った」と認めて重要文化財は取り消されました。一般には、小山富士夫は唐九郎に騙されたと言われていますが、実際には、小山も唐九郎も陶磁協会の仲間でした。

佐野乾山事件と言えば、「国会でも議論された」という枕詞が付きますが、実は前の年におこった永仁の壷事件に関しても同様に国会で議論されています。(http://kaysan.net/sano/einin.htm
要は、永仁の壷事件という明確な贋作に関するメンバーどうしの馴れ合いに関しては何の糾弾も謝罪も反省もしなかった日本陶磁協会が、佐野乾山に関しては執拗に贋作だ、贋作だという主張を繰り返していたのです。
このことを知ると「佐野乾山に関してそれだけ言うのであれば、なぜ永仁の壺の時にきちんと贋作だと糾弾しなかったのか!」と言いたくなります。それこそ、前出の加瀬藤圃が指摘した「二世紀以前の作品と今窯から出たばかりの下劣醜陋なるものとを辨別が出来ぬとあつては、今までなにを勉強されていたのかといいたい。」という言葉をそのままお返ししたいですね。(^^)

【追記】
国会文教委員会での議論に関しては、基本書とも言える白崎秀雄氏の「真贋」「新発見・佐野乾山」(昭和40年)に記載がありますし、詳しい内容については国会のHPで議事録を読むことができます。

さて、産経新聞の佐野乾山報道ですが、きちんと本質までたどり着くか見守りたいと思います。

●乾山に関する記事です。
・琳派 尾形乾山の書を考える その2 乾山の字母について
・琳派 尾形乾山の書を考える その1
・陶工 尾形乾山は本当に素人か? 『「琳派」最速入門』を読む
・乾山ゆかりの地がおしゃれになっていた! (2017年)
・「乾山 見参! 着想のマエストロ」 を読む
・佐野乾山はホンモノだ! 岡本太郎の見た佐野乾山 美術手帖 1962年8月号 を読む
・「佐野乾山事件とバーナード・リーチ」 豊口真衣子著 を読む
・佐野乾山の新聞報道に関して(2015年)
・尾形乾山生誕350周年の展覧会(2013年)を振り返る
・美術品の科学鑑定って? 「X線分光分析」、「やきものの美と用―芸術と技術の狭間で」 加藤 誠軌著 を読む
・佐野乾山に関する名著 佐野乾山の見極め 渡辺達也著 を読む
・佐野乾山は美しい! 骨董のある風景 青柳瑞穂著 青柳 いずみこ 編 を読む
・乾山と言えば色絵陶器です! 「国際写真情報 」 を見る
・佐野乾山の真実! 尾形光琳二代目 乾山 細野耕三著 を読む
・藤田玲司と三田村館長が認めた「佐野乾山」、ギャラリーフェイク 006 「タブーの佐野乾山」 細野不二彦著 を読む
・「開運! 何でも鑑定団」の鑑定士の本「ニセモノ師たち」 中島誠之助著 を読む
落合先生の佐野乾山関連の情報も
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む

【佐野乾山に関しては、K's HomePageを参考にしています。(http://kaysan.net/sano/sanokenzan.htm)】

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負けるはずがなかった!「大東亜戦争」倉山満著 [歴史の真実・陰謀論]


負けるはずがなかった! 大東亜戦争今は、太平洋戦争と呼ばれている大東亜戦争に関する本です。

著者は、気鋭の保守論客である倉山満氏です。
倉山氏は、1973年香川県生まれ、憲政史研究者。1996年中央大学文学部史学科卒業後、同大学院博士前期課程を修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員を務め、同大学で日本国憲法を教えています。最近、ものすごいペースで本を書き続けています。

先生の本を読むと、これまで学校で学んだ事や一般に通説と言われていることがいかに偏った見方であるかが分かり、衝撃を受けます。例えば、「嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)」には、
ソ連との片手間の中国との片手間のイギリスとの片手間に、アメリカの喧嘩を買った日本」と書かれています。(笑)
そうなんです。私たちは何となく「日本はアメリカとだけ戦った」ように考えてしまいますが、実際には中国、英国、オランダ、オーストラリア、アメリカなど連合軍と戦ったのです。そして、日本はアメリカ以外には連戦連勝でした。戦略を間違ったとしか言いようがありません。
瀬島龍三がデタラメな作戦を立案したら岡村寧次がすご過ぎて、(引用者注:中国大陸の)二千四百キロの「直進行軍」をやり通してしまった。少なくとも日本は大陸ではまったく負けていません。
日本は大陸で負けていないどころか、大東亜戦争は対米戦争以外全戦全勝でした。(中略)大東亜戦争で、日本はイギリスとオランダに対しては戦勝国です。支那事変が片付かないのにアメリカにアホなケンカを売ったから、勝てる戦をみすみす負けただけです。それでもオランダは九日で、イギリスは六十日で粉砕したのです。帝国陸海軍は、どれほど強かったのか。そして、上層部がどれほどアホだったのか。

倉山先生の主張は要約すると、「日本の軍隊(現場)はとてつもなく強かったが、トップ(政府、陸軍、海軍)に戦争に対する全体戦略が無かったので負けた。」ということです。日本の現場力が強かったので、おかしな作戦であっても成果を出してしまったため、トップはさらにおかしな作戦を立てていったということです。日本の現場力の強さは今に始まった事ではないということですね。
さらに政府、軍部のトップの中にはコミンテルンのスパイが多数もぐりこんでいて、さらに戦略を混乱させていました。

日本の軍事力に関して言えば、1930年のロンドン軍縮会議の時、各国の主力艦の数を議論しました。
対米七割、六割と言いますが、日本とアメリカの海軍軍人は同じことを考えていました。対米七割なら日本が勝つ、対米六割ならアメリカが勝つとお互いに思っているのです。それほどまでに日本の帝国海軍は強かったのです。
つまり、対米7割で勝つのであれば、同等の主力艦の数であれば日本が米国に圧勝するということです。これも目からウロコな事だと思います。

また、対ソ戦で近代兵器に敗退したと言われていたノモンハン事件ですが、ソ連崩壊後の情報公開によって、実はソ連の被害の方が多かったことが分かったそうです。

さて、大東亜戦争に対する倉山先生の主張は、とても過激です。(^^)
大東亜戦争は「君にも勝てる」とか「こうすれば勝てた」という話ではありません。「何でこれで負けようがあるんだ、バカ者どもが」という話なのです。

倉山先生は、アメリカとの対戦での最大のミスは真珠湾を奇襲したことだと主張します。
ハワイを奇襲して失敗したら終わりですから、わざと負けようとして採用したとしか思えません。第一、帝国海軍は四十年間、まずマニラ(引用者注:米国の植民地だった)を取り、フィリピン沖で米軍を待ち構えて艦隊決戦というバトルドクトリン(戦闘教義)を持っていました。

もともと、アメリカが石油を売らないと言ってきたから始めた戦争ですので、石油を取りに行くべきですが、日本はハワイを攻撃してしまいました。
では、石油はどこにあるか。オランダ領インドネシアです。何のためにアメリカと戦争をするのか、まして何のためにハワイを攻撃したのでしょうか。ハワイに石油があったのでしょうか。オランダだけを攻めればよかったのです。付け加えるとしても石油を産するブルネイを持つイギリスまでです。
確かにそう思います。もともとの作戦の通り、対米戦に関しては米国の植民地であったフィリピンだけを攻撃すれば良かったのです。米国領であるハワイを攻撃したので、米国に「リメンバー パールハーバー」の対日戦の口実を与えてしまいました。攻撃対象がフィリピンだけであれば、「若者を戦場に送らない」と言って当選したルーズベルトが植民地奪還のために若者を送ることを米国民が許さなかったと思います。
その元凶を造ったということで、名将として評価の高い山本五十六を倉山先生は徹底的に批判しています。
山本五十六がそもそもハワイを狙った理由は、証拠がないので断定するつもりは毛頭ありませんが、アメリカかコミンテルンのスパイだったと言えば一番合理的な説明がついてしまいます。

さらに、アメリカが国際法無視の国であると明言します。
だから、アメリカは強い日本に勝つためにはどうしようかと必死になりました。(中略)やっぱり通商破壊だろうとの結論になったのです。「あれだけわれわれはドイツを苦しめたじゃないか。戦闘員とか非戦闘員の区別をつけない鬼畜の行い、それがわが国の伝統でございます。だって、ゲリラ戦でできた国なんだもん!」 ─ ─ 完全に開き直りですが、アメリカ人はこういうヤツらなのです。アメリカはこういうことを海でもやる。だから、病院船でも平気で沈めまくりますし、のちにそこに無差別都市空襲も加わります。
さらにこれが2つの原爆投下につながりますね。そのようなアメリカに対して、日本はあまりにも生真面目であったというよりも、対策がお粗末でした。
勝てば官軍は世の常とは言え、このような国際法無視の国が裁いた、A級戦犯 「平和ニ対スル罪」、B級戦犯「戦争犯罪」、C級戦犯「人道に対する罪」って何なのでしょうね。

これ以外にも目からウロコの内容が盛りだくさんの内容です。
これまで一方的な史観で語られてきた昭和史ですが、倉山先生のような視点でもう一度見直すことが必要だと思います。

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倉山満の憲法九条 ― 政府も学者もぶった斬り!この国を滅ぼさないための重要な結論 《嘘まみれ保守》に憲法改正を任せるな! (Knock‐the‐Knowing)お役所仕事の大東亜戦争嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)



「シャンプーをやめると、髪が増える」 -抜け毛、薄毛、パサつきは“洗いすぎ”が原因だった- 宇津木龍一著 [健康]

シャンプーをやめると、髪が増える  抜け毛、薄毛、パサつきは“洗いすぎ


今回は、「脱シャンプー」の話です。
著者の宇津木先生は、日本で最初のアンチエイジング専門施設である北里研究所病院美容医学センターを創設し、センター長を務めている方です。日本では数少ないアンチエイジング治療専門の美容形成外科医です。


この本の主旨ですが、「薄毛の一番の原因はシャンプーだ!」ということです。
私はこの本を動物写真家の小原玲さんのブログで知りました。私も以前から髪が気になっていたのでさっそく始めてみました。まだ始めて2週間ちょっとなので、当然「髪が増える」ということはありませんが、意外と心配していたような臭いやベタつきなどはないものなんだな~と思って楽しみに続けています。
小原さんのFacebookなどを拝見したり、Webで検索すると、意外とたくさんの方が「脱シャンプー」をすでに実行していることが分かり驚きました。

最近、男性の薄毛の悩みはミノキシジルなどの効果が認められてきたため、男性のカツラの需要が減ってきているそうです。そのため、カツラメーカーは女性用カツラに力を入れている、そしてその女性の薄毛の原因がシャンプーであるということも聞いた事があります。

「薄毛の一番の原因はシャンプーだ!」の理由
①最近のシャンプーは40種類近い化学物質が含まれており、それらの化学物質がシャンプーの度に頭皮の10万個の毛穴から入り込み、毛根を痛めつけている。
②シャンプーは洗浄力が強く、皮脂を根こそぎ取り去るため皮脂腺が発達して髪に行くはずの栄養が皮脂腺に吸い上げられている。シャンプーをすればするほど皮脂が無くなるため、頭皮は必死になって皮脂を出すので逆に髪がベタつく。
③シャンプーの界面活性剤の強力な洗浄効果によって頭皮のバリアが壊され、頭皮の新陳代謝が衰えるため、頭皮が薄くなる。また、皮脂という天然のコーティングを失った髪のキューティクルは乾燥してめくれ上がる。
④シャンプーに入っている防腐剤によって頭皮の常在菌を殺してしまい、逆にカビやさまざまな雑菌が付くようになる。(頭皮には数多くの常在菌が棲みついていて、この常在菌が皮脂や汗を食べて、酸性の物質を代謝している。そのおかげで頭皮は弱酸性に保たれ、雑菌やカビなどの侵入から守られている)

シャンプーを使わないと汚れが落ちないと感じる方が多いと思いますが、
酸化した油脂はただの水で洗いさえすれば流れ落ちるので、頭皮を酸化物で傷めることはありません。毛髪を健康に保つために、シャンプーを使う必要はまったくないのです。
ワケのわからない物質が36個も含まれているシャンプーを、あなたは舐めて味見できますか? 気持ちが悪くて舐められませんよね。舐められないものを皮膚につけてはいけません。(頭皮についた化学成分は皮膚から直接吸収される。)

その他にもシャンプーメーカーのCMのイメージの刷り込みには注意しましょう。
*「ノンシリコン」にだまされるな
シリコンは比較的安全な物質であり、そのシリコンを悪者にしてシリコン以上に害のあるシャンプーを安全であるかのようなイメージを作り上げている。
*「ベビー用」にだまされるな
ベビー用にも界面活性剤や防腐剤は堂々と使われている。毒性は大人用と変わらない。そんなシャンプーを赤ちゃんに使うなどとんでもない話。
*「髪がサラサラなびく」のは、干からびているから
髪は本来皮脂でコーティングされていて髪を整えられるようになっている。サラサラの髪は皮脂が奪われて乾燥し、カサカサに干からびた状態。

そして、ボディーシャンプーなども防腐剤などが入っており、体の常在菌を殺してしまうので使わない方が良いとのことです。私たちの体は常在菌と共生していて雑菌などのバリアを作っています。ですので、洗い過ぎると逆に常在菌を殺してしまうので雑菌の温床になってしまうそうです。

宇津木先生によると、からだの汚れはすべて水だけで落とせるとの事ですが、お尻などはボディーシャンプーを使いたくなりますよね? まあ、気持ちの問題ではありますが...。
まあ、全然使わないというのは、すぐには難しいと思います。

最近はお医者さんも手術の前などは、ブラシなどを使って指などを洗うことは止めたそうです。(逆に雑菌を増やすことになるそうです) 私はハンドソープで手を頻繁に洗う方なので、最近はできるだけ水だけで流すようにしています。

健康に興味がある方は、ぜひ読まれることをお勧めします。

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「肌」の悩みがすべて消えるたった1つの方法―美肌には化粧水もクリームもいりません―宇津木式スキンケア事典 化粧品をやめると、肌はよみがえる (ノンフィクション単行本)化粧品を使わず美肌になる!




超回復など考えずに毎日鍛えろ!「筋トレ虎の巻」- 杉田茂 [格闘技]

今回は、筋トレに関する本の紹介です。
私は大学時代に空手をやっていたので、その当時はベンチプレスやスクワットなど筋トレをかなり頑張ってやりました。空手を止めてからはほとんどやっていませんでしたが、最近ボルダリングをやるようになり、自重中心ですが、また筋肉を鍛えることをやるようになりました。

そして、トレーニングする時にいつも考えていたのが「超回復」に関してです。
「超回復」:筋力トレーニング後に24~48時間くらいの休息をとることによって起こる現象。休息の間に筋力がトレーニング前よりも増加することをいう。超回復の原理を有効に利用することによってはじめて、トレーニング効果が現れると考えられている。(「トレーニングをする前に読む本」石井直方著)
石井氏は東京大学大学院教授で理学博士で、1981年ボディビルミスター日本優勝・世界選手権3位にもなった方ですので、私はずっとこの説を信じていましたし、筋トレをやる人の間ではほぼ常識になっていると思います。要は、2日~3日の休息を取ることによって筋力が大きくなる、筋トレは毎日やってはダメという理論です。

しかし、以前このブログで書いた史上最強の柔道家であった木村政彦のトレーニングを知ってから大きな疑問を持ちました。(大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-08-15
・100数十Kg、200Kgを超える重量で数百回、数千回という単位で延々とベンチプレスを行う。
・寝る前には腕立て伏せ1,000回を日課としていた。
⇒ その結果、ベンチプレス250Kg、ストレートアームプルオーバー90Kg、握力は200Kgを超えていたと言われています。
現在の理論で言えば、毎日ウエイトトレーニングをやるのは逆効果、1日筋トレをやったら2日は休息が必要と言われていますが、上記のような、どう考えてもオーバーワークの木村のトレーニングでどうして鋼のような肉体ができたのでしょうか? もしかすると、現在の筋トレの理論が何か間違っているのではないか、と疑問を感じてしまいますね


筋トレ虎の巻 ハンディ版―指導書には載っていない筋トレの極意を伝授

さて、前置きが長くなってしまいましたが、その疑問に答えてくれるのがこの本です。
著者の杉田茂氏は、1947年大阪生まれ、16歳からボディビルを始め、1972年JBBFミスター日本優勝、1974年に渡米し、1976年NABBAミスター・ユニバース優勝など輝かしい実績を残している方です。

この本で、杉田氏は「超回復」に関して以下のように書いています。
トレーニング関係者を迷わせている元凶が、誰が唱えたのか、「超回復」という理論である。トレーニングによって疲労した筋肉が、48~72時間休息させた後に前よりも強くなっている状態を「超回復」というらしく、この48~72時間の休養を取らずにトレーニングを行っていると、筋肉は大きくならず、やせ細ってしまうというのだ。
私はボディビルを始めた16歳から、現役を引退した42歳までの26年間を振り返って見ると、72時間はおろか48時間も筋肉を休めた覚えがない。
これを超回復理論に当てはめると、私は16歳の頃の58キロの身体のままだということになる。こんな考えがまかり通って、もっともらしく語られていれば、初心者ならずとも、トレーニング・プログラムを作る段になるとナーバスになってしまうのも無理はない。
そして、もう一つ同じような話ですが、最近いろいろなスポーツのトレーニングでよく言われる「オーバートレーニング」に関しての話です。
オーバートレーニングという言葉はトレーニングの専門誌でよく目にするし、陸上競技の長距離などでオーバートレーニングが元でスランプに陥り、低迷を続けている選手の話を聞いたことがあるが、ボディビルダーで実際にオーバートレーニングになった人などいるのだろうか--という疑問だった。
というのも、我々の時代のボディビルダーのトレーニング量は、今のボディビルダーからは考えられないほどのものをこなしていた。
私の前年のミスター日本である末光健一さんは、1日100セット以上やることで知られていたし、ライバル関係にあった私も、末光さんに勝つためにはそれ以上のセット数をやらねば、と思っていた。事実、それを実行していた。(中略)
それによって我々がオーバートレーニングに陥ったかというと、答えはNOである。
つまり、われわれのレベルで少しくらいハードなトレーニングを続けたってオーバートレーニングになんかならないよ、と言う事です。そして、オーバートレーニングを心配する人に対しては、
『論より証拠』と考えて、一度、翌朝あごも上がらなくなるほどトレーニングをしてみたらいい
と喝破しています。
この杉田氏の本を読むと、「超回復」や「オーバートレーニング」理論というのは、誰かが自分のライバル達に自分よりも練習させないように広めたガセネタではないか、と思えてきます。(^^)

さあ皆さん、何も心配しないで毎日ハードなトレーニングを続けましょう!(笑)

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「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]


日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 —版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)落合先生の最新刊です。落合先生は、間違っていた内容は分かった時点ですぐに修正されますので、南北朝の基本を読んだ後は、新しい本の方から読んで行った方が良いかも知れません。

今回は、明治維新後の政府の動き、特に西郷隆盛の真実に迫る内容です。

まずは、落合先生の主張のおさらいです。

【欧州大塔宮】
南北朝時代の大塔宮護良親王が西大寺に入り、生れた王子とその子孫が、東南アジアからマラッカ海峡を抜けインド洋を経てホルムズ海峡で上陸し、14世紀末~15世紀にかけてトレビゾンド港(トルコ)から黒海を渡ったヴェネツィアに到着し、陸路を取り欧州を北上してフランドル地方で現地のケルト族と混交して経済力を蓄えて欧州王家と貴族になった。現在のオランダ王室の祖先のオラニエ=ナッサウ家ヴィレムⅠ世が欧州大塔宮と言われています。
つまり、落合先生の説では、英国を拠点とするいわゆる「ワンワールド」の背後には、欧州大塔宮がいたということです。
二年前の私が「地政学的な海洋ワンワールドの連合」と考えた勢力の正体が、実は世界王室連合で、その背後になんと欧州大塔宮がいたのです。大塔宮護良親王から始まる國體天皇系が欧州王家となり、欧州貴族となって、大きく発展していたとは、ほんとうに驚きました。

また、落合先生は、京都皇統から最近さらに詳しく「ベルギー王室は欧州大塔宮の子孫」と教られたそうです。日本の皇室が、オランダ、ベルギーなどの国の王室と親密な関係があることは周知の事実ですが、その裏にそのような事情があったということですね。
(落合先生の本には書かれていませんが、鎖国していた江戸時代に西洋の国ではオランダとだけは交流を許可していた理由はこれかも知れません)

関連した情報です。
・小栗忠順、木戸孝允、陸奥宗光は欧州大塔宮の子孫である。
・岩倉使節団の目的は不平等条約改正のため海外事情を観察すること、というのは表の看板であり、裏の目的は、新政府の首脳(岩倉・木戸・大久保)がベネルクスで欧州大塔宮とフィラデルフィアで在米大塔宮に「お目通り」することであった。

【版籍奉還】
15代将軍である徳川慶喜が大政奉還したことは、國體天皇から指示による「堀川政策」の一部ですが、一番の現実的な問題は廃藩置県の前段階として、版籍奉還でした。
・戊辰戦争で勝利した薩摩、長州藩などは恩賞として過贈を望んでいた。
・國體天皇から指示を受けた慶喜が、酒井家に姫路藩が版籍奉還の先鞭を付けるように命じた。(当時の状況を考えると、藩の永続しか考えていない諸藩から見ると版籍奉還を自ら言いだすことは正気の沙汰ではない。)
・木戸考允が動き政府の中心である薩長土肥に版籍奉還を行わせ、残りの諸藩の流れを作った。
・この薩長土肥に対しては版籍奉還の代償として、以下の利権を与えた。
長州:全国の土木談合利権
薩摩:警察・文部利権
土佐:海運利権
肥前:長崎の軍港利権

【西郷隆盛の征韓論】
西郷隆盛と言えば「征韓論」を主張し、それを受け入れられずに下野したと認識されていますが、それは事実とは異なると先生は指摘します。

西郷隆盛は、征韓論者ではない
・武力進駐論を唱えた板垣退助は征韓論者であるが、西郷は礼節外交を唱えただけであり、征韓論者ではない。
・西郷は、礼節外交のため開国勧告のために訪韓を希望し、新政府の板垣退助、副島種臣、江藤新平、大隈重信らの参議はそれを承認した。
・しかし、明治天皇(政体天皇)は、欧州使節団が帰国するまで保留とした。
・そして、帰国した岩倉右大臣、木戸孝允・大久保利通参議の反対によって西郷の訪韓は取りやめとなる。これは、國體天皇の意向によるものである。
・開国したばかりの日本は、外事は國體天皇(孝明先帝)の専管であり、覇道一神教(イエズス会)の侵入を防ぐのが國體上の重大事であった。そのため、重大な外事に関しては、國體参謀本部が最終的な落とし所を決めていた。
・國體参謀本部は欧州大塔宮から指導を受けていたが、欧州大塔宮としては、朝鮮問題よりも台湾派兵が急務であると考えていた。
⇒ 当時の日本にとって、いろいろな意味で重要なのは韓国ではなく台湾であった。明治4年、台湾で宮古島島民が多数殺害される事件が発生し、それを契機として明治7年台湾征討を行った。

そして、落合先生は驚くべきこともさらりと書いています。
・明治42年の伊藤博文の暗殺は、玄洋社軍人である明石元二郎が指揮した朝鮮軍の一隊が実行した暗殺を、テロリスト安重根の仕業に見せかけたもの

興味ある方は、ぜひ読んで欲しい一冊です。

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

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聖徳太子は怨霊になった!「逆説の日本史」2 古代怨霊編 井沢元彦著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


逆説の日本史〈2〉古代怨霊編 (小学館文庫)井沢元彦氏の「逆説の日本史」2です。
井沢史観のポイントは「怨霊」ですので、この巻も興味深い内容が書かれています。

まずは、聖徳太子です。みなさん現在の天皇をイメージすると意外に思うかも知れませんが、天皇家は聖徳太子の昔から明治までは仏教徒でした。そして、明治以前は神社と寺は一体で、寺社と呼ばれていました。それが、明治になって国家神道が強化され、神仏分離が進められて現在の形になったのです。

1.聖徳太子
・聖徳太子はなぜ「聖徳」なのか? ⇒ 太子が偉大な人物だったからではない。また、なぜ有能な太子が天皇になれなかったのは不可解である。
・当時、「内官家」を新羅から取り戻すことが天皇家の宿願だったため、太子は、朝鮮半島に2回出兵しようとしたが失敗し新羅征伐は挫折する。(「内宮家」(うちつみやけ):任那あるいは伽耶のこと)
・遣隋使で随の煬帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや云々。」という国書を出したのは、当時の外交常識から言ってトンデモないことである。随と戦争になってもおかしくない内容。
・その当時、祖先を祀るものがいなくなった霊は祟りをなす、という考えがあった。太子の子孫は息子の山背大兄王の時に、孫もふくめて皆殺しにされており、太子の霊を祀る子孫はいなくなった。
聖徳太子は怨霊になった
聖徳太子一族を滅ぼした蘇我一族も中大兄皇子に滅ばされた。当時の人は、これは太子の祟りと考えたであろう。
「聖徳」の諡号は、怨霊となった証拠である

【諡号とは】「後醍醐天皇」、「推古天皇」などの「後醍醐」や「推古」などは諡号と言われ、生前の人物や事跡を考慮して付けられます。ですので、生前に「後醍醐天皇」、「推古天皇」と呼ばれたわけではありません。つまり、聖徳太子は死後に怨霊となったと考えられるので、「聖徳」と付けられたということです。
井沢氏は、歴代の天皇で「」を諡号に使われている天皇は怨霊になったと考えています。(太子以降は6人しかいません)
孝徳天皇:大化の改新後即位するが、中大兄と遷都問題で対立して難波宮に置き去りにされる。孝徳帝の妻も中大兄について大和に行ってしまう。
称徳天皇:弓削道鏡を天皇にしようとして実現せずに亡くなった。
文徳天皇:最愛の妃の生んだ皇子を皇太子にできずに、無理やり藤原氏の娘の皇子を皇太子にさせられた上に若くして急死した。
崇徳天皇:保元の乱で敗れ、讃岐に島流しになり日本の大魔王となる。「皇を取って民となし、民を皇となす」と呪い、平家・源氏の武家政権を誕生させた。
安徳天皇:平家一門が壇ノ浦で滅亡する時に、二位の尼に抱かれて海へ投身した。
順徳天皇:承久の乱で敗れ、佐渡に流され佐渡で死ぬ。

2.天智天皇、天武天皇
・天智天皇(中大兄皇子)は、663年に朝鮮半島の百済復興のために朝鮮半島に軍事介入し、唐・新羅軍と対決し大敗を喫した。(白村江の戦い)
⇒ 唐の日本侵攻を恐れ、長門や筑紫に守備兵を置き、博多に水城という防護壁と西日本の各地に城を築いた。また、内陸の大津に遷都を行った。
・天智天皇の陵の所在だけ、日本書紀に記載されていない。
・天武天皇は、天智天皇の弟ではない。
⇒ 日本書紀以外の書を見ると、兄であるはずの天智天皇のよりも天武天皇の方が年上になる。国史大辞典にも天武天皇が死んだ年齢の欄は空白になっている。
・年が上であるはずの天武が天智よりも早く天皇になれなかったのは、正統な後継者になる資格が無かったからである
⇒ 天武天皇は、自分の皇位の正統性を主張するために、「古事記」、「日本書紀」の編纂を命じた。 天武が即位した後に三種の神器の一つである草薙剣が天武に祟り、天武が病気になったことが日本書紀に記載されている。(天武は正統でないから祟った ⇒ 後に加筆された可能性あり)
・京都の泉涌寺は、仏教を信仰していた天皇の菩提寺であるが、天武以後称徳女帝までの8代7人の天皇の位牌がない。(天武系の天皇は皇統から外されている)
・「天智」の諡号は、殷の紂王(中国史上最悪の王と言われる)の身につけていた宝石の名前にちなんでいると考えられ、縁起の悪い名前である。
・さらに「天武」の諡号は、殷の紂王を殺した周の武王にちなんでいると考えられる。
⇒ 天智天皇は天武天皇に殺された。
・天智天皇の娘である持統天皇は、自ら即位して孫を皇位に付けることで、天武系の血統を排除して天智系の血統を守り抜いた。
「持統」の諡号は、「継体持統」にちなみ、皇統の断絶を防いだことを意味している

3.奈良の大仏は何故建立されて、そして捨てられたのか
・奈良の大仏は、創建当時世界最大の金銅仏であった。
・天皇の妃を提供していた藤原氏の陰謀で非藤原氏系である長屋王が無実の罪を着せられて自殺したが、その後、その犯人と思われる藤原四兄弟が相次いで病死し、聖武天皇には後継ぎの皇子が生れなかった。
⇒ 聖武、光明皇后ともに藤原氏の血を引いており、長屋王の祟りを恐れた。聖武天皇に男子が生れないのは長屋王の祟りであると考えた。
奈良の大仏は、長屋王の祟りを封じることを目的として造仏された。(怨霊を仏教の力で封じこめようとした)
・しかし、世界一の大仏を建立したにもかかわらず、聖武天皇に男子が生れなかった。
⇒ 奈良の大仏は役に立たなかったので、大仏を捨てて平安京に遷都した。

非常に興味深い内容ですね。古代史に興味がある方には必読の書です。

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邪馬台国の卑弥呼は天照大神だ!「逆説の日本史」1 古代黎明編 井沢元彦著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)

この「逆説の日本史」シリーズはすでに20年以上連載が続いており、井沢元彦氏のライフワークとも言えるものです。

井沢氏は、早稲田大学法学部を卒業後、TBSで報道記者を経て、「猿丸幻視行」で江戸川乱歩賞を受賞し、それ以降作家活動に入りました。私は、初期の作品から好きで読んでいました。この「逆説に日本史」は、目からウロコという内容が多いためとても参考になる本だと思います。

なぜ歴史に関しては素人である井沢氏が、このような日本史シリーズを書き始めたかと言うと、現在の日本史学界には、大きな欠陥があるからだと言います。
①日本史の呪術的側面の無視ないし軽視
②滑稽ともいうべき史料至上主義
③権威主義
これらがある限り、素人である井沢氏にも日本史に対して主張すべきことがたくさんあると考えています。特に「井沢史観」の重要なポイントは、「怨霊」です。無念の死を遂げた者は祟りをなすので、鎮魂しなければならない。古代の人々はその怨霊を恐れて様々な手段を用いて怨霊の鎮魂を行ってきました。
しかし、日本の歴史学界は、怨霊信仰は平安時代までは無かったと考えているそうです。その理由は、文献にそのような記載がないからだそうです。文献に記載のないものは存在しないというロジックだそうです。(^^)

さて、この本の中で興味深い内容を紹介します。
1.「和」について
・「和」は日本人のアイデンティティーである。
・聖徳太子の十七条憲法をみると、仏教よりも天皇よりも「和」を重視している。
第一条:「和を以って貴しと為す」(和)
第二条:「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」(仏教)
第三条:「詔(天皇の命令)を承りては必ず謹め。君は天なり。臣は地なり。」(天皇)

2. 大国主命(オオクニヌシノミコト)について
・神話では、話し合いによって天照大神(アマテラスオオミカミ)に「国譲り」を行ったことになっている大国主命は、実際には恨みを持って死んだ。(あるいは殺された)
⇒ そのために天照大神は出雲大社という巨大な神殿を建て、自分の次男を出雲国造として土着させて神官としてオオクニヌシを鎮魂した。(昨年、高円宮典子女王が出雲国造(いずもこくそう)の家系である千家国麿さんと結婚されました。天皇家は、万世一系と言われていますが何度か王朝が変わったという説もありますので、千家氏の方がアマテラスの血統を引き継いでいる可能性もありますね。(私見))
⇒ その当時、出雲大社は高さ48mあり日本最大あった。(96mと言う説もあり)自分が滅ぼした先住民の王の神殿が一番大きいことは日本以外ではありえないことである。
・出雲大社に祀られている大国主は、参拝者に対して横を向いて配置されており、参拝者は御客座五神という天照大神系の神々を拝んでいることになる。(これは大国主を参拝させたくないために意図的に配置している)
・御客座五神は、大国主が死の世界から出て来ないように監視している。
・大社名物の巨大な注連縄は、通常と正反対の右上位(右から綯始めている)であり、これは死者の着物を「左前」にするのと同じである。
・通常の神社は、「二礼、二拍手、一拝」であるが、出雲大社は「二礼、四拍手、一拝」である。これは、「四」=「死」であり、大国主が死の世界から出ないようにしているからである。

3.卑弥呼について
・「卑弥呼」は女王の名前ではなく、「日御子」か「日巫女」である。
⇒ 古代において王者の名前を口に出すことはタブーであったので、中国の使者に女王の名を伝えることはあり得ない。
・邪馬台は、古代中国の発音では「ヤマト」に近い発音である。
・卑弥呼は、太陽神であり、248年に起こった皆既日食が原因で殺された。(古代においては、霊力の衰えた王を殺し、新たに霊力のある王を立てることが多い)
⇒ それが天照大神の「岩戸隠れ」の神話になった。卑弥呼 = 天照大神 である。
・「宇佐八幡神託事件」の時に和気清麻呂は、伊勢神宮ではなく宇佐八幡宮に行っており、天皇家にとって、祖先神は宇佐八幡であったと考えるしかない。(明治天皇以前には天皇の伊勢神宮の参拝はなかったそうです)
・宇佐八幡は、神社の一之御殿:応神天皇、二之御殿:比売大神、三之御殿:神功皇后(応神天皇の母)とされているが、実際の配置をみると「比売大神」が主祭神である
・宇佐八幡も出雲大社と同様に「二礼、四拍手、一拝」の拝礼作法である。この作法は、全国でもこの2社だけである。
宇佐八幡宮は殺された卑弥呼を祀った神社であり、比売大神卑弥呼 である。
・卑弥呼を神格化したものが天照大神で、それを祀ったのが伊勢神宮であり、卑弥呼の遺体を祀ったのが宇佐八幡である。

というような、非常に興味深い内容が書かれています。
古代史に興味がある方には必読の書です。

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現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]

南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)

落合秘史の中でも重要な「南北朝」問題に関する本です。

以前にもこのブログで書きましたが、私たち戦後教育を受けた世代は南北朝に関する知識がほとんどないと言っても良いと思います。学校の日本史では、後醍醐天皇の建武の新政や足利尊氏の室町幕府に関してざっと習うくらいですので、それで理解できるはずはありません。そして、なによりも戦国時代や明治維新のように小説の題材にならないことが大きいと思います。

現在の天皇の皇統は、一般には北朝であると言われています。しかし、幕末の長州、薩摩、水戸をはじめとした勤皇の志士たちは南朝が正当であるとして顕彰していました。特に後醍醐天皇の建武の新政の立役者である忠臣楠木正成は、「大楠公」として崇拝されていました。さらに驚くべきことに、現在の皇居外苑にその楠木正成の像が設置されています。これは、明治天皇が南朝を正統であると認めたからと言われていますが、なぜ北朝である明治天皇が自らの家系を否定するようなことしたのでしょうか?

このような納得できない事実が存在するため、「明治天皇は維新の時に南朝の大室寅之助に入れ替わった」、「明治維新は南朝革命である」という「明治天皇すり替え説」が消えないのだと思います。この説は、10年ほど前にネットなどでかなり話題になって広まったので、ご存じの方も多いと思います。

落合先生の「落合秘史」も、先生の名付けた「堀川政略」の一つとして南朝の大室天皇に入れ替わったことは認めています。しかし、先生の秘史の奥深さは明治天皇が大室天皇に変わったから現天皇家は南朝になったのではなく、「もともと現在の天皇家は南朝であった」(南北朝の別などない)ということです。

落合秘史は、このブログでも紹介しているように、「さる筋」(京都皇統代の舎人)が呟いた歴史に関するキーワードをジグソーパズルのピースとして、歴史の真実を洞察して構築したものです。これは太古の遺跡から発掘された遺品や文字から当時の状況と現在までの歴史を洞察するのと同じことです。

今回、皇統代から与えられた呟きは、
・香淳皇后は南朝の血筋
・久邇宮を北朝と視ては間違う

というものです。ここでいう香淳皇后とは昭和天皇の皇后で、今上天皇の御母のことですが、父方の伏見宮は北朝として知られていますので、最初は落合先生もどう考えればよいのか見当も付かなかったようです。

もう一つのヒントは、明治大学教授徳田武著の「朝彦親王伝」にありました。ここに、
我が実家は芳野の皇居(南朝)の血筋である故か、殊に盛んであり、当今は禁裏(天皇)も後醍醐帝の血筋であるし、近衛も鷹司も皆、我が実家の縁続きである。不思議な事よ。
と書かれていることに先生は注目します。朝彦親王とは、その侍従岩倉具視とともに「堀川政略」を立案した重要人物であると先生は考えています。朝彦親王は伏見宮家が実家であり、久邇宮は朝彦親王から始まりますので、伏見宮が「芳野の皇居(南朝)」とは聞き捨てできないことです
この内容は、ライターである浅見雅男の「伏見宮」にも同じ記載についての言及がありますが、両著とも歴史的事実と異なると判断しているそうです。

この辺が日本の学界のおかしな所で、天皇の家系の事は天皇及びその近親や重臣が一番知っているはず、と考えないのでしょうかね?(笑) 落合先生も、この両著が朝彦親王の発言を単なる誤りと解釈していることに不審を持ち、調査を進めます。そして、最終的には、「さる筋」(つまり皇統筋です)からの情報として以下の事を知ることになります。
崇光天皇は護良親王の王子
②護良は西大寺に入り、そこで死んだ
③西大寺の資産で吉野から鎌倉まで、宿場ごとに極楽寺を造り、護良親王を護るための情報ネットワークとした。
④極楽寺ごとに忍者を置き、全国の情報を集めた。
北朝の三人も納得した上で、崇光を入れた
⑥崇光の諱を、興良に合わせて益仁から興仁に改める。
⑦畿内から鎌倉にかけて湊のネットワークを作り、その湊々が室町時代の外国との通行の拠点となり、後の伏見宮海外ネットワークとなる。
⑧直仁は花園の子
⑨新北朝は畑を提供。橘が入って正成の鎮魂なる。
つまり、南朝である後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王の子が崇光天皇として北朝に入ることで、それ以降の皇統には南朝の血が入っているということです。

大塔宮は、後醍醐天皇の皇子ではありますが武勇に優れ、後醍醐天皇が鎌倉幕府に対して兵を挙げた時に楠木正成らともに挙兵します。そして、足利尊氏、義直兄弟、新田義貞などと戦い、鎌倉幕府を倒し建武の新政を実現させます。しかし、足利尊氏を征夷大将軍に任命すると新たな幕府を打ち立てることを懸念して、自らが征夷大将軍となり、尊氏は鎮守府将軍に押しとどめます。しかし、その後、讒言により後醍醐天皇によって鎌倉に幽閉されてしまい、結局足利尊氏の弟である義直に暗殺されたということになっています。(詳細は最後の年表をご覧ください)

その大塔宮が実は、鎌倉で死なずに義直の手引きで西大寺に入り、極楽寺の情報を使って活動をしていたと言うのが落合先生の説です。確かに、この説を前提に考えると、①大塔宮が殺された時に当時は必須であった「首実検」が行われていないこと ②後に尊氏と対立する義直が南朝に帰服したこと、などこれまで不審に感じていたことがすっきりとつながるように思います。

明治天皇になった長州の大室寅之助もこの大塔宮の系統であるとのことです。また、大塔宮が紀州の井口左近の館に逗留した時に左近の娘に産ませた子を家祖とするのが、落合先生の家系とつながる皇別の井口氏だということです。

南北朝問題に興味がある方にはぜひ読んで欲しい一冊です。

【南北朝時代の年表】興味のある方へ…
1317鎌倉幕府、皇位を大覚寺・寺明院両統の交互即位を定める。
1324後醍醐天皇の倒幕計画が発覚。(正中の変)
1327後醍醐天皇の皇子である護良親王(大塔宮)、天台座主となる。
13315月、後醍醐天皇の倒幕計画が発覚。(元弘の乱)
9月、楠木正成挙兵し、金剛山の赤坂城に籠る。
9月末、笠置陥落し、後醍醐天皇、捕えられる。
10月、赤坂城、陥落。楠木正成は戦死を装う
13323月、後醍醐天皇、隠岐に配流される。
4月、光厳天皇(北朝初代)即位
11月、大塔宮護良親王、吉野で挙兵。楠木正成赤坂城を奪還して千早城を拠点する
13331月、赤松円心、播磨で挙兵。楠木正成、天王寺で幕府軍を破る。
2月、吉野陥落。大塔宮は高野方面に逃れる。
幕府の大軍、赤坂城を落とし、千早城を包囲。楠木正成は知略でこれを防ぐ。
後醍醐天皇、隠岐を脱出。名和長年、天皇を奉じて船上山で挙兵。
5月、足利尊氏、幕府に叛き六波羅を落とす。新田義貞、鎌倉を落とし、北条氏が滅亡。
6月、後醍醐天皇、京都に還幸。大塔宮を征夷代将軍、尊氏を鎮守府将軍に任ずる。
13341月、建武の新政始まる。武士たち不平不満がつのる。
11月、大塔宮、足利との確執で捕えられて鎌倉に幽閉される
13357月、北条の遺児時行挙兵。足利直義軍を破り鎌倉を奪還。(中先代の乱)
直義、大塔宮を暗殺
8月、北条時行軍を破り鎌倉を奪還そのまま鎌倉に留まり朝廷の叛く。
12月、新田義貞、勅令を受けて尊氏と戦い敗れる。
13361月、後醍醐天皇、叡山に避難。尊氏、入京。奥羽鎮守府将軍、北畠顕家が駆けつけ、正成らとともに足利軍を破る。
4月、尊氏、九州で勢いを盛り返し、東上。
5月、足利軍が楠木軍と湊川で激突。正成、壮絶な最期をとげる
8月、尊氏のおす光明天皇が即位し、北朝が再建。
10月、後醍醐天皇、尊氏の講和案を受け入れ下山。
11月、後醍醐天皇、三種の神器(偽物)を光明天皇に渡す。
12月、後醍醐天皇、吉野に遷幸し南北朝時代始まる。
13373月、高師泰、新田義貞の籠る越前金ヶ崎城を落とす。
13385月、北畠顕家、堺石津川で戦死
7月、新田義貞、越前藤島で戦死
8月、足利尊氏、征夷大将軍となる。
13398月、後醍醐天皇薨去、後村上天皇即位
13481月、楠木正成の子正行、高師直と戦い戦死。
13508月、足利尊氏、義直の対立が激化。
12月、直義、南朝に帰服し、足利尊氏討伐の綸旨を得る
13522月、足利尊氏、義直を毒殺
13584月、足利尊氏、死去

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御朱印でめぐる 全国の神社---開運さんぽ を読む [関東]


御朱印でめぐる 全国の神社---開運さんぽ (地球の歩き方御朱印シリーズ)


最近、若い女性の間で「寺社仏閣の御朱印」を集める「御朱印ガール」が増えているそうですね。御朱印とは、神社や寺院で寺社の職員や僧侶、氏子さんなどが筆で寺社名や参拝日を書いて朱色の印を押してもらうものです。

私もよく寺社仏閣には行きますが、このような世界があるとは知りませんでした。先日、親戚の子の御朱印集めに付きあってその楽しさを知り、早速私も始めました。御朱印は頂く時に、お気持ちということで300円程度を支払うことが多いですが、お守りを買うよりも安上がりという考え方もありますね。

大宮にある武蔵一宮である氷川神社に行って頂いた御朱印を紹介します。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-02-21
通常は、社務所で御朱印帳を預けることが多いのですが、氷川神社では見ている前で筆で書いて頂きました。
hikawa_s.JPG


















氷川神社と言えば、地元川越にも川越氷川神社がありますので、御朱印を頂いてきました。(日付を見てお分かりのように、こちらを先に頂きました) 川越氷川神社は、大宮の総本社に較べると小じんまりとした神社ですが、縁結びの神様として地元の女性たちがよく訪れています。
また、NHKドラマで有名になった川越祭り(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-10-18)は、この川越氷川神社のお祭りです。
kawagoe_hikawa_s.JPG


















このように、後で見て神社を訪れた時の日付も分かりますので、集めることが楽しくなってきます。
また、実際に御朱印を頂きに行くと、若い女性だけでなく私のようなおじさん達も並んでいることも多く、幅広い世代の人たちが集めていることが分かりました。
これまで、神社やお寺をなんとなく訪れていましたが御朱印を頂くということで、また一つ楽しみが増えたように感じます。 正直に言うと、どうしてこんなに楽しいことを今まで知らなかったのだろう、と悔しく思ってます。(^^)

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日本全国この御朱印が凄い! 第壱集 増補改訂版 (地球の歩き方―御朱印シリーズ)御朱印ブック日本全国この御朱印が凄い! 第弐集 都道府県網羅版 (地球の歩き方御朱印シリーズ)はじめての御朱印ガイド全国御朱印図鑑御朱印でめぐる 江戸・東京の古寺 (BOOKS)新・かわいい御朱印めぐり   水の神さま・山の神さま・恋の神さまにごあいさつ決定版 御朱印入門京都の隠れた御朱印ブック

デビッド・ロックフェラーはお友達!「ドクター苫米地 「脳の履歴書」」 苫米地英人著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


自伝ドクター苫米地 脳の履歴書
この本は、このブログでも2回紹介しています。

・自伝ドクター苫米地 「脳の履歴書」 苫米地英人著 を読む
・自伝 ドクター苫米地「脳の履歴書」 を読む その2

こんなに書いて、まだ書くことあるの? と思われるかも知れませんが...。
先日、何気なくパラパラとこの本をめくったのですが、改めて読むと、この本には陰謀論者にとってはとんでもないことが書いてあったのです。私がいわゆる「陰謀論」に興味を持ったのは、3.11の大地震、福島原発事故がきっかけですので、この本が出た当時は、知識としては知っていましたが、あまり興味を持っていませんでした。
先日、世界の金融陰謀論、といった内容のアメリカのDVDを見ていたら、デビッド・ロックフェラーさんが出ていた。そういえば、昔この人と仲良くしていたな、こんなすごい人だったんだなと、つくづく思ったものだ。普通にお茶を飲む関係で、ただのいいおじいちゃんだと思っていたのだが、今改めて思えばこれほどの大物だったんだなと、ふと思った。三菱地所を退職するまでは、毎年クリスマスカードをやり取りしていたものだ。(中略)
私はデビッドさんとは常に「デビッド」「ヒデト」と呼び合っていた。

ロックフェラーと言えば、ロスチャイルドと並び、陰謀論の世界では2大巨頭というべき存在であり、そのロックフェラーのトップがデビッド・ロックフェラーです。ベンジャミン・フルフォード氏などは、このデビッド・ロックフェラーこそが世界を操っているイルミナティの元締めだと考えています。
この本には、そのデビッド・ロックフェラーとの思い出が書かれています。
「今日は面白いところでメシを食おう」といって連れていかれたのがロックフェラー・センターの近くにあるレストランだったのだが、このレストランはおそらく今でもあるだろうし、その存在は今も秘密のままなのかもしれない。
普通のレストランに入っていくと、そのまま奥のキッチンへ入っていく。なにしろデビッド・ロックフェラーさんだから、どこへ行っても当然顔パスだ。やぁやぁ、など手を振りながらさらにそのキッチンの奥へと行くと、上げ戸があり、そこを下ってさらに進むと超豪華なレストランスペースが広がっているのだ。かつての禁酒法の時代に作られたもので、さながら当時の映画に出てくる秘密バーそのものなのだ。もちろんそこはデビッド・ロックフェラーさんしか使えない。そこへ連れて行ってもらった日本人はおそらく私たちが最初だったろう。

苫米地先生は、三菱地所のロックフェラー・センター買収に関わったことで、デビッド・ロックフェラーと親しくなったそうです。苫米地先生のお父さんは、日本興業銀行(現みずほ銀行)常務を経て、和光証券社長、会長になったほどの人で、そのコネで三菱地所に入社したそうです。
そして、入社後、会計・財務を担当していましたが、それ以外にも新入社員時代から歴代社長に随行して通訳を担当していたそうです。以前紹介したように、苫米地先生は大学時代からサイマルで同時通訳をやってましたので、会社としてはサイマルの同時通訳者を雇うよりも安上がりということなのでしょうが、それによって後のロックフェラー・センターの買収に関わることになります。

三菱地所がロックフェラー・グループを買収した時に、日米同時に記者会見を行い、日本での記者会見では苫米地先生が通訳を行い、翌日の新聞に通訳した言葉がそのまま掲載されたそうです。
その会見の際、印象に残った質問があった。
「三菱とロックフェラーはなぜ親密になったのか」というものだったのだが、その答えの訳し方がなかなか難しかった。もちろん「いやお互いにロスチャイルド家にお世話になっていますからね」などと答えるわけにもいかない。

ロックフェラー・グループの買収の件は、どちらかと言えば「バブル時代の失敗例」のように書かれることが多いと思いますが、苫米地先生は大成功であったと主張します。
買収は大成功だったのだ。失敗だったのは売却のタイミングで、売る時期を半年間違えたのだ。あと半年ほど待てば1千億円は利益を出していたのだし、10年待てば5千億円の利益となっていただろう。何かしら仕掛けられているのだと思っているのだが、まさに最悪のタイミングで売却してしまったのだ。 (中略)それは何かというと、日本の一民間企業である三菱地所がロックフェラー・グループのオーナーになったということなのだ。(中略)それはあのデビッド・ロックフェラーと対等になったということであり、それだけで大成功なのだ。

また、デビッド・ロックフェラーがロックフェラー・センターを売却した理由は、以下の通りだそうです。
これはもう時効だから明らかにしていいと思うのだが、つまりなぜロックフェラー・センターを売却するのか、と私が直接尋ねた際、デビッドさんは明確に「遺産分与のためだ」と言っていた。

これ以外にも紹介した内容はたくさんありますが、この辺りでやめておきます。
苫米地先生、陰謀論に関して興味がある方はぜひ読んでみてください。

苫米地先生の他の本は、
・苫米地先生は気功師だった! 「気功」洗脳術
・これまでの速読法は間違っている! ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方
・携帯電話は危険か? あなたは常識に洗脳されている
・裏の権力者に担がれたオバマは真のリーダーではない! 「すごいリーダーは「脳」がちがう」
・この世に「フリーランチはない!」 FREE経済学入門
・洗脳支配
・洗脳原論
・頭の回転が50倍速くなる脳の作り方
・ビジネス成功脳 スピード構築
・まずは親を超えなさい!
・苫米地英人 宇宙を語る
・夢をかなえる洗脳力
・IQ200になる習慣
・年収が10倍アップする超金持ち脳の作り方
・スピリチュアリズム
・自伝ドクター苫米地 「脳の履歴書」
・自伝 ドクター苫米地「脳の履歴書」 を読む その2
・脳と心の洗い方
・営業は「洗脳」―一瞬でお客様を支配する禁断の営業術
・苫米地先生の「洗脳護身術」はトンデモ本か? それとも山本氏がドンデモか?

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「わが師 大山倍達」 高木薫著 を読む [格闘技]


わが師大山倍達―1200万人への道
大山館長に関する本です。

これは、真樹先生の「大山倍達との日々」が出された後、しばらくしてから出版されたもので、明らかに真樹先生の本に対抗するために出された本です。著者は、北海道支部長であった故高木薫先生です。

私は、北海道の地方支部に通っていましたので、高木先生の孫弟子ということになります。直接指導を受けたことは数えるほどですが、北海道大会がある時には札幌まで手伝いに出かけました。
その当時、高木先生は、千葉真一さん、真田広之さんと交友があり、大会の時にはよく来られていました。私が大会の受付をやっていた時、大柄な髭を蓄えた男が「千葉です!」とやって来た時は驚きました。ちょうど映画「戦国自衛隊」の撮影の時期だったらしく、そのままの服装だったと記憶しています。

高木先生は、城西大学で極真空手を始め、本部道場にも通うようになりました。大学の先輩に添野義二氏、後輩に三浦美幸氏がいます。昭和45年に大山館長に言われて支部を作るために北海道に渡ります。当時は、「空手バカ一代」の連載が始める前で、国内支部も黒崎健時氏の成増道場、真壁忠氏の秋田支部、芦原英幸氏の四国支部、添野義二氏の埼玉支部しかなかった頃です。

さて、なぜその高木先生がこのような本を書くことになったのでしょうか?
おそらく、真樹先生の本( 「大山倍達との日々」)が出たことで、ウィリーの片八百長の話や大山館長の武勇伝に関する疑惑など、体面を非常に気にする大山館長にはかなりショックだったのだと思います。そして、当時北海道支部長でありながら、なぜか館長の秘書のようなことをやっていた高木先生に、この本に対抗するような本を出すように強い(逆らえない)依頼(指示)があったのだと思います。

この本は、「第一章 大山倍達・神の手の軌跡」、「第二章 歴史は語る ―― 極真会館秘話」 と前半は、大山館長の伝説に関して書かれており、第三章 に高木先生の極真会館での修行、北海道での道場立ちあげの苦労などに関して書かれています。そして、「第四章 極真を去っていった同志たち」、「第五章 梶原一騎氏と真樹日佐夫氏」と続きます。
前半部は真樹先生の本で明らかになった、大山館長関連の神話の疑惑に関して、それを払拭するために書かれたような内容で、まあそれほど面白い内容ではありません。(^^)
後半部は、高木先生の修行時代から北海道支部を立ち上げるまでの苦労や、芦原氏、添野氏など極真会去った人たちとの思い出が書かれており、とても興味深い内容です。その中で、私が面白いと思った内容を紹介します。

1)芦原英幸氏、添野義二氏の件
高木先生が、大学時代に四国の芦原氏の道場で合宿をやった時の話です。
八幡浜に着いた私を芦原先輩は歓迎してくれた。酒の好きな私をもてなしてくれ、空手談義に花を咲かせながら先輩も私もだいぶいい心持ちになってきた。しかし、酒の強い私ではあったが、その夜はあまり深酒するわけにはいかなかった。明日の朝、東京から遅れてくる添野氏を八幡浜の駅まで迎えに行かなければならなかったからである。いい加減、酔いが回ってきたところで私は芦原先輩に言った。
「先輩、そろそろ寝ましょうよ。明日は、添野先輩を迎えに行かなきゃなりませんし・・・」
すると、
「いいよ、いいよ、あんなの放っときゃ一人で来るから」
と芦原氏。私もついついその気になり、深夜まで先輩に相手をする羽目になってしまった。そしてとうとう、添野先輩を迎えに行くことも忘れて、深酒をし朝方まで寝込んでしまったのである。
この時の合宿には、山崎照朝先輩も合流していた。
翌朝、合宿の電話のベルがけたたましく鳴った。私は、「しまった・・・」と思った。私宛の電話と聞いて受話器を取ると、案の定、添野”先輩”からであった。
「誰一人いないとはけしからん。高木、お前、今すぐに迎えに来い!」
私は慌てた。「放っときゃいい」と言っていた芦原先輩も慌て、山崎先輩も慌てた。城西大学の全員数十名をつれて、私たち三人は八幡浜駅へと急いだ。
私はこれを読んで、「芦原さんは、添野さんより先輩なのに、どうしてそんなに気を使っているんだろう」、「添野さんも先輩を呼びつけるとはどうなの?」と素直に思ったものでした。
しかし、この本は、真樹先生や芦原氏、添野氏など極真会を去った人たちをさりげなく貶めるのが目的の本であると思われますので、このまま素直に受け取るべきではないでしょう。少なくとも、「一日でも早く入門したら”先輩”」であり、上下関係の厳しい極真会で、上に書いたような芦原さんと添野さんの対応には、信じられないほどの違和感があります、とだけ書いておきます。

②真樹先生のお見合いの件
梶原先生は、大山館長と姻戚関係を結ぼうと考えていたように書かれています。
くわしい事情は私にも書けないが、また過去において梶原氏は、総裁のお嬢さんを真樹氏と結婚させ、総裁と姻戚関係を持つことによって「極真会館二代目館長・真樹日佐夫」、「三代目館長・梶原一騎長男」とういう構想を抱き、総裁に持ちかけたこともあったようだ。しかし、梶原氏からのこの話があってのち、大山総裁が真樹氏の”身辺”を調査してみると、「義理の息子に相応しからず・・・」という結論に達せざるを得ない行いが次々と出、この縁談(?)は結局、立ち消えになっていった。
これも、かなり真樹先生のことをひどく書いていますね。 以前書いた「大山倍達との日々」の内容で、あえて紹介しなかった件がこの件なのですが、高木先生がここまで書いているので、書いちゃいます。
「大山倍達との日々」は、月刊誌であるカラテマガジンに連載されていた内容がベースになっていますが、真樹先生が大山館長の三女とお見合いをした件に関しては、本の方には掲載されませんでした。真樹先生としては館長に対してかなり気を使ったのだと思います。
その当時、館長の娘さんはまだ18歳だったと記憶していますが、結局真樹先生には、当時付き合っていた女性がいたため先生の方から断わったそうです。先生は、奥さん以外に19歳年上の女性を亡くなるまで面倒をみていたことから分かるように、基本的に年上の女性が好みのようです。付き合うにしても20歳以上でなければ、とも思っていたようですので、可愛らしい館長の娘さんであっても断わらざるを得なかったのでしょうね。
真樹先生の小説には、主人公の通っている道場主の娘が主人公を思いつめた眼差しで見つめてくるような場面がよく出てきますが、おそらくこの当時の状況を反映しているのだと思います。
また、「マス大山カラテスクール」の広告に、真樹先生の紹介として、「大山倍達の後継者」との記載があり、その状況を知らなかった私としては、「真樹日佐夫って、『ワル』の原作者なのに、どうして?」と不思議に思っていました。

③梶原先生の漫画に高木先生登場の件
梶原先生の原作の劇画に高木先生が登場した事があります。
正直言って私としては、この両名(注:梶原先生と真樹先生)のことについてはあまり触れたくない。両氏に対し、嫌な思い出が一つあるからである。 『ボディーガード牙』というタイトルで、梶原氏がさる週刊誌に連載している時であった。主人公は大山倍達総裁をモデルにしたものであったが(仮名で)、そのなかに「北海道の高木」という人物が ”実名” で登場した。作品中に出てくる私「高木」は、「支部を七つも八つも持って商売だけうまい」とか「女性に色目を使っている」とか、何ともシマラナイ役であった。
これには、さすがに私も我慢ならなかった。実名で作品を書いているところから、梶原氏が大山総裁の義兄弟であることも忘れて、氏の事務所へ乗り込んでいった。そこには、弟の真樹氏もいた。両名は、
「やあ、やあ・・・」
と私を迎えたが、「何がやあやあだ・・・」と私。両名は震えていた。以後、その週刊誌の連載から、二週間にして私の名前は消えた。
この雑誌を私はリアルタイムで見ていました。その当時、北海道支部に通っていましたので、この本を本屋で立ち読みをした時は、ぶっ飛びました。(笑)
「北海道の高木って・・・」他にいないでしょ...
梶原先生の意図は分かりませんが、さすがにちょっと酷いな~と思いました。
まあ、高木先生が殴りこんで行ったとしてもケンカ好きな梶原先生と真樹先生の二人が喜ぶことはあっても、「震える」ことは絶対にないと思いますが...。
もしかすると、高木先生はこの件を大山館長に訴えたのかも知れませんね。

極真会館に関して興味がある方にはお勧めの一冊です。

それ以外の真樹先生の本です。
・時代が梶原先生を求めている! 「兄貴」 梶原一騎の夢の残骸
・真樹先生のすてごろ人生! すてごろ懺悔
・マッキーの最新作! 「哀しき空手王」
・真樹日佐夫の百花繚乱交遊録
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達の偶像崩壊! 「添野義二 極真鎮魂歌: 大山倍達外伝」 小島一志著 を読む 
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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マス大山カラテスクールBOX(7冊セット)真樹日佐夫の百花繚乱交遊録絶対に勝てるケンカの手順―実戦対応最新版 (BUDO‐RA BOOKS)哀しき空手王格闘家は女々しい奴が9割
すてごろ懺悔―あばよ、青春

「逆説の明治維新」 落合莞爾監修 を読む [落合莞爾]


逆説の明治維新 (別冊宝島 2315)

こんな本も出ていたのですね。気が付きませんでした。

監修が落合先生となっているので思わず買ってしまいました。
ムック版ですので、落合先生の”落合史観”の取っ掛かりの本としてはとても良いと思います。


内容は、明治維新の全体像を書いていますが、【巻頭特集2】として「明治維新の”陰謀”」と題され、落合先生が主張されている「堀川政略」について書かれています。

知られざる歴史の真実① 明治維新を断行させた「堀川政略」の秘密に迫る
知られざる歴史の真実② 幕府の終焉・大政奉還は徳川慶喜が計画した!?
知られざる歴史の真実③ 明治天皇は奇兵隊出身!?
知られざる歴史の真実④ 明治政府が発令した身分制度はインチキ!?
知られざる歴史の真実⑤ 龍馬を操った黒幕・尾崎三良って何者?

『落合秘史』シリーズ著者文筆家・落合莞爾が語る ”これぞ逆説”
これぞ逆説① 「ペリー来航」 外交を行っていたのは幕府ではなく國體天皇!
これぞ逆説② 「池田屋事件」 池田屋事件は予定のイベントだった
これぞ逆説③ 「長州征討」 長州征討を収束させるために将軍家茂の死去を偽装!
これぞ逆説④ 「八月十八日の政変」 マルクスの「共産党宣言」が政変の火種!?
これぞ逆説⑤ 「安政大獄」 安政の大獄は反発によるテロの誘因だった!
これぞ逆説⑥ 「薩長同盟」 みずからの正当性のため土佐を排除した薩長
これぞ逆説⑦ 「戊辰戦争」 孝明天皇から会津に支払われた義捐金
これぞ逆説⑧ 「廃仏毀釈」 土佐・佐賀の成果を盗用した薩長が維新の理念と精神を歪曲
これぞ逆説⑨ 「西南戦争」 土佐を士族反乱から救った陸奥宗光のリーク
これぞ逆説⑩ 「王政復古」 現存する「密勅」はただの下書きだった!

「堀川政策」に関する記載を紹介します。
当時から世界でも有数の経済規模を誇った日本の経済制度の近代性、社会における科学水準、道徳水準の高さなどを目の当りにした欧州諸国は、植民地化は困難と判断、幕府に貿易自由化とキリスト教布教解除を要求する。
その一方で、欧州諸国からの皇室国際化の要請を予測していた皇室は、開国に備えて政治・外交j・社会体制まで包含した大規模な国家戦略群をあらかじめ建てていた。それが「堀川政略」で、・・・
落合先生によると、江戸時代の経済は世界に先駆けて「先物取引」を行っており、欧州の富豪の財力をしのぐほどの長者が何人も存在したほどの規模であったそうです。そのような豊富な日本の資金を国際金融社会が放っておくことはありません。
「世界は一つ」、「金は天下の回りもの」、「ボーダレス経済」などと言ったかどうかは不明ですが(笑)、とにかく日本を開国させて、そのお金を世界経済(国際金融)に取り込もうとしたのでしょうね。

以上のように落合史観のポイントを知るには良い本だと思います。

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

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天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実金融ワンワールド 地球経済の管理者たち明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)

「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]


欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)


落合先生の最新作です。
最近の先生の本は、私には難解すぎて先生の発刊のペースに着いて行けてません。(笑)
順序が逆になりますが、興味ある方には、まずこの本を読んで欲しいと思います。

南朝皇統の話です。
南北朝時代の後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王が、足利尊氏の弟である直義の指図で鎌倉で殺された事にして京都の西大寺に入ります。その西大寺の莫大な資金を用いて熊野水軍に巨船を建造させ、大塔宮一族が海外に進出したというのです。(日本に残った一部巨船は「安宅船」と呼ばれた)
大塔宮が率いる南朝勢は、ベネルクス地方(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの三国)に入り、豊富な資金をベースにフランドル地方で莫大な富を築き、欧州貴族の家系に潜入して欧州貴族になったとのことです。その家系とは、具体的に現在のオランダ王家、オラニエ・ナッサウ家だということです。現在の皇室とオランダ王家との親密な関係はこの件が基本となっているのかも知れません。
そして400年後、ナポレオン戦争終結後の「欧州王室連合」が開いたウィーン会議で日本の強制開国が決定したことを、欧州大塔宮から京都の國体天皇に伝えてきたとのことです。

大筋だけ書くと、何とも皇統無形、いやいや荒唐無稽に感じると思います。(^^)
この落合秘史の内容は、落合先生が京都皇統代の舎人と言われる方から断片的に得られた情報を元に落合先生が洞察によって構築したものです。

上に書いた南朝が欧州王家に入ったという件もショッキングな話ですが、約20年にわたって落合先生に私淑してきた私としては以下の3点の方が大きな驚きでした。

①落合先生が天皇皇統の末裔だったこと
大塔若宮と呼ばれた輿良親王が、周防国田布施郷に入り、佐藤甚兵衛に護られて残した子孫は大室姓を称していました。紀伊国荒川郷調月村の井口左近の娘が生んだ王子が後花園皇統の基となった輿良親王ですが、一歳下の弟がいて代々井口左近を称しました。田布施大室と井口左近の両家には皇位継承権があり、これが大室寅之祐が明治天皇に即くことができた根本的理由なのです。
落合先生は、さらりと書いていますが、上記の井口家というのは、先生の家系です。先生の本を読むと「なぜ落合さんだけに特別な情報が入るのか?」と疑問に思われる方が多いと思いますが、京都皇統代の舎人が「先生にだけ」秘密の情報を伝えてきた理由はこれだったのですね。

この事実を知った後で、これまでの先生の秘史シリーズの本を読み直すと、この件は断片的に記載・示唆されていたことがわかりました。しかし、ここまで明確に記載したのは本書が初めてだと思います。
この本に関する書評をざっと読んでみましたが、この件に触れたものは見た事がありません。みなさんちゃんと読んでいるのでしょうか?(笑)

②貧乏公家と思っていた堤哲長が堀川政策の重要人物であったこと
「堀川政策」が定めた孝明天皇ご一家の堀川御所入りの時期が近付いた慶応ニ(1866)年、御所では國體(国体)資産として堀川御所に移すものと、「奇兵隊ノ天皇」の朝廷に遺しておく皇室資産の分離を進めていました。振り分け作業に当たった正三位右京大夫堤哲長は孝明の最側近で、実質侍従長といわれ、維新後に國體資産の管理人となる予定でした。
先生の代表作である「天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実」(1997年)で、先生に相談にきた吉薗明子氏の記憶から明子氏の父の吉薗周蔵氏の祖父は堤哲長であると推理する過程は、この本のクライマックスです。しかし、この当時先生は、堤家は名家ではあるが、「貧乏公家」だろうと推定していました。
しかし、その「貧乏公家」であるはずの堤哲長の子を生んだギンヅル(周蔵氏の祖母)は、維新後、山本権兵衛、上原勇作などの大物たちと交遊を行っており、「貧乏公家」というイメージとのギャップを私は感じていました。しかし、堤哲長が孝明天皇の実質侍従長であり、「堀川政策」の重要人物であったするとその疑問も氷解しました。

さらに驚かされたのは、佐伯祐三真贋事件に巻き込まれた吉薗明子氏のことです。

③普通の主婦と思っていた吉薗明子氏が唯者ではなかったこと
平成八(1996)年に吉薗明子氏は、意外なことを教えてくれたので、私は驚きました。下記のような内容です。

--フランスから上原勇作に指示があり、ニューカレドニアでニッケル鉱山が発見されたが、イギリスの妨害に遭うので経営を日本側に頼みたいと言われた上原が、これを堺利彦に命じたところ、堺は社会主義運動で忙しいため、井口米太郎(注:落合先生の祖父)に頼んだ。
普通の主婦が、このような親族である落合先生でさえも知らなかった特別な情報を持っていることはありえません。 先生は、この明子氏の情報源は大徳寺の立花大亀和尚だと判断しています。つまり、あの佐伯祐三真贋事件で美術界やマスコミに翻弄されたと考えられていた吉薗明子氏は、決して「普通の主婦」ではなかったということです。そして、その吉薗明子氏が落合先生を頼ってきたことは、単なる偶然でないことは明らかだと思います。

以上のように落合先生のファンであれば必読の書です。

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
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仙台と言えば やはり仙台大観音ですね! (2015年) [東北]

しばらくぶりに仙台大観音の紹介をします。

丘の上に建立されているので仙台のどこからでも見ることができます。普通の生活の中に突然現れる大観音がとてもシュールです。この大観音は、仙台の市制100周年を記念して高さ100mとされているそうで、お顔は仙台駅の方向を見ているとのことです。
DSCF1620.JPG
大観音の胎内の1Fにある十二神将の一つです。中国製のようですが、なかなかの造りです。
DSCF1650.JPG
これも1Fにある三十三観音です。こちらも見ごたえがあります。みなさん良いお顔をしています。
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DSCF1709.JPG
DSCF1712.JPG
エレベーターで12Fまで上がることができます。上から見ると1Fまで吹き抜けで、ライトアップされた螺旋階段がきれいです。
DSCF1675.JPG
観音様の胸あたりの窓から見たAEONはこのように見えます。
DSCF1667.JPG
AEONの駐車場から大観音を見るとこのように見えます。
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各階に観音様がいらっしゃいます。全部で百八体あるそうです。
DSCF1697.JPG
それぞれ違う種類の観音様です。
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DSCF1683.JPG
DSCF1682.JPG
近くで見るとやはり大きいですね。
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みなさんも仙台に行った時は、ぜひご覧ください。

「仙台大観音」に関して興味があれば...
・仙台と言えば...青葉城? 伊達政宗? いいえ「仙台大観音」です!
・仙台と言えば...やっぱり「仙台大観音」ですね!
・震災にも影響を受けず、仙台大観音 再び!
仙台大観音 三十六景とはいかないですが...
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何が問題のなの? 鼻血で大さわぎとなった 「美味しんぼ」 雁屋哲原作 を読む [震災・原発]


美味しんぼ 110 (ビッグコミックス)美味しんぼ 111 (ビッグコミックス)

90年代のグルメブームを作った漫画「美味しんぼ」に関してです。最近はほとんど読んでいませんが、初期の頃は夢中になって読んだものです。

今回紹介するのは、2014年にマスコミが「鼻血問題」で大々的に取り上げてバッシングした内容です。その当時、私は問題となった内容を読んでいなかったのですが、「鼻血」のことだけを取り上げて「風評被害」だと主張するマスコミの報道には違和感を感じていました。

あれから時間が経ちましたが、Kindle版で読んでみました。読んでみて「何が問題なの?」というのが正直な感想です。雑誌掲載時とは、記載表現が変更されているそうですが、福島県のいろいろな地域の状況を調べていて基本的には何も問題ない感じました。

「鼻血問題」がマスコミで取り上げられていた時に、福島に対する「風評被害」だ、というような論調が多かったと思います。しかし、福島と言っても広いので、原発のすぐ近くの地域と会津のように離れた地域では、放射線量が全く違います。それを区別せずに「福島に対する風評被害」だと言うこと自体、原発の近くの放射線量が高い地域に住んでいる人たちに対する配慮が欠けていると感じました。

私は、以前から猪苗代湖や裏磐梯にはよく行っていましたので、原発事故後は気になって線量を測ってみたことがありますが、裏磐梯の五色沼辺りは0.2μS程度で安心した覚えがあります。この「美味しんぼ」にも、会津の農家の作物の放射線量を測定して、数値的にまったく安全な数値でも「福島産だから」という風評被害で売り上げが落ちていることが書かれています。原発事故の議論をするのであれば、福島県という大きな括りで話をするのではなく、その地域の空間線量や収穫された作物の放射線量のデータを合わせて議論しないとまっとうな議論にならないと思います。

マスコミで話題となった「鼻血問題」ですが、変なバッシングは慎むべきでしょう。そもそも人体に対する放射線の影響に関しては不明な点が多いのです。年間100mS以下は安全という学者と100mS以下でも危険という学者がいて結論が出ていないのですから、マスコミが一方的に鼻血などありえないと主張するのはおかしな話です。
もちろん鼻血に関しては当然個人差があるでしょうから、福島県の同じ地域に住んでいても「私は鼻血なんかでたことない」という人がいても当然だと思いますが、それをもって鼻血が出た人のことを否定することはできません。
今の時期は多くの人が花粉症に悩まされていると思いますが、人によってその症状はさまざまです。同じ環境でもまったく平気な人、少し鼻水が出る人、ティッシュを手放せない人、頭痛がする人、熱が出る人...。今回の騒動は、「私も花粉症だが鼻水なんか出たことない」⇒「花粉症で鼻水がでることなんてありえない」と主張しているようなものですよね。
とにかく放射能の影響に関しては、分からないことが多いのですから、少しでも症状が出たら注視して情報を集めるべきだと思います。もし、放射能と鼻血に因果関係がないと主張をするのであれば、そのことをきちんと証明をして欲しいものです。

福島県の放射線量の問題に関しては、同じ漫画で小林よしのり氏が「脱原発論」で以下のように書いています。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-08-30
郡山の目抜き通りの空間線量が[毎時0.9マイクロシーベルト]なら、1年で[8ミリシーベルト]にもなる。
完全に日本の法律に違反しているではないか!
ここは国内法では人が住んではいけない所のはずだ!
山道の橋のたもとに超ホットスポット発見!
100を超えた! 120! 130! ち・・・ちょっとびびるな、こりゃ・・・ 230!、250!
おい! そろそろその場を離れよう。もう十分だろう! ヒバクしちゃうって!(小林氏)
結局この日は最高[330]を計測!
というような表現で書いていますが、「美味しんぼ」の時のように問題になった記憶はありません。朝生などで過激な発言をしている小林氏には、何かを言うと逆に反論される、あるいは、何を言ってもムダだと思っているからではないでしょうか?(笑)
結局、マスコミは叩きやすい所を叩くということなのでしょうね。

興味があれば一読をお勧めします。

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ウクライナ紛争はアメリカの陰謀だ! 「世界を操る支配者の正体」 馬渕睦夫著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


世界を操る支配者の正体
「ウクライナ危機の主導者はアメリカである」
「アメリカを操っているのは国際金融勢力である」
「ロシア革命はロシアのユダヤ人を解放するための革命だった」
などと主張すると、絶対に「陰謀論者」と言われると思います。

また、陰謀論の本か?と思わないでください。今回紹介する本の著者は、国際政治の専門家と言っていい方です。
以前、「戦後史の正体」孫崎享氏の本(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-02-02)を紹介した時にも書きましたが、まっとうな方がこのような主張をされると困るんですよね~。
私たち陰謀論者の立場がなくなります。(笑)

著者の馬渕睦夫氏は、1946年、京都府に生まれ。京大学法学部3年の時に外務公務員採用上級試験に合格して、大学を中退してすぐに外務省入省。1971年、研修先のイギリス・ケンブリッジ大学経済学部卒業。国際連合局社会協力課長、文化交流部文化第一課長等を歴任後、東京外務長歴任し、イギリス、インド、ソ連(当時)、イスラエル、タイ各大使館、ニューヨーク総領事館、EC日本政府代表部に勤務。2000年駐キューバ大使、2005年駐ウクライナ兼モルドバ大使を経て、2008年 11 月、外務省退官。同月防衛大学校教授に就任し、2011年3月定年退職という方です。元ウクライナ大使ですから、ウクライナ問題は詳しいでしょうね。

まずは、ウクライナ紛争に関して紹介します。ここで日本の安倍首相が出てくるとは思いませんでした。
ウクライナ危機は単にウクライナ国内の政争ではありません。聖書のヨハネ黙示録の予言にある世界最終戦争、すなわちハルマゲドンになる可能性を秘めた、きわめて危険な事態なのです。(中略)しかし、まだハルマゲドンを避ける望みがあります。カギを握るのはロシアのウラジーミル・プーチン大統領(1952年~)と安倍晋三総理(1954年~)です。

上のような話は、マスメディアではまず語られない内容ですよね。その理由として、馬渕氏は私たちはメディアを通して洗脳されていると書きます。前回紹介したベリー西村氏の本にも同様なことが書かれていましたね。
私たちは無意識のうちにメディアの報道に洗脳されているということです。私たちはあたかも自分の意見を持っているかの如くに錯覚していますが、これらの意見は自分の頭で考えた結果ではなく、メディアが報じる内容を鵜吞みにしているケースがほとんどではないかと私は見ています。
今回のウクライナ問題に関する欧米や日本の報道は、メディアが独自に報道を行っているわけではなく、何ものかによって一定の方向付けがされているのです。それを行っているのは、欧米の主要メディアを所有、あるいは影響力を持っている人たちによってだということです。

さて、いよいよウクライナ問題の核心に入ります。
馬渕氏は、今回のウクライナ紛争を陰で糸を引いているのはアメリカであり、そのアメリカを操っているのが国際金融勢力だと主張します。世界のほとんどの国々は、国際金融勢力の支配下にありますが、現状彼らの支配下にない数少ない国の一つがロシアだというのです。
偽装作戦を見破る方法は、ウクライナ危機の本質はプーチン抹殺にあるという視点から、一つ一つの出来事を私たち自らの頭で検証することです。つまり、ロシア愛国主義者のプーチン大統領を失脚させて、ロシアをグローバル市場に組みこむことが、ウクライナ危機の隠された目的なのです
プーチン抹殺とは、グローバル市場勢力、つまりアメリカの衣を着た国際金融勢力が、ウクライナ危機を口実に再びロシアを勢力下に置こうと企んでいる作戦のことです。 21 世紀の「ロシア革命」を意図しているのです。もちろん、今回の革命は共産主義革命ではありません。グローバル市場化革命なのです。
最近、ロシアの野党指導者ボリス・ネムツォフ氏が暗殺されましたね。メディアの報道を見ると、プーチン政権の関与を匂わせるものが多く、これも何か仕掛けられた事件の臭いがプンプンしてきますね。KGB出身であるプーチンに対して悪いイメージを刷り込むために仕掛けられた事件のようにも見えます。

そして、プーチンは日本の安倍首相にかなり期待しているということです。そして、表向きは同盟国であるアメリカが、中国や韓国の反日を煽っているというのです。
プーチン大統領が信頼し、期待している世界の指導者としては、安倍総理がそのうちの一人であることは間違いないでしょう。このことは、プーチン自身やラブロフ外相の発言からもうかがえます。
世界の中で、安倍総理を評価していないのはアメリカ、中国、韓国のたった3ヵ国に過ぎません。北朝鮮は安倍総理に期待しています。
安倍総理の北方領土交渉の切り札は、プーチン大統領に次のことを約束することになります。すなわち、「日本は朝野を挙げてロシア型の近代工業国家建設に協力する。具体的には、日本企業は合弁や投資などによって日本的経営方式をロシアに合う形でロシア企業に移転する。また、日本政府は産業政策や各種行政指導のノウハウをロシア政府に提供する。以上の官民による経済技術協力を全面的に行う」。 これに対し、プーチン大統領は北方四島の返還を決断する可能性は十分あると確信します。
この本を読んで驚いたのが、ウクライナの小学校で日本文学を教えていることです。小学校5年生で松尾芭蕉、高校2年生で川端康成の「千羽鶴」を必修科目として教えているそうです。「これらの日本文学の学習を通じて日本人の国民性を学ぶことにより、ウクライナとは違った文化を持つ日本及び日本人に対する尊敬の念を養う」(学習指導要領)だそうです。ぜひとも日教組に教えてあげたい事実ですね。(^^)

ロシアと言えば、「ロシア革命」ですが、以下のような真相があるそうです。
ロシア皇帝の圧政に苦しむロシア人が蜂起して帝政を転覆した革命では決してありません。ロシアの少数民族ユダヤ人を解放するために、国外に亡命していたユダヤ人がロンドン・シティやニューヨークのユダヤ系国際金融勢力の支援を受けて起こした革命であったのです。その意味で、ロシア革命ではなく「ユダヤ革命」と言うのが正しいのです。
【蛇足ですが】日露戦争の時に日本陸軍の明石元二郎は、ロシアの後方撹乱のためにロシア革命派に資金援助をしていました。落合先生によると、その額は実に1,000万円(現在価値で約1,000億円)であったと言います。そのうちレーニンの買収に100万円を使ったとも言われています。明石元二郎の実質的な上司が上原勇作であり、その上原は「ユダヤ」に加わっていたと言われていますので、馬渕氏の話とも整合しますね。(甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ:http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-06-22

最近のロシア情勢に異和感を感じている人にはぜひ読んで欲しい本です。

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STAP細胞は、盗まれた! 「STAP細胞は存在していた!」 ベリー西村著 を読む [歴史の真実・陰謀論]


STAP細胞は存在していた!_ 発覚!強奪されていた世紀の大発見


ベリー西村氏のSTAP細胞に関する本です。
みなさん、もうSTAP細胞なんて興味がないかも知れませんね。

2014年12月26日、STAP細胞はES細胞と誤認、又は混入の可能性があると理研により発表された。
2015年1月27日、理研横浜研究所OB、石川智久氏が「小保方晴子氏がES細胞を窃盗した」と刑事告発をほのめかした。
この報道により、日本国民のSTAP細胞への関心は更に遠のき、小保方氏やSTAP細胞の話題も人々から消え去っている。
これは、マスコミによる洗脳工作の完全勝利である
刑事告発に関しては、西村氏は以下のように書いています。
小保方氏が研究していた当時、ES細胞の所有権は、当然だが理研にある。一方、石川智久氏は横浜研究所の所属員であり社内備品の所有権はない。一社員だった石川智久氏が「ES細胞を盗んだ」と告発できる資格も立場にもないことは明白である。
西村氏は、日本のマスメディアは、世界を影で操る組織「イルミナティ」の完全支配下にあると主張します。いろいろな人たちが「イルミナティ」という言葉を使いますが、人によって定義が違うようです。
西村氏の言うイルミナティとは、世界の「闇の支配者」と言われ、世界トップに君臨している人たちのことです。
しかし、他の人が主張するように有名なロスチャイルドやロックフェラー一族などではないそうです。彼らは、ヨーロッパではなく、オーストラリアおよびニュージーランドに本拠地があるそうです。
このイルミナティが、日本はもとより世界の情報をコントロールしています。
読売、朝日、毎日新聞などがイルミナティ組織の一員だと言っているのではない。日本に於ける情報の元締めは共同通信という組織体である。
この共同通信から各新聞に流す情報を、各新聞社はそれをそのまま垂れ流しているのが現状である。特に地方の新聞などでは共同通信のクレジットがなしでは重要記事は発信しない。
この共同通信の元締めがロイターとAP通信である。
2014年12月26日、各新聞社は「STAP細胞はES細胞の混入か?」という記事を一斉に発信し、各テレビ局も追随した。これにより日本国民全員にその情報が浸透した。

西村氏は、その影でイルミナティは、STAP細胞の特許出願をアメリカ、オーストラリアに移行したと書いています。これは、特許のPCT出願の移行だと思いますが、「STAP細胞はない」と主張している理研がSTAP細胞の特許を取り下げていなかったことには驚きました。「STAP細胞はない」のであれば、特許の審査が通らないでしょうし、そもそも特許出願の意味ありません。ですので、やはり「STAP細胞はある」ということなのでしょう。
そして、小保方さんは理研を辞めていますので、理研がSTAP細胞の特許を小保方さんから奪ったことになります。西村氏は、イルミナティが特許を横取りしたと書いていますが、米国、豪州に出して特許の所有権はどうなっているのでしょうか? 現状では、確認できないので何とも言えません。

西村氏は、イルミナティを「アメリカのドルを自由に発行する権利を握った人たち」と言っています。
もちろんドルなどの金融面だけでなく、医療、情報、食料、教育、法律、軍隊を影で支配している組織をイルミナティという。(中略)
彼らはドルの価値を維持するためにはなんでもやる。これは誇張でもなんでもない。(中略)
イラクが石油取引でドルを使用しない動きが出たので、イラクを破壊したのである。
現在、イランが石油取引にドルを使用しないから制裁しているのである。(中略)
最近では2014年10月、ロシアはウクライナへの対抗処置として、約130億ドルのアメリカ国債を売り払った。それに激怒したイルミナティは原油安に誘導し、ルーブルの価値を落としロシアの経済をそぎ落としたのである。
そして西村氏は、STAP細胞は、(ES細胞+何らかのストレス)によって生じる細胞だと言います。この意味する所は、私には理解できませんが、とりあえず紹介しておきます。
以前も西村氏の本で「STAP細胞は、小保方さんの意識子(意識エネルギー)によって作り出された細胞であるので、他の人には再現できない」ということを紹介しました。それでは、イルミナティが小保方さんから横取りしても活用できないではないか? との疑問も湧きますが、
ところが以外(注:原文の通り)なことに、そのような人材が数多く存在しているのだ。
アメリカという国家は実に不思議な国で、過去より軍事目的を主としたエスパー能力者を多く排出し、人材的にはロシアと並んで宝庫と言えるほどの国家なのだ。 ブリガム・アンド・ウィメンズ病院研究者達は、小保方晴子氏がSTAP細胞を発見し、その仕組みを完全に理解した上で、研究員を配置済みだったのである。
ブリガム・アンド・ウィメンズ病院とは、STAP細胞論文の共著者であるチャールズ・バカンティ米ハーバード大教授が所属していた病院で、そこから2014年10月29日にSTAP細胞の特許出願がされているということです。

この本の内容はともかく、一連の小保方さん叩きは明らかに常軌を逸しています。武田邦彦教授も、理研の対応に異を唱えています。
STAP事件の真犯人―1 「発見」を「盗んだ」人(http://takedanet.com/archives/1018461270.html
STAP事件の真犯人―2 お金を狙った人(http://takedanet.com/archives/1018539647.html

興味ある方にはお勧めの一冊です。

ベリー西村氏の本です。
福島原発4号機は何故爆発したのか? 「原発マトリクス」 ベリー西村著 を読む
「マレーシア航空370便」 米中軍事ケシュ技術争奪戦の生贄 ベリー西村著を読む (1)
STAP細胞は再現できない大発見だ! 「マレーシア航空370便」 ベリー西村著を読む (2)

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改めてPK戦でのアジア杯の敗戦を考える [サッカー]

サッカー日本代表のアジアカップ、残念でしたね。
アジアカップでベスト8にも行けないようであれば、本田選手が言うようなワールドカップで優勝というのは夢のまた夢ですね。(^^)

それにしても、今回のPK戦での敗戦にはあらためて考えるべき事が多かったです。以前、このブログで、2010年のワールドカップでPK戦で負けた時に「「PKはしょうがない!」に異論あり! ごめんなさい! 岡田J!!」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-07-01)を書きました。

この時書いたのは、「(PKは強いものが勝つ!)PK戦は点を入れるか、失敗するかしかありませんので、各選手のPKの成功確率の高い方が勝ちます。つまり、強い方が勝つのです。」と書きました。この時は、3人目の駒野選手がPKを外して負けてしまったのですが、1人目遠藤選手、2人目長谷部選手、四人目本田選手は確実に決めていました。

ところが、今回は1人目のエース本田選手がゴール枠どころかとんでもない大ホームランを蹴り、もう一人のエースである香川選手も6人目に蹴り、ゴールポストに当てて外しました。ヨーロッパの一流クラブで何年もプレーし、代表経験も豊富な二人がなぜPKを外したのでしょうか?
特に、本田選手は代表はもちろんですが、所属しているミランでもチームメイトからボールを奪い取って自分でFKを蹴っており、プレッシャーがかかる状況でのプレースキックには慣れているはずです。

話は変わりますが、昨日(2015年1月24日)、同じオーストラリアで全豪オープンを戦っている錦織選手が3回戦を無難に勝ち上がりました。錦織選手は昨年の全米オープンで準優勝となり世界ランキングで5位に入っているトッププレーヤーですので、サッカーの日本代表とは立場がまったく違いますが、メンタルタフネスという意味では、参考になると思います。(追記:まだ試合を見ていませんが、4回戦もストレートで勝ちベスト8になったそうです)

UAEとの試合で日本代表は35本のシュートを打ちましたが、1得点しか取れていません。これでは、勝てるわけがありません。(それがPK戦までもつれこんだ理由です) サッカーは、どんなにシュートミスをしても最終的な得点が相手を上回れば勝つことができます。まあ、これがサッカーの面白さでもありますが...。

一方、テニスの場合は、サッカーと違って相手とポイントを取りあうスポーツですから、錦織選手がチャンスボールを35本ミスすれば、それは全部相手のポイントになってしまいます。ですので、テニスの場合はチャンスボールを確実に決めることが勝利への必須条件となります。(錦織選手もチャンコーチのもとで、チャンスボールを確実に決める練習を「部活」のように徹底して行っているそうです。(^^))

さて、PK戦の話です。これまで、どんなにミスしても決める時に決めればよかったサッカーの試合ですが、PK戦になると一転して、テニス方式のゲームに変わってしまいます。テニスのように、ミスをした時に相手のポイントになるわけではありませんが、確実に取るべきチームの得点が無くなり、直接負けにつながります。 これがPK戦でのプレッシャーが大きい理由です。
つまり、サッカー選手は、「絶対にシュートを決めなければならない、というプレッシャーには慣れていない」のです。

「でも、本田選手は同じアジアカップでPKを蹴って成功しているし、FKにも慣れているのでは?」との疑問もわいてくるでしょうが、考えて見てください。通常のPKやFKでは、ミスキックしても自チームのチャンスは無くなりますが、直接相手の勝利につながるようなことはないのです。FKはそうそう決まるものではないので、決まればラッキーという感じでしょうし、PKは確実に決めることを要求されると思いますが、それでもミスしても「しょうがない」という感じでしょう。

これは、PK戦の時の「ミスしたら負けてしまう」というプレッシャーとはまったく異なるもので、これが今回、本田選手がミスをした原因だと私は思っています。以前も書きましたが、日本代表クラスであればPKなどプレッシャーがなければ目をつぶっていても入るでしょうから、普通にPKの練習をしてもムダだと思います。
やるのであれば、キックターゲットのように決めるポイントを絞って狙うとか、以前書いたように「埼玉スタジアムを貸し切って、5万人を集めてPKの練習をする」などのように、ものすごくプレッシャーがかかる状況でPK練習をしないと意味がないと思います。(^^)

いろいろと偉そうに書いてしまいましたが、強豪相手にミスしたらダメというプレッシャーの中でウィナーを決めている錦織選手のメンタルタフネスに対して改めて尊敬の念を強くしました。ぜひとも優勝して欲しいです。

サッカー日本代表も、ぜひ見習って欲しいものですね。

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英語学習は修行ではない! 「イェール大学メソッドで 英語をものにする」 斉藤淳著 を読む [英語]


世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法
英語学習に関する本です。
著者の斉藤淳氏は、イェール大学の助教授から日本に戻り英語塾を作ったという変わった経歴の方です。
斉藤氏は1969年山形県生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、イェール大学大学院博士課程修了(Ph.D. 政治学)し、ウェズリアン大学客員助教授 ⇒ フランクリン・マーシャル大学助教授 ⇒ イェール大学助教授となり、2012年に帰国して、現在は英語塾「J Prep斉藤塾」代表とのことです。

「なぜイェール大学の助教授から英語塾に?」と思いますが、その理由は、
「イェール大学に留学してくる学生は、アジアでは中国、韓国の学生が多いが、その中で日本人だけ英語が下手」 イェール大に留学してくる学生は、日本では優秀だったはずですが、それなのに英語は下手くそ。このままで、日本の学生は大丈夫か?と危機感を持ったそうです。

斉藤氏は、「最も効率的な語学習得法についてはもうすでに一定の答えが世界的に確立している」と主張します。そして、イェール大の学生たちはその最短ルートで語学を勉強しており、3年で流暢な会話ができるレべルになるそうです。同じ上智 ⇒ イェール大で学んだ苫米地さんも英語学習について本を書いていますが、苫米地さんの場合は、「ネイティブと同じ英語脳を作る学習法」で、斉藤氏の場合は、「非ネイティブの学習法」という違いがあります。個人的には、斉藤氏の書いている方法の方が説得力があるように感じました。(^^)

お二人の主張で「動画を使って英語を学べ」ということは共通しています。英語が話されている状況を目で見て認識して、その時に使われている英語をリスニングするというものです。苫米地さんが良く言っている「英語の意味は状況に埋め込まれている」ということですね。

斉藤氏の主張でなるほどと思った事をピックアップしてみます。
・正しい発音はネイティブから学べない。
・声を1オクターブ下げて腹式呼吸で発声する。
・シャドーイングは単語に始まり演説に終わる。
・フォニックスによる発音練習が重要。(フォニックスって知りませんでした...)
・頭を使うだけでなく、全身でダイレクトに学ぶ。
・英会話は、大脳で考えるのではなく、反射的に言葉が出るまで練習する。
・論理的に読みながら英語の勘を養う。
・これと決めたら500回繰り返す。(いろいろな教材に手を出さない)

そして、一番なるほどと思ったのが、「英語の習得は修行ではない」ということです。
・英語学習はダラダラ長期間やっても成果につながらない
⇒ 期間を区切って短期集中でイッキに仕上げてしまう
・どのくらい英語の勉強を頑張ったかで評価しない。どのくらい英語が身に付いたかが重要。
・不適切な目標設定をして不適切な努力を長時間にわたって続けるのは止める

日本人はなんでも修行と捉えて、英語も「英語道」の修行と考えてしまう人が多いようです。
斉藤氏は、英語学習は自転車の習得と同じだと言います。短期間で集中して乗れるようになったら、自転車で遠くに出かけます。完璧を目指して毎日、自転車の練習を何年も続ける人はいませんよね?(笑)

英語学習に興味がある方にはお勧めの一冊です。

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10歳から身につく 問い、考え、表現する力―僕がイェール大で学び、教えたいこと (NHK出版新書 439)10歳から身につく 問い、考え、表現する力 僕がイェール大で学び、教えたいこと (NHK出版新書)自民党長期政権の政治経済学―利益誘導政治の自己矛盾

世界遺産の平泉の金色堂! 漫画 「奥州藤原四代」 横山まさみち著を読む。 [東北]


奥州藤原四代(1)
前回に引き続き、横山まさみち氏の歴史マンガシリーズです。
今回は、世界遺産になった平泉に黄金の浄土を再現した藤原氏四代の話です。

今回は、私の好きな平泉の話ですので少しは知識があります。(^^)
日本史の教科書には、平泉の中尊寺金色堂は写真付きで必ず載っています。そして、金色堂には藤原三代のミイラが埋葬されていることも書かれていましたね。しかし、なぜ忽然と東北の平泉に藤原氏が黄金の文化を築いたのかは、教科書を読んだだけではまったく分からないと思います。私も「前九年の役」や「後三年の役」など、語句としては覚えはしましたが、まったく内容は知りませんでした。

奥州藤原四代(2)奥州藤原氏の初代清衡の父である亘理権大夫(わたりのごんのたいふ)である藤原経清(つねきよ)は、平将門追討の功や百足退治の伝説で有名な藤原秀郷の子孫を称していました。
その当時の東北地方に住んでいる人たちは、蝦夷(えみし)や俘囚(ふしゅう)と呼ばれ、中央の貴族たちからは、蔑まれていました。当時の蝦夷の反乱を平定するために京都から送られたのが、「征夷大将軍」で、坂上田村麻呂が有名です。
中央からの出先機関としては、多賀城(現在の仙台の北)がありました。そこに派遣された国府軍がその北にある陸奥国、出羽国を管理していました。その当時、陸奥国の奥六郡(岩手、志和、稗貫、和賀、江刺、胆沢)は、俘囚の安倍一族が支配しており、豊富な黄金、駿馬を持ち一大勢力となっていました。藤原経清はその安倍一族の娘と結婚し、関係を深めます。

奥州藤原四代(3)【前九年の役】(安倍一族が滅亡)
・1051年、源頼義が陸奥鎮守府将軍となり、子である源義家(八幡太郎)と安倍一族の豊富な財宝を手に入れるため、大軍を率いて安倍氏を攻めます。
・藤原経清は、当初政府軍に従っていましたが、身の危険を感じて安倍一族側に加わります。これによって、安倍一族側が優勢となり、退却した将軍は僅か六騎で多賀城に逃げ帰ります。
・政府軍は策を練り、同じ蝦夷である出羽の清原一族を味方に付けることで勝利し、安部一族を滅ぼしました。藤原経清もとらえられ、恨みを持っていた源頼義は、わざと鈍刀でじわじわと首を切り、苦しめながら殺しました。
・経清には妻(安倍一族)との間に清衡が生れていましたが、経清が斬首された後、清原一族の武則が経清の妻と清衡親子を貰い受けたことで清衡は生き残ることができました。

【後三年の役】(清原一族が滅亡)
・清原武則の子となった清衡ですが、前妻の子である真衡、同じ母の子である家衡に挟まれて忍従の日々を過ごします。
・武則の死後、兄の真衡が清原一族を継ぎ、鎮守府将軍となります。そして、八幡太郎義家が陸奥守になり多賀城に赴任し、この地に源氏の基盤を築こうと狙っていました。
・1083年、真衡は、ささいな事がらをきっかけとして家衡、清衡を攻め落とそうと兵を挙げました。真衡は八幡太郎義家に援軍を依頼しますが、清衡は義家には戦う意志が無いことを示し、結局義家の介入で和解することになります。
・和解に納得しない真衡は、再度軍を進めますが突然亡くなります。(原因不明)
・その後、義家の領地分配に不満を持つ弟の家衡が清衡の館を急襲しますが、清衡は何とか逃げ出して助かります。その報を聞いた義家は、自分の調停に対する反乱と考え、清衡とともに家衡を攻め込み苦戦の末、1087年に家衡を打ちとり、清原一族は滅亡します。
・これで奥州を手に入れたと考えた義家ですが、朝廷はこの戦を清原一族の内紛に介入した「私闘」であると判断して、義家には何の恩賞も与えずに陸奥守を解任して京に戻しました。

この源義家の無念が源氏の宿意となり、義家は子孫に「我より七代目の子孫は必ず天下を取れ」との置文を残したことで、その子孫である足利尊氏が室町幕府を開く遠因となります。その前に源頼朝が朝廷の命令なしに源義経を匿った事を理由として平泉を攻め滅ぼしたことも、この義家の宿意が原因と言われています。(源氏の源頼朝が天下を取ったのですから、「我より七代目の・・・」は、もう良いような気がしますが...(^^))

さて、後三年の役の後、奥州の支配者となった藤原清衡は、前九年の役、後三年の役で夥しい数の兵士の命が亡くなったことを悲しみ、平泉に浄土の世界を作ろうと考えて、清衡が中尊寺、二代基衡が毛越寺、三代秀衡が無量光院が建立しました。

三代、100年に渡って栄華を誇った平泉も、秀衡の死後、10万とも言われる源頼朝の大軍勢によって滅ぼされてしまいます。この時、義経は平泉で死なず北に逃れ北海道に渡ったという伝説もありますが、これは井沢元彦氏の説でほぼ消えたと思います。このブログでも紹介しましたので、義経と金色堂に興味がある方は、そちらもご覧ください。(「義経は平泉で死んだ? 義経はここにいる 井沢元彦著 を読む」http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-01-01

平泉、藤原四代に興味がある方にはお勧めの本です。

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南北朝の抗争を描く、漫画 「太平記」 横山まさみち著を読む。 [社会]


太平記(一) 楠木正成 笠置の巻
みなさんは、「太平記」をご存じでしょうか?
はずかしながら、私は題名はよく聞くものの内容は全く知りませんでした。
時代的には、1320年~1370年までの話で北条氏の鎌倉時代末期から建武の新政、足利尊氏による室町幕府成立頃の話で、南北朝の争乱を描いた作品です。



太平記(二) 楠木正成 千早の巻
私は歴史は好きで、歴史関連の本をよく読みますが、振り返ってみるとこの時代に関してはほとんど知識が無いことが分かりました。後醍醐天皇、楠木正成、足利尊氏、新田義貞などの人物に関しても日本史の教科書で名前を習っただけの知識しかありません。
ですので、それぞれの人物についてまったくイメージも湧かない状態でした。



太平記(三) 足利尊氏 六波羅の巻
その理由を考えてみると、司馬遼太郎の小説にこの時代に関して書いたものが無かったからのようです。(笑)
源頼朝、義経の鎌倉幕府成立や斎藤道三から始まり織田信長、豊臣秀吉、徳川家康による天下統一、新選組、坂本龍馬、高杉晋作などの幕末、明治維新などは、私も繰り返し読んでいましたので、とても馴染みがありますが、太平記の時代がすっぽりと抜け落ちています。見事に「司馬史観」に洗脳されていますね。(笑)
ちなみに、司馬遼太郎が「太平記」の時代を書かなかったのは、単に「自分の美学に合わない」ことが理由のようです。

太平記(四) 足利尊氏 室町の巻

作者の横山まさみち氏は、歴史ものの漫画が多い方のようですが、「鉄人28号」や「バビル2世」の作者である横山光輝氏とは関連はありません。
さて、この横山まさみち氏の「太平記」ですが、全6巻で、それぞれ2巻ずつ楠木正成、足利尊氏、新田義貞に焦点を当てて描かれています。それぞれの人物を通して、違う視点から歴史の流れが描かれていて面白いです。



太平記(五) 新田義貞 鎌倉の巻
実は、最近の落合先生の一連の著書に書かれている、南北朝に関する記載、特に後醍醐天皇の息子で重要人物の大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)に関してもほとんど知識がありませんでした。戦前に教育を受けた方などは、この辺りの歴史は当たり前のように刷り込まれているのでしょうが、私たちの世代は、ほとんど知識がないと思います。



太平記(六) 新田義貞 燈明寺畷の巻

この横山氏の「太平記」を読むことで、南北朝時代の動乱、大塔宮の位置づけが理解でき、楠木正成の活躍、足利尊氏と新田義貞の確執など、いくつものドラマが楽しめます。
源頼朝、徳川家康などが就いた「征夷大将軍」という役職ですが、あくまでも天皇から任命されるものであり、その頂点には天皇が存在することが、この本を読むと実感します。足利尊氏は、後醍醐天皇(南朝)と戦う時には
北朝の天皇を担いで戦うことで、自分が「朝敵」になることを回避しつつ、自分の実権を拡大させていきました。
そして、国民の事を考えない人が頂点に立って政治をしてはいけないな~ということを再認識しました。

足利尊氏が下野国(しもつけのくに:栃木県)、新田義貞が上野国(こうずけのくに:群馬県)出身の武士であることも、埼玉県人としては親しみを覚えます。(^^) 特に、私がよく通っている栃木県佐野市の隣にある足利市が足利尊氏とゆかりがあるとは知りませんでした。次回は、足利の街を探索してみようと思います。
横山氏の描き方もあると思いますが、個人的には足利尊氏よりは新田義貞の方が好きですね。

南北朝問題に興味がある方にはお勧めの本です。

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「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む [落合莞爾]


明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌
最近、矢継ぎ早に出版されている落合莞爾先生の落合秘史の本に関する本です。
この本は、落合先生と斎藤充功氏がそれぞれの考えを書かれた文章の合間にお二人の対談が入っており、落合先生の著作を理解する上で非常にためになる本です。

斎藤充功氏は、1941年、東京生まれで東北大学工学部中退。ノンフィクション作家で、この落合先生との対談は、「フルベッキ写真」(明治維新の英傑たちが集まって極秘に撮影された写真との”伝説”がある)の解明を行ったことがきっかけのようです。

まず、落合秘史の内容を簡単に説明します。これは、以前このブログで紹介した、「孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-05-06)に書いた内容です。
(1)孝明天皇が崩御を装い、皇位を南朝皇統の大室寅之祐(おおむろとらのすけ)に譲る。
(2)睦仁親王及び、妹の皇女理宮も薨去を装い、隠れ家に隠棲する。
(3)隠れ家として、水戸(徳川)斉昭(慶喜の実父)が堀川通六条の本圀寺に「堀川御所」を造営する。
(4)大室寅之祐は睦仁親王と入れ替わり、孝明の偽装崩御後に践祚して政体天皇に就く。
(5)堀川御所に隠棲した孝明は國體天皇となり、政体に代わり皇室外交と国際金融を担当する。
これに加えて、最近の著書では、さらに「現在北朝と言われている現在の皇統は、実はもともと南朝系統であった」というDeepな内容も加わっており、なかなか普通に理解することは難しい内容となっています。

この本では、その難解な落合史観を、読者代表として斎藤充功氏が対談で質問して、切り込んでいくという形をとっており、落合先生の著作群の理解を深める参考書として非常にためになる本です。
今回の斎藤さんとの対談が、私にとって有意義だったのは、現状の教科書史観からすると荒唐無稽と謗られても仕方がない「落合洞察史観」に対し、「常人」の視点から数多くの質問をして戴いたことです。
質問がなければ答えようもなく、言い放しでは手応えもなくひたすら空しい思いをしていた私に、斎藤さんとの対談は、まさに「渡りに船」でした。(落合先生)
また、斎藤氏は、以下のように述べています。
落合秘史は”正史”をいくら読み解いても、常人では到達できない世界観 -- これこそが”落合秘史”の真髄であると言える。
情報ソースは「京都皇統代」であると落合さんは一連のシリーズで記しているが、残念ながら私を含めた一般読者はその実態を知ることもできなければ、知る術すらないのが現実である。
落合先生の裏の情報ソースは、「京都皇統代」ですが、そのベースの知識として「吉薗周蔵手記」があります。この手記を書いた吉薗周蔵氏について、先生は以下のように述べます。
-- 吉薗明子(周蔵氏の長女)の保護者が大徳寺と笹川良一ですよ。佐伯の真贋事件のときも、吉薗周蔵は”架空の人物”などと言われましたが、知る人ぞ知る人物ですよ、彼は。首相経験者のある大物政治家は、吉薗について、「笹川が怖れた唯一の男が吉薗周蔵だった」と取材に来た新聞記者に言ったそうです。以降、大手メディアは騒動から手を引いたんです。
また、落合先生の情報ソースに関しては、以下のように発言しています。
斎藤-- 改めて聞きますが、「さる筋」といのは具体的にどのような素性の方ですか。
落合--本にも書きましたが、高松宮様に仕えていた舎人で、高松宮様が亡くなられた後は「京都皇統代」の舎人と私は呼んでいます。
「落合史観」の特徴は「洞察」であり、文献は嘘を残す、文献主義は破綻するという考え方です。
私も落合先生の考え方に、基本的に同意します。例えば、日本でもどこかの国でも極秘事項や陰謀をきちんと正確に文章に残すでしょうか? そのような危ない証拠は残さない、というのが一般的な考え方だと思います。先生の指摘するように、後世の人たちをミスリードするためにきちんとした文書(偽書)を残すということの方があり得る話だと、私は考えます。

明治天皇の孫として、一部で有名な中丸薫氏に関しても興味深い発言があります。
斎藤 ―― つまり、堀川は睦仁親王と入れ替わった明治天皇の子どもではなく、京都皇統の睦仁親王の子どもという意味ですか。
落合 ―― そうです。だから、自らを明治天皇の孫と称する中丸薫女史の言説も厳密には間違いです。中丸女史が辰吉郎の子どもであることは間違いないと私はみている。しかし、明治天皇の孫を称することは違います。つまり、こういうことです。
辰吉郎は孝明天皇の皇子・睦仁親王の王子であって、大室寅之祐(すり替わった明治天皇)は辰吉郎の父親ではないのです。

落合史観に興味がある方にはお勧めの一冊です。

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

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金融ワンワールド 地球経済の管理者たち明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 (落合秘史)欧州王家となった南朝皇統 (落合秘史)

パリで600億円を蕩尽した男 「「バロン・サツマ」と呼ばれた男―薩摩治郎八とその時代」 村上 紀史郎著を読む [社会]


「バロン・サツマ」と呼ばれた男―薩摩治郎八とその時代


薩摩治郎八ってご存知でしょうか?
最近の方は、あまり知らないと思います。私も落合先生の本で初めて知りました。
薩摩治郎八の略歴を「朝日クロニクル週間20世紀の”ぜいたくの100年”」から抜き出してみます。

パリ社交界の寵児
薩摩治郎八はパリで「東洋のロックフェラー」とか「東洋の貴公子」と呼ばれ、祖父治兵衛を蓄えた財産を使い果たした。薩摩治兵衛は近江の貧農の出であったが、横浜で木綿織物などを扱い、外国商船とも幅広く取り引きをして、一代で巨富を築き木綿王といわれた。治郎八が生まれたころには、明治富豪26人のひとりに数えられていた。
治郎八は18歳でオックスフォード大学に学ぶという理由でロンドンに行き、毎月日本から1万円(今の価値でいうとおおよそ1億円位か)の仕送りを受けて車と女遊びに熱中した。大学など結局はどうでもよくなり、費用が要ればいくらでも追加の送金があった。当時のサラリーマンの月給は30円ぐらいである。
やがて2年ほどで治郎八はパリに移り、底が抜けたように金を使って社交界の名士になった。画家の藤田嗣治らと親しくなり、その紹介でジャン・コクトー、レイモン・ラディゲらと交際し、海老原喜之助、岡鹿之助、藤原義江らのパトロンとなり、プレーボーイでありながらケタ外れの散財によってスターのように注目された。

さらに付けくわえると、治郎八は、会津松平家のお姫様である千代と結婚してパリの社交界を闊歩しました。奥さんの千代は、フランスのファッション雑誌にも載るほどの美貌の持ち主でした。治郎八は、パリで今の貨幣価値で600億円にものぼるお金を蕩尽しつくし、戦後ほとんど一文無しで帰国してきました。
何とも豪快で、潔い一生のように見えますね。

この本は、この薩摩治郎八に関して残されている資料を調査し、コナン・ドイルやアラビアのロレンスとの会見などの伝説を含めて、これまで知られている治郎八の一生を再検証した労作です。著者の村上紀史郎氏は、1947年生まれ、「TBS調査情報」の編集を経て、現在はフリーランスの編集者です。文学、美術、建築、映画、ワイン、料理などの編集を手掛けているとのことです。

村上氏は、美術界には直接関わっていない方ですので、何のシガラミもなく落合莞爾先生や匠秀夫氏の吉薗周蔵関連の資料に関しても、「落合さんが採り上げている吉薗周蔵の佐伯関係の資料の真偽を確認できないので、こういう説があると紹介するにとどめたい」と書きつつも、きちんと紹介しています。この辺りは公平な判断だと思います。

治郎八がパリで活躍したのは、1920年代から1930年代にかけてです。この時代の日本は、好景気で多くの富豪(成金)たちが生れて、そしてその多くが大恐慌後によって没落していきました。その当時の状況に関する記載をみてみましょう。
第一次世界大戦中、<漁夫の利>を得た日本は、未曾有の好景気に沸いていた。なかでも造船業と海運業は濡れ手に粟の状況。交戦国の船はみな御用船となっているから、ロンドンに次ぐ船舶市場になっていた神戸に、船のチャーターや造船の注文が殺到したのである。例えば大戦前トン当りチャーター三円、船価五十円ほどだったのが、一九一七年にはチャーター内地三八円、ヨーロッパ四五円、船価八〇〇円から一〇〇〇円と高騰して船成金が続出した。

以前、ブログで紹介した国立西洋美術館にある松方コレクションを収集した松方幸次郎の川崎造船も、この好景気で大儲けし、多くの美術品を収集することができたのです。

1929年5月、薩摩治郎八が28歳の時にパリの南部のパリ国際大学都市に日本館が建築されますが、この建設資金を治郎八が出しました。(もちろん彼のお父さんが出したのですが) この日本館は外観は、日本の城を模した地上七階地下一階で、六十の客室を備えていました。そして、治朗八が援助していたパリの寵児であった藤田嗣治が書いた2枚の壁画が飾られていました。その開館式の夜は、パリ屈指の豪華ホテル、リッツで名士300人を招待した大晩餐会を開催し、現在の価格で1億円以上を使ったそうです。
この時期が、彼の絶頂期であったと言えるでしょう。その5カ月後にNYの株式市場で株の大暴落による世界恐慌が起こり、薩摩家もその波に飲み込まれてしまいました。

昭和の初期に、このような人物がパリを闊歩していたというのはとても興味深いです。

【蛇足】
この本のプロローグに面白い記載がありました。
「彼(治郎八)の死から二十年以上過ぎたある日、ぼくは同人誌の穴埋め記事のつもりで、治郎八と、パリで死んだ画家佐伯祐三との関係について書こうと思いたち、資料を調べ始めた。」
これまで公開されている資料では、治郎八と佐伯祐三は関わりが無かったということが定説となっていたはずですので、村上氏は落合先生の「天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実」を読んで治郎八と佐伯の関係に興味を持ったのだと思います。(治郎八が亡くなったのは、1976年で、落合先生の本の出版が1997年ですので、時期的にも整合します。)

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ベスト・カメラ2014はミラーレス機のX-T1に! 「日本カメラ 12月号」 を読む [写真]


日本カメラ 2014年 12月号 [雑誌]

以前、「これからはミラーレス一眼の時代か? 家電批評 「一眼カメラの選び方がわかる本」 を読む」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-05-06-1) で紹介したようにレンズ交換式デジタルカメラに関しては、一眼レフ ⇒ ミラーレス一眼 の流れが来ているようです。

今回紹介するのは、「日本カメラ」が毎年行っている、その年のベスト・カメラを選ぶ企画で、今年は上記の本でベストバイになった富士フイルムのX-T1が1位になりました。
この企画は、「現行250機種以上のカメラから2014年最も満足度の高いカメラを、また今年発売された50本以上のレンズの中からナンバーワンのレンズを決める!」というものです。(「日本カメラ」の執筆陣11名が投票して決めた) ちなみに昨年の1位は、今年も2位になったオリンパスのOM-D E-M1だったそうです。昨年からミラーレス一眼の一位が続いていることになります。

1位:富士フイルム X-T1 59点
2位:オリンパス OM-D E-M1 55点
3位:キヤノン EOS 7D MarkⅡ 52点
4位:ニコンD750 48点
5位:ニコンD810 40点



高評価の理由として、画質が良いことが一番に挙げられています。私はX-T1は持っていませんが、画質はほぼ同じX-E2を所有しているので画質が評価されたことはとてもうれしいですね。

また、ベスト・レンズにも私の使っている 「XF56mm F1.2R」 が4位に選ばれていました。これもうれしいことです。ただ、1位に選ばれたオリンパスの「M.ZUIKO DIGITAL ED 40~150㎜ F2.8PRO」は、11月29日発売(つまりまだ発売されていない)なのに、何で? という感じですね。
まあ、選考の方々はすでに入手して使っているのでしょうが、一般の人がまだ実物を見ていないものを1位にするのはどうかと思いました。

一眼レフとミラーレスに関しては、写真家の赤城耕一氏のコメントが興味深いですね。
「一眼レフの盤石さは認めるけど、これらを使う必然のある仕事が残念ながらないんだよね。」

デジタル一眼に興味がある方は、ぜひお読みください。

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英国人記者から見た日本 「連合国戦勝史観の虚妄」 ヘンリー・S・ストークス著を読む [社会]

英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄(祥伝社新書)
この本は、英国人記者であるストークス氏の視点で戦後の日本を見たものです。英国人の視点がとても新鮮です。
ヘンリー・S・ストークス氏は、1938年英国生まれ、61年オックスフォード大学修士課程修了後、62年ファイナンシャル・タイムズに入社。64年東京支局初代支局長、67年ザ・タイムズ東京支局長、78年ニューヨーク・タイムズ東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者として知られています。

私もストークス氏は、三島由紀夫の関連で名前を知りました。三島は自決した後、生前関連のあった人の所に霊として頻繁に現れたそうですが、ストークス氏の所にも現れたそうです。その時、「ストークスはシャベルで亡霊を殴りつけた」ということを知ってへ~っと思ったものでした。(笑)

イギリスで生れ育った私は、幼少のころから日本人は野蛮で残酷な民族であると、さんざん聞かされていた。ちょうど当時の日本人が「鬼畜米英」と聞かされていたのと同じことだ。戦後になっても、日本のおかげでアジアの植民地をすべて失ったイギリスの、日本に対する憎悪の感情は消えるばかりか、強まるばかりだった。そんな環境の中で、私の中にも、日本を憎む気持ちが、ごく自然に醸成されていた。
日本は、大東亜戦争で、その当時アジアを侵略して植民地にしていた英、仏、オランダなどの連合国軍と戦い、勝利して植民地から追い出しました。現在の良識で考えると、米英の国々がアジアの国々を侵略して植民地にしていた事自体が悪いことでなのですから、日本は良いことをしたと思っていました。しかし、ストークス氏が書くように、アジアの植民地を奪われた英国はそのことによって日本は憎悪の対象となっていたのですね。やはり米英の人たちは基本的にアジア人など同じ人間とは思っていないのでしょうね。

大東亜戦争は、日本の自衛のための戦いだった。それは戦後マッカーサーがアメリカに戻って議会で証言した「マッカーサー証言」によっても明らかだ。東京裁判は裁判の名にも値しない、無法の復讐劇だった。「南京大虐殺」にしても、信用できる証言は何一つとしてなく、そればかりか中国が外国人記者や企業人を使って世界に発信した謀略宣伝(プロパガンダ)であることが明らかになっている。「慰安婦問題」については論じるにも値しない。(中略)
もう一つ私が声を大にして言いたいのは、「南京」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、現在懸案になっている問題のほとんどは、日本人の側から中国や韓国に嗾けて、問題にしてもらったのが事実だということだ。この問題をどうするか、それは日本人が自分で考えなければならない。
ストークス氏は、現在、国際社会で「南京大虐殺はなかった」と言えば、もうその人は相手にされない状況となるという事実も指摘しています。氏の指摘するように、朝日新聞のように中国や韓国にお伺いを立てるような反日本的なマスコミや個人の活動に対して、世界的に失なった信用をどうやって回復するかが重要な課題ですね。

私は最近、ウインストン・チャーチルが妻のウイトニーとやりとりをした書簡を、読む機会があった。
日本人についてさまざまなエピソードを書いているが、許容範囲を逸脱した差別的表現で、日本人を侮蔑している。イギリス人からそのような醜い言葉が発せられたのを、耳にしたことはない。罵詈雑言というか、これでもかと貶める表現を使っていた。(中略) 数百年にわたって栄華を極めた大英帝国 - 日が沈むことがなと形容された - その版図があろうことか東洋の黄色い小人によって、一瞬にして崩壊させられてしまったという悔しさと、怒りがあったのだ。

英国に限らず、米英の人たちの根底には、日本人などアジア人に対する差別的感情があるのだと思います。何度も映画になっている「猿の惑星」は、日本人がモデルであることは有名な話です。米英人には、日本人があの映画の猿のように見えているというのが良く分かります。

ストークス氏の本で面白いのは、英国人である彼はアメリカ人に対して非常に許しがたい感情を持っていると感じる部分です。
マッカーサーは皇居を見下ろすこの建物に、総司令部を構えた。マッカーサーはすべてを、まるでドラマの場面のように演じた。自尊心の自家中毒によって病んでいた人間だった。(中略) しかし、私が受け入れ難いのは、その傲慢な態度だ。(中略)マッカーサーは、単に日本人への復讐や、アジアへの見せしめに加えて、世界へアメリカの正義を発信しようと、「東京裁判」という芝居を上演したのだ。
ストークス氏が幼稚園の頃に、彼の故郷であるのどかな田舎町に米軍の戦車が10台くらいやってきて子供達にチューインガムを放り投げた光景が、彼の心の底にあるそうです。それにしても、戦後の日本の「ギブ・ミー・チョコレート」のようなことが、戦時中の英国でもあったとは驚きですね。その時、ストークス氏は「アメリカの戦車を見て、本能的にアメリカ軍がわれわれの国を支配するようになるのだ」と感じたそうです。

さて、最後にこのブログでも何度か取り上げている白州次郎に関しての記載です。
俺はボランティアではない」というのが口癖で、金儲けに眼がなく、英国企業の日本進出を手助けし、成約金の五パーセントをロンドンの口座に振り込ませていた。生涯、豪奢な生活をした背景に、こうした手数料収入があった。
私は白州が傲慢で威張ってばかりいたから、好きにはなれなかった。自己顕示欲が強くて、いつも自慢話を言いふらしていた。(中略)
次郎は映画俳優のように男前で、流暢なイギリス英語を、反り返って、まるで人を見下すように話した。自分が関心を持たない人物がそばに来ると、無視するようにそっぽを向いて、無礼な態度をとった。それでも、イギリス人の友人たちが、次郎の博覧強記ぶりは驚嘆に値すると、語っていた。
ストークス氏は、マッカーサーや白州次郎など、傲慢な人間が大嫌いなようですね。(^^) ストークス氏は、「GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた、と自慢していた」と書いていますので、やはりこれは白州氏のホラ話、いや自慢話(笑)と考えた方が良いようですね。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-03-16

いろいろな意味で、非常に面白い本です。
みなさんにもぜひぜひ一読をお勧めします。

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なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか(祥伝社新書287)

「「金融ワンワールド」 落合莞爾著を読む」は、山本正樹氏のパクリか? [落合莞爾]

2012年5月29日に、このブログで書いた「「金融ワンワールド」 落合莞爾著を読む」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-05-29)に関して、読者の方から、
山本正樹さんの記事のパクリ?
とのコメントを頂きました。
山本氏に関しては、全く知りませんでしたがGoogleで検索を行い、以下の記事であることが分かりました。
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1256
読んで驚きました。確かに私の書いた内容と酷似しています。確かにこれを読むと私がパクったと思われても仕方がないと思いますが、山本氏のブログの日付は2012年7月2日となっており、私が内容をパクることはできません。
しかし、単なる一般ブロガーよりも元市議会議員の方が信用があるようです。早速、山本氏のブログに3回問い合わせを行いましたが、まったく無視されている状況です。当初はあまり気にしていなかったのですが、これだけ無視されるとさすがに私も黙っていることはできなくなりました。

山本氏と私のブログを見た人は、同様に私がパクったと思う可能性がありますので、山本氏と私のブログの比較をしたいと思います。青字が私のブログの文で、赤字が山本氏のブログの記載ピンク文字が私の注釈です。(RSS等では文字の色などが見にくいかも知れません。ご容赦ください。)
以下のように、私の創作した文章も山本氏のブログで書かれており、どちらが引用しているか明確だと思います。
-------(以下ブログ内容)-------

金融ワンワールド 地球経済の管理者たち落合先生が、『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』から15年、満を持して書かれた渾身の一冊です。
地球経済を統べる者たちは実在する・・・ ロンドンの金融界にビッグバンが生じた経済を見れば、世界の金融カジノに隠れオーナーが存在していることが容易に察せられる。それは通貨を創造して通用させ、国家に貸して金利を得てきた勢力、彼らこそが「金融ワンワールド」なのである。

9.11、3.11以降、陰謀史観の主役として「ユダヤ」、「フリーメンソン」、「イルミナティー」などが黒幕だと語られていますが、落合先生は個別の組織に関しては論じないで、その底流にある世界秘密結社の実体を自らの体験を元に述べています。

(私のブログ文)先生は、昭和60年頃、ウエスティングハウス・ジャパン副社長の水谷民彦氏、ニューヨーク工科大学の馬野周二氏と三人で「魔孫(マッソン)研究三人会合」を作り、そこでユダヤ人に関する知識を得たそうです。先生によると、昭和60年頃までの日本人はユダヤに関する正確な知識をほとんど持っていなかった鎖国状態であったそうです。 しかし一方、日本を離れて海外に住んでいた人たちはユダヤ人に関して詳しい知識を持っていたそうで、
⇒(山本氏ブログ)落合氏は、昭和60年頃、ウエスティングハウス・ジャパン副社長の水谷民彦氏、ニューヨーク工科大学の馬野周二氏と三人で「魔孫(マッソン)研究三人会合」を作り、そこでユダヤ人に関する研究をされたようである。著者によると、昭和60年頃までの日本人はユダヤに関する正確な知識をほとんど持っていなかった鎖国状態であったという。しかし一方、日本を離れて海外に住んでいた人たちはユダヤ人に関して詳しい知識を持っていた。

(私のブログ文)例えばNew York は「Jew York」と言われるほどユダヤ人が多いところですから、そこに住めばいやでもそれについて関心を持たざるを得ないのでしょう。 落合先生は、その「魔孫研究三人会合」で、ユダヤ人に関していろいろと知識を得たそうです。
⇒(山本氏ブログ)例えばNew York は「Jew York」と言われるほどユダヤ人が多いところだから、そこに住めばいやでもそれについて関心を持たざるを得ない。落合氏は、その「魔孫研究三人会合」で、ユダヤ人に関していろいろな知識を得ていくことになる。
(筆者注)「例えばNew York は「Jew York」と言われるほどユダヤ人が多いところですから、そこに住めばいやでもそれについて関心を持たざるを得ないのでしょう。」は、私の文章で、落合先生の本には記載がありません。

その中で注目すべきは、日本の新宗教に大きな影響を与えている大本教の出口王仁三郎がユダヤ、フリーメンソンに関して語っていたということです。これは恐らく先生が初めて指摘したことだと思われます。

(私のブログ文)王仁三郎はユダヤの神=「ガガアルの神」、フリーメンソン=「石屋の弥陀六爺さん」と比喩的に語っていますが、『神霊界』大正8年8月12日で以下のように言っています。
⇒(山本氏ブログ)王仁三郎はユダヤの神=「ガガアルの神」、フリーメンソン=「石屋の弥陀六爺さん」と比喩的に語っているが、『神霊界』大正8年8月12日で以下のように言っている。

(私の引用文をそのまま山本氏も引用)
支那の帝政を覆し露国の君主制を亡ぼし、次いで独逸その他の君主国を破壊したガガアルの悪神の御魂は、米国に渡りて、ウヰルソンの肉体を機関と致して世界を乱らし(中略)手を代え品を変えて日本の神国を奪る陰謀を、大仕掛けに致して居るから(後略)

(私のブログ文)つまり、王仁三郎は、清帝国が亡ぼした辛亥革命、ロシアのロマノフ王朝を亡ぼしたロシア革命を始めとしてドイツなどの君主制を亡ぼしたのはユダヤの神の仕業だと指摘しているのです。
⇒(山本氏ブログ)つまり、王仁三郎は、清帝国が亡ぼした辛亥革命、ロシアのロマノフ王朝を亡ぼしたロシア革命を始めとしてドイツなどの君主制を亡ぼしたのはユダヤの神の仕業だと指摘しているのだ。

(私のブログ文)もしそうだとすれば、日露戦争で、明石元二郎がロシアの後方撹乱を狙ってレーニンなどのロシア革命勢力に資金援助したことにより日露戦争に勝ったことは、これもユダヤに操られていたとも言えるように思えます。
⇒(山本氏ブログ)もしそうだとすれば、日露戦争で、明石元二郎がロシアの後方撹乱を狙ってレーニンなどのロシア革命勢力に資金援助したことにより日露戦争に勝ったことは、これもユダヤに操られていたとも言えるのかもしれない。(私が以前、書いたレポート「日本人の独自性」に引用した村松愛蔵氏の本のことを思い出していただきたい。)
(筆者注)この明石元二郎に関する記載も私の文章です。これに対してもコメントを付けて頂き、ありがたいことです。(笑)

(私のブログ文)さて、落合先生が「魔孫研究三人会合」で学んだことに、その後得た情報をまとめたものが、下記のユダヤに関する定義です。
⇒(山本氏ブログ)「魔孫研究三人会合」で学んだことに、その後得た情報をまとめたものが、下記のユダヤに関する定義である。
呼称 宗教 構成
シオニスト
(ユダヤ第一種)
ユダヤ教徒 A:スファラディ(セム系)、ミズラヒ(セム系) B:アシュケナージ(トルコ系)
イスラエルに住み、ニューヨークを徘徊するユダヤ教徒。
・スペイン~ポルトガルにかけてのユダヤ人をスファラディと呼ぶ。
・ドイツ~ポーランドにかけてのユダヤ人をアシュケナージと呼ぶ。全世界のユダヤ人の9割がアシュケナージ。人種的にはトルコ系白人種のハザール族。
・アジアに流移して回教圏に住んでいるユダヤ人をミズラヒと呼ぶ。
・オランダ人はスペインから逃げてきたユダヤ。
ワンワールド
(ユダヤ第二種)
看做しユダヤ ヴェネツィア・コスモポリタン(シュメル系)
宗教ワンワールド ― ヴァチカン
世界王室連合 ― 王侯貴族(金融ワンワールドに利用される)
白人至上主義者 ― WASP(ワスプ)
(軍事ワンワールド― 各国海軍将校・砲兵将校)
ユダヤと自称していないが、ユダヤと呼ばれている。俗にいう「フリーメンソン」のこと。ワンワールド・バンカー(国際銀行家)、コスモポリタン・ジュウとも呼ばれる。日本の皇室も世界王室連合に含まれる。
日本の九鬼水軍、村上水軍はコスモポタンの傍流を引き継いでいると思われる。
金融ワンワールド
(混在)
実質無宗教 ロスチャイルドモルガンロックフェラー

(筆者注)上記表は落合氏の本の内容を私がまとめ直したもので、山本氏がそのまま引用していますが、山本氏のブログでは表の枠が無くなっているので、
ヴェネツィア・コスモポリタン(シュメル系)
・宗教ワンワールド ― ヴァチカン
・世界王室連合 ― 王侯貴族(金融ワンワールドに利用される)
・白人至上主義者 ― WASP(ワスプ)

が、「シオニスト」に分類されるように書かれていますが、間違いです。「ワンワールド」の分類となります。


(私のブログ文)日本の皇室も上の表にある世界王室連合に取り込まれ、「金融ワンワールド」に利用されているとのことです。
⇒(山本氏ブログ)日本の皇室も上の表にある世界王室連合に取り込まれ、「金融ワンワールド」に利用されている?

一時期、Web上で「大室天皇」に関して話題になりました。これは、明治維新の時に南朝の血統である大室寅之祐が睦仁親王と交替し、明治天皇として即位した、という話です。初めて聞いた人には荒唐無稽とも思える説ですが、いろいろと調べてみると説得力のある話でもあります。

(私のブログ文)落合先生は京都皇統から情報を得たようで、以下のように述べています。
⇒(山本氏ブログ)落合氏は、京都皇統から情報を得たようで、以下のように述べている。

(私の引用文をそのまま山本氏も引用)
ウィーン会議により成立した欧州王室連合の世界戦略に対する対応策として、孝明天皇が崩御を装い、皇太子睦仁親王と倶に、堀川通り本圀寺内の堀川御所に隠れ、以後はシャーマンとして国家安泰を祈りながら、国際天皇となります。公的な皇室は、南朝血統の大室寅之祐が睦仁親王と交替し、明治天皇として即位します。
こうして、明治維新後の皇室は、表裏二元に分離し、表は東京皇室の明治天皇が大日本天皇として公式に臣民に君臨し、裏では京都皇統が秘かに国際事項に対処します。すなわち、外交面ではワンワールドの海洋勢力に与し、大陸・満洲政策に対処するため、革命党の孫文、清朝皇室の愛新覚羅醇親王、満洲の覇王張作霖の三者を等距離においてロシアの南下に対応しました。また国際金融面では、J.P.モルガンと組んで中国の鉄道金融に参加し、ロスチャイルドに協力して金本位制の創設に尽しました。

これ以外にも、経済評論家である落合先生ならではの所論がたくさん書かれています。

(私のブログ文)世界の経済は「金融ワンワールド」が裏で糸を引いており、彼らが儲かるような仕組みが考えられて各国の経済を牛耳っているということです。その基本的な方法は、戦争の勝ち負けなど国家レベルの情報を操作して株価を底値まで落として買いまくり、その後に株価が上がるような情報を流して大儲けするというものです。
⇒(山本氏ブログ)世界の経済は「金融ワンワールド」が裏で糸を引いており、彼らが儲かるような仕組みが考えられて各国の経済を牛耳っている。その基本的な方法は、戦争の勝ち負けなど国家レベルの情報を操作して株価を底値まで落として買いまくり、その後に株価が上がるような情報を流して大儲けするというものである。

(私の引用文をそのまま山本氏も引用)
・ギリシャ国債の例でも判るように、国政を担当する政治家・官僚が根本的にウソを吐いているであるから、国家の下働きをしている学校やメデイアがウソを吐くのは当然である。
・債務者に何の関係も有しない金融業者が、誰に頼まれもしないのに、当該債務者の倒産による損失を補償する契約を売り出したのが、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)であり金融工学が生んだバクチ商品である。そもそも保険とバクチは、同じ本質の異なる表現であり、賭博にはとかくインチキが付き物である。
・ヴェネツイア・コスモポリタンが信用創造を制度化して信用通貨制度を発明し、「金融ワンワールド」の萌芽を作った。
・1995年から始まった日銀のゼロ金利政策は何処かから強制されて実行したものである。
・商工ローンは、金融バブルに参加しなかった金持ちを連帯保証人にして、そこから金をむしり取るためのシステムである。これは偶然ではなく、日本社会を崩壊させようという計画であった。
・FRBとThe CITYに低金利を強制したのは「金融ワンワールド」で、これはアメリカとイギリスの住宅バブルを煽り、しかもそれを行き過ぎるまで持続させるためであった。

(筆者注)上記の文は、落合先生の本の中から私が興味深いと思った内容を列挙したものです。それをそのまま引用しているのも面白いです。

まさに落合先生の「落合ワールド」が堪能できる一冊です。
ここではあまり紹介しませんでしたが、日本の歴史、日本人のルーツに興味がある方には必読の書だと言えるでしょう。
-------(以下ブログ内容引用終了)-------

読みにくい内容で申し訳ありません。
書いていて空しくなる内容ですが、私がパクったと思われるのもいやなので、しょうがなく書きました
今回の山本氏の対応には、疑問を持たざるを得ません。一ブロガーの質問などに答える暇はないということでしょうかね?

落合先生に関してはこちらもどうぞ。
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

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天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実


ブログのアクセス数は検索エンジンが命? [社会]

みなさん、いつもブログを読んで頂いてありがとうございます。

このブログですが、2013年の11月に100万アクセスと突破しました。本当にありがたいことです。
その後も、一日600~800人の人に訪問して頂いていましたが、下のグラフのように6月30日からアクセス数が急降下しました。
6月ランキング.JPG
当初は、「まあ、そんな日もあるよ!」と気楽に考えていたのですが、次の日も、そしてその次の日も一向にアクセス数が伸びる気配が見えず、ランキングも落ち続けました。そして、総合ランキングが800位程度だったものが、3,000~4,000位くらいまで落ち込み、「本」のテーマランキングでも5位から20位以下まで転落しました。(-_-;)

そこまでランキングが下がって、何とかしようと考えて原因を調査しました。原因は、どうやら検索エンジン(Google、Yahoo! など)からの訪問客が減ったことでした。それまでは、一日200~300人が検索エンジンからこのブログに来て頂いていたのですが、6月末以降は、一日10人~20人にまで落ち込んでいました。
検索エンジンのランキングの急落というのは、検索エンジンのアルゴリズム更新の時によく起こる話のようで、Googleで検索しても、いろいろな方の経験談が出てきます。私もそれを読んで、いろいろと思い当たるようなものは対策を打ちました。

そして、9月に入ってから何とかランキングも上昇してきて、「本」のテーマランキングでも5位に戻ることができました。調べてみると、検索エンジンからの訪問者もほぼ元の通りに戻っていました。
9月ランキング.JPG
しかし、正直言って、何が原因で検索エンジンのランキングが下がり、そして元に戻ったのか分かりません。私の打った施策が効果があったのか無かったのかも分かりません。(おそらく効果は無かったように感じます)

私は、もともとブログでほとんど稼いでいないので、今回のようにアクセス数が激減しても自分のモチベーションにしか影響しませんが、検索エンジンからのアクセスでビジネスをやっている人にとっては死活問題だと感じました。もし、自分でお店を開いて、ある時期からお客さんが1/10に激減したことを想像すると恐ろしくなります。

今回の件でネットを利用したビジネスは、GoogleやYahoo! などの検索エンジンの会社に首根っこを押さえられているということ実感しました。 みなさんも、ご注意を!

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錦織選手おめでとう! 日本人チャンピオンも夢ではない! 全米オープン準優勝 [テニス]

錦織選手、全米オープン準優勝おめでとう!

今年の全米オープンは、久しぶりに興奮しましたね。
すぐにブログに書こうかと思いましたが、少し時間を置いて冷静になって書くことにしました。

私は一時テニスにはまっていましたので、テニスの試合は良く見ていましたが、ここ10年くらいはほとんど見ていませんでした。今回の全米オープンも錦織選手がベスト8に上がるまでは、全然興味が湧きませんでした。

錦織選手が有望な選手であるのは確かなのでしょうが、私は世界の壁はとても厚いことを知っていました。錦織選手がプロになった時に松岡修造氏が、「みなさん、日本にボルグやベッカーが出て来たと考えて下さい!」というようなことをコメントしていました。
私はこれを聞いて、ちょっと白けてしまいました。ウィンブルドン5連覇のボルグに憧れてテニスを始め、彗星のように現れて17歳でウィンブルドン初優勝をはたしたベッカーに衝撃を受けた私には、松岡氏のコメントは全く真実味を感じませんでした。「また、松岡が大げさなことを言っている...」ってな感じです。(笑)

さて、錦織選手がベスト8に上がって、ニュースでもたくさん取り上げられるようになって、錦織選手のコーチがマイケル・チャンであることを知りました。これには驚き、そして俄然興味が湧いてきました。そして、ここで紹介されている動画を見て、「もっともっと上に上がれる!」と確信しました。技術的には、すでにトップクラスです。あとは、メンタルの強さと体力が付けば...。
http://rocketnews24.com/2014/09/04/483792/

コーチのマイケル・チャンは、台湾系の米国人です。全く無名であった1989年のフレンチ・オープンで17歳3ヶ月で最年少優勝を果たし、最高ランキング2位にもなった名選手です。全仏で優勝した当時は173cmと小柄でしたが、強いメンタルと素早く、粘り強いストロークでしぶとく勝ち上がりました。

特に印象に残っているのが、当時王者として君臨していたレンドルとの準決勝戦です。2セット先取されてから2セットを連続して奪取してイーブンにします。そして、ファイナルセットでゲームカウント2-1になった時点で、チャンの足がつってしまいます。

当時は、インジャリータイムを取れなかったので試合を続けるしかありません。普通だったら、棄権するところです。しかし、チャンは諦めませんでした。休憩タイムに大量のボトルの水を飲み続け、プレイの合間にも審判に注意されながらも水を飲み続けます。そして、プレーでは大きな山なりのゆるいループボールを打って、レンドルの強打を封じ、サーブではアンダーサーブを打ったりして徹底的にレンドルの集中力を乱しました。

そして、チャンのマッチポイントでは、レンドルのセカンドサーブでサービスラインの手前まで前に出てプレシャーをかけて、ダブルフォールトを誘って勝ってしまいました。
チャンが試合中に会場からのブーイングを浴び、王者レンドルからクレームを受けたり、審判の注意を受けながらもプレーの合間に水を飲み続けているのを見て、なんて精神的にタフなんだ、とショックを受けました。

ここまで手段を選ばず、勝ちに拘ることは日本人にはできないだろうな~」と感じました。もし、チャンのコーチが松岡修造氏だったとしたら、「そんなことしたら、レンドルさんに失礼だろ! 相手はチャンピオンだぞ!」と怒鳴られていたでしょう。(笑)

また、全仏オープン優勝の前年、全米オープンの前にマイケル・チャンのプレーを見たあるコーチは、「君の才能は素晴らしい! あと2,3年すれば全米オープンで優勝できるだろう」と賛辞を贈ったそうですが、チャンは、「どうして、今じゃなくて2,3年後なのか?」と尋ねたそうです。(^^)

このチャンの自分に対する自信、メンタルの強さ、勝利への徹底的なこだわりが錦織選手に引き継がれれば、グランドスラム大会での優勝も夢ではない。
いや~ぁ、あと5年は世界で活躍してくれそうですので期待を持ってしまいます。頑張れ、錦織選手!

【2014.10.26追記】https://www.youtube.com/watch?v=LfoYUQIsrg4
この動画にある、錦織選手とチャンの対談が面白い。
特に2011年のバーゼル大会の決勝でフェデラーに完敗したことに関してのチャンのコメントが最高です。
「フェデラー戦であなたは一つの大きなミスを犯しましたね。」
「準決勝後のインタビューであなたはこう言いました。「フェデラーと決勝で対戦するなんてワクワクします。彼は偉大な選手で昔から私の憧れの選手なのです。」」
「コートの外で誰かを尊敬するのは構いません。しかしコートに入ったら「お前は私にとって邪魔な存在なんだ」と言い切る決意が必要なんです。」
優勝するのはお前じゃない! 俺だ! という気持ちでなければ戦う前に負けています。
このメンタリティーが錦織選手にも身についてきていますね。
【2015.06.19追記】
全米オープンの時に、錦織選手のフルセットになった時の勝率は歴代1位だったそうです。これにはビックリしました。歴代1位は私の永遠のアイドルであり、「アイスマン」、「鉄人」と言われたメンタルタフネスの権化であるビヨン・ボルグだとずっと思いこんでいました。錦織選手がすでにそのボルグを越えていたとは! すごいとしか言いようがありません。

マイケル・チャン VS マッケンローの懐かしい画像がありました。この頃、チャンは17歳です。
https://youtu.be/hRGfaMFpUuo

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日本は現存する唯一の古代国家 「日本人はなぜ日本のことを知らないのか」 竹田恒泰著を読む [社会]


日本人はなぜ日本のことを知らないのか (PHP新書)


ご存じ、明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏の本です。

この本は、「日本は現存する唯一の古代国家」であるという事を、当時者である日本人がほとんど知らないことに問題意識を持ち、そのことを多くの人に知ってもらうために書きました。
学校教育で建国の歴史を教えない国は、世界中で、日本だけではなかろうか。我が国は現存する世界最古の国家である。日本人なら素直に喜び、誇りに思えるこの重大な事実を、なぜ日本人は知らないのか。
日本が最古の国であることを知ったとき、私は心から感動し、「日本はすごい国なんだ」と思った。これほど日本人に誇りを持たせる重要な歴史を教えないとは、不自然極まりない。
そしてその結果、現在の日本は、建国記念の日に建国を祝う国民がほとんどいないという、世界的に見て、極めて異常な状況にある。日本国が存在することのありがたさを、日本人は実感していない。これは国家・民族の危機であろう。戦後教育の誤りは、国を滅亡させる力をも発揮しうるのである。

日本の建国は、「日本書記」によれば、初代神武天皇が即位した紀元前660年(約2700年前)となります。ところが、これは、考古学会から反対があり、学界としては認められていないようです。
ちなみに、大東亜戦争開戦の前年の1940年(昭和15年)に神武天皇即位から2600年を記念した「紀元二千六百年記念行事」が日本政府が中心となって祝われました。
竹田氏は、三世紀前期に奈良県の三輪山の麓にある纒向遺跡(前方後円墳)が作られたことがヤマト王権の成立であるとみなしています。纒向遺跡のような巨大な墳墓を作るためには、膨大な費用と人工が必要であり、それを調達できる強大な国家が成立していたとの判断で、至極まっとうな意見だと思います。(個人的には、日本建国は神武天皇まで遡ると思っていますが...)
この計算では、日本の建国は約1800年前となります。
ちなみにこの本に書かれている日本以外の国の建国は、以下の通りです。日本がダントツの一位ですね。
1位:日本(1800年以上前)
2位:デンマーク(約1000年前)
3位:英国(約950年前)
<国連の常任理事国の建国>
アメリカ:約240年前
フランス:約225年前
中華人民共和国:65年前
ロシア:23年前

このように世界に誇るべき日本の歴史を、当の日本人はほとんど知りません。その理由は、私たちが学んだ日本の歴史の教科書にそのような誇るべきことは書かれていないからです。
これは、米国の日本的なものを徹底的に貶めた占領政策と、何と言っても日教組の力が大きいと思います。戦前は、普通に教えていた古事記や日本書紀など建国に関わる古代の神話に関して、戦後は何も教えていないのです。
日本の天皇は、初代の神武天皇から今上天皇まで途切れることなく続いています。異論のある方もあるかと思いますが、少なくとも人民から攻め滅ぼされることなく、日本の統治者として君臨し続けてきたことは事実です。鎌倉時代から武家政権になりますが、天皇家を滅ぼして自分が日本の頂点に登ったものはいません。

現在の皇居は、もとは江戸城だったので別ですが、本来皇居にはお堀もなければ、城壁もありません。その必要がなかったからです。誰も天皇を攻めて、自分が日本の皇帝になろうと思った人はいないのです。源頼朝も徳川家康も征夷大将軍という朝廷の官位を天皇から任命される立場であり、天皇の臣下だったのです。

私たちは、歴史でお隣の中国が、随、唐、宋、元、明など王朝がどんどん移り変わるのを学んできましたが、日本自体は、その国体がずっと変わっていないという世界的に見ても特殊な国であることを全く認識していないと思います。このような事こそ、学校できちんと教えるべきですね。

ところが、私たちの頃もそうでしょうが、現在の日本の教科書には初代天皇である神武天皇の記載がなく、天皇とは日本人にとってどのような存在であるかも教えていません。
「国内では地方の豪族が反乱をおこし、政権のなかでも、豪族どうしの争いが続きました」の一文の後に、なんと、ここで突如、天皇が登場する。次の文である。
「女帝の推古天皇が即位すると、おいの聖徳太子が摂政となり、蘇我馬子と協力しながら、中国や朝鮮に学んで、天皇を中心とする政治制度を整えようとしました」
日本の歴史の教科書に登場する最初の天皇は、第三十三代推古天皇だった。しかも、三十三代であることは本文から読みとることはできない。「豪族どうしの争い」の結果、推古天皇が勝利を収めて初代天皇に即位したかのような書きぶりである。実際、推古天皇が初代天皇と勘違いしている中学生は多い。

私も、神武天皇に関しては、学校ではなく手塚治虫の「火の鳥」で知ったと記憶しています。
「何でも○国が起源」、「○国が世界一」などと捏造することが必要な国とは違い、日本には世界に誇れるものがあるのですから、事実を正確に子供たちに教えて欲しいと思います。

竹田氏は、世界的な歴史学者であるアーノルド・トインビーの言葉を紹介しています。
「十二、三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる

日本についてよく知りたい人にはお勧めの一冊です。

竹田氏の本は、以下もご覧ください。
・日本はクールか? 日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか 竹田恒泰著を読む

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現代語古事記: 決定版日本人はなぜ日本のことを知らないのか (PHP新書)語られなかった 皇族たちの真実 (小学館文庫)怨霊になった天皇 (小学館文庫)日本人の宝語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」皇統保守旧皇族が語る天皇の日本史 (PHP新書)


韓国人に歩みよってはいけない! 「どの面下げて韓国人」 豊田有恒著 を読む [社会]


どの面(ツラ)下げての韓国人(祥伝社新書)
SF作家であり、40年に渡る韓国ウォッチャーとして有名な豊田有恒氏の韓国論です。
豊田氏は、当初は韓国に対して好意的であったと思いますが、20年ほど前から韓国の反日活動に対して韓国批判を唱えています。
豊田氏は脚本家として、アニメの「エイトマン」や「宇宙戦艦ヤマト」の原案、設定を行った経歴を持っており、また邪馬台国などの古代史に関する小説も多く書かれています。

Amazonの内容紹介の文を紹介します。
なぜ彼らは騒ぎ、怒鳴り、嘘をつき、告げ口をし、日本を貶めるのか!われわれ日本人は、隣国とその国民をいまだに誤解している。彼らは似て非なる、メンタリティも生活習慣も日本人とは正反対の民族なのだ。コリア・ウォッチャーとして40年、日韓を行き来し、学び、発言してきた著者が説き明かす韓国人の正体と、彼らへの対処法。反日の妄言に対しては、日本人の奥ゆかしさを捨て、「今あるのは誰のおかげだ!」と恩着せがましく言ってやるべきだろう……。

韓国は、古代から長い間悲惨な歴史を歩んできています。豊田氏によると、有史以来960回も異民族の侵入を受けてきたそうです。島国の日本に住んでいると想像できない状況ですが、このような歴史を経てきているので、隣の国であり外見も似ていますが、私たち日本人の常識とは全くことなる考え方をしているそうです。
・善意を持って接しても、「疾しいところがあるから」と考える
・言外の言、理外の理が通用しない、その場で口にした事がすべて
・言うべきことを言わないと付け込まれる
長年に渡って異民族の侵入を受けてきた歴史を持つ韓国は、善意など自分たちにとって何の得にもならないと思っているようです。その辺が、自分の周囲には同じ考えを持つ同じ民族しかいない、以心伝心が通じる日本との大きな違いなのでしょう。
人間は、自分を基準にして他人の行動を評価します。そのため、韓国人は日本人が優しくすると、自分を基準にして「疾しいところがあるから」だろうと考えるようです。要は、日本人に接するように韓国人に接してはダメだということですね。

また、豊田氏は「韓国人は議論好き」との見方は誤りである、と述べます。確かに韓国人はよく大声で口論しているというイメージがありますが、
・議論が好きなのではない。自説の根拠を示す訳ではなく、自己主張しているだけ
・相手に向かって罵詈雑言をぶつけるだけ、周囲のヤジ馬に支持を取り付けるための主張だけ
・韓国人は、たとえ嘘をついても何かを手に入れようとする
とのことです。

さらに豊田氏は、
「韓国の反日はマスターベーションである」 ⇒ 快感だから国益を無視しても止められない
と喝破します。う~ん、もの凄く説得力があります!(笑)

最後に豊田氏は、政府の韓国に対する対応に関して提言します。
日本の韓国への対応は無邪気すぎる
⇒ こちらから歩みよるべきではない。
請求権問題を蒸し返した場合は、解決済みと受け流さず日韓基本条約を破棄する意向なのかと厳しく問い詰めるべき。譲れば負けになる。
政府のスポークスマンが、竹島、慰安婦、日本海、請求権、対日戦を意識した軍拡など、折に触れて、韓国側の方針を非難し続けることが肝要だろうしかも、韓国式に、尾ひれを付けて、オーバーに非難しなければ、相手は鉄面皮だから、まったく響かないもし、撤回しない場合は、重大な結果を招くことになり、その責任は、すべて韓国側に帰することまでは、公式に明言しないと、この情報戦には勝てない

韓国の反日に怒りを覚えている人にはお勧めの一冊です。

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韓国が漢字を復活できない理由(祥伝社新書282)本当は怖い韓国の歴史(祥伝社新書302)いい加減にしろ韓国―日本を嫉妬し、蔑む真の理由 (ノン・ブック)歴史から消された邪馬台国の謎 (プレイブックス・インテリジェンス)韓国人による恥韓論 (扶桑社新書)韓国が危ない (PHP新書)

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