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映像の迫力が素晴らしい! 「クライマー パタゴニアの彼方へ」を見る。 [クライミング]

クライミングに関する映画です。
昨日から公開でしたが、今日の朝一番で見てきました。
いや~、良かったです! まずは映画の予告篇をご覧ください。


【以下、ネタバレがありますので注意】
とにかく、パタゴニアにそびえ立つセロ・トーレの映像が美しいです。
そして、天にそそり立つ垂壁をフリークライミングするデビット・ラマを撮影するヘリコプターからの映像の迫力が素晴らしいです。

以前紹介したアルパインクライ―マーである山野井泰史氏(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-12-14)も25年前に、パタゴニアのセロ・トーレの隣にあるフィッツロイを登頂しています。パタゴニアは、「三日続けて晴れることはない」と言われるほど、とにかく天気が不安定な場所だそうで、しかも荒れる時はヒマラヤ以上の暴風が吹き荒れるそうです。山野井氏はその極寒の暴風の中、何日もビバーグを繰り返して奇跡的に登頂に成功したそうです。
そして、セロ・トーレもそうでしょうが、フィッツロイは、登頂の喜びもつかのま、降りるのも大変だったようです。
これがヨセミテやトールであれば、登りきってしまえばあとは楽な下降が待っているだけに「ついに抜け出した」という感慨だけで歓喜にひたれる。だが、フィッツロイは、そのあと登りに倍する困難が待ち受けている懸垂下降が残されていた。頂上で歓喜にひたり、それだけ身も心も緊張を緩めてしまえば下降の余力がなくなることを山野井は承知していた。
(「ソロ」丸山直樹著より)
この映画では、降下の時の困難さはそれほど強調されていませんでしたが、基本的にクライミングは登るよりも下る方が難しいものです。エベレストなどの登山でも登頂後の下山する時に遭難することが多いそうです。
セロ・トーレは、タワーのような山ですからどこのルートで降りても簡単なルートはないでしょう。そして天候によってはさらに過酷な状況になってしまいます。TV番組のように、ヘリで降りられれば楽ちんでしょうが。(^^)

デビッド・ラマは、アルパインクライミングとは異なり、あくまでも素手で登る「フリークライミング」に拘って、挑戦を続けます。「フリークライミング」に関してウィキペディアから引用します。(下線は私が引きました)
ロッククライミングの内、安全のため確保用具は使用するが、それに頼ることをせず自己の技術と体力で岩を登るものを指す。登りきった結果、確保用具を使用しないで登ったのと同じなので「フリー」の名が付く。 人為的、人工的な支点に手足をかけたり、アブミ(短い縄ばしご状のもの)などの道具をそれに取付けて、登る際に人工的支点に直接体重をかけて使用する人工登攀と対比される。基本的に、元来そこにある自然の造形(岩の出っ張りやポケット)などだけを利用して登る。ロープを掴んだり、ボルトなどの人工物を持ったり、足場にして登った場合は、フリークライミングとは見なされず、人工登攀の一部と見なされる
この映画でも、デビッド・ラマは、2回目のチャレンジで登頂に成功しますが、途中のクライミングでボルトやカラビナを利用して登ったため、「フリークライミング」とは見なされず3度目のチャレンジを行うことになります。
そして、3回目のチャレンジで、見事フリークライミングで登頂を果たしますが、最後のクライミングが圧巻です。登頂までの最後のピッチは、ロープは付けていますが、ほとんど安全確保しないで登っていたため、「落ちたらどうするんだ」、「早く確保しろ」、とハラハラして手に汗握って見ていました。(笑)

そして、登頂後の歓喜の中、映し出されるセロ・トーレの頂上からの眺めが素晴らしい。
クライミングに興味がある方も、ない方もぜひ見て欲しい作品です。
(上映されている映画館が少ないのが残念です)

クライミングに関しては、こちらもどうぞ。
・凄過ぎる山との戦い 垂直の記憶 山野井泰史著 を読む
・「フリーソロ」という信じられない世界
・ユージ ザ・クライマー―世界最強のクライマー平山ユージのライフストーリー
・K2の東壁に挑む 「孤高の人」 坂本眞一著 を読む

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達人の神技は誰にでもできる? 「重心力を極める武術のコツ」 長野峻也著 を読む [格闘技]


重心力を極める武術のコツ (アスペクトムック)
武道研究家の長野峻也氏の本です。
長野氏は、長年にわたっていろいろな武術を研究しており、その成果を「武術」シリーズとして本に書いています。私も長野氏の本は好きで、本屋で見かけると必ず買っています。

この本は、その「武術」シリーズの集大成とも言える本です。
この本にはDVDが付いており、これまで長野氏が文章で書いていた秘技を素人の女性が実際にやって、大の男が吹き飛ばされてしまうという内容が収録されています。

これまで「達人の神技」と言われていた技を、長野氏は長年に渡って試行錯誤して体得しました。しかし、その技のコツを教えると誰でも簡単にできるということも分かったしまったのです。(笑)(DVDに出演している女性もぶっつけ本番でやったそうです。)

DVDに収録されている内容は、以下の内容です。
1.発勁 ・ 合気 ・ 化勁 : 合気揚げ、指合気、三人合気揚げ、ウナギ抜け、呼吸投げ
2.応用技法 : 沈身の打撃練習、沈身の応用(下段払い、ローキック・前蹴り)
3.武器術 : やり、居合、無刀捕り、ナイフ捕り
4.補足 : 演武会より

長野氏は、「神技は見世物芸」だと書いています。確かに空手でも、瓦割やブロック割りなど、普段普通の人は絶対やらない(実際にどの程度難しいか分からない)演武を行い、アピールしていますよね。私もブロック割りは何回かやったことがありますが、実際には、割れやすいように乾燥させたりいろいろな苦労がありました。(笑)
一般的に神技と言われている技も、この本のDVDを見ると、コツが分かればできそうな気がします。

天下無敵と言われた武術家にも、実は負けた話はいくらでも伝わってきます。
名人、達人と称賛されていても、「生涯に一度も遅れを取ったことはない」という道理はありません。宮本武蔵にさえも、負けた話、対戦を避けて逃げた話はあります。
「最後の合気の名人」と武道界の一部で言われていた佐川幸義先生は、自らの技をビデオ撮影させることを決して許さなかったそうです。
その理由は、「気の利いた人間がビデオを分析すれば合気の秘密に気づいてしまうだろう。そうすると、通じなくなってしまう」ということでした。

そう言われると夢が無くなってしまいますが、そんなものかも知れませんね。そのため、昔の武道家達は、対戦まで自分の得意手を絶対に明かさなかったと言われています。
この本の宣伝動画を追加します。

おまけとして、日野晃氏の動画も。


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写楽は欄間彫りの「庄六」だ! 「歌川家の伝承が明かす『写楽の実像』を六代・豊国が検証した」 六代歌川豊国著を読む [美術]

syaraku.JPGこの本は、25年以上前に出された本ですが、ぜひ紹介したいと思っていました。

東洲斎写楽は、一年弱という短期間で約145点余の錦絵作品を出版した後、忽然として消えてしまったため、謎の絵師と言われています。その画風は、インパクトのある大首絵が特徴で、ドイツのクルトがその著書でレンブラントやベラスケスと並ぶ肖像画家と称賛したことで、日本でも注目を浴びることになりました。

その画力と黒雲母刷りというお金をかけた作品と短期間で消えてしまった事から、少し前までは、有名絵師などが名前を隠して写楽名で出版したのではないか、という「写楽別人説」が多くの人から出されていました。北斎、歌麿、豊国、艶鏡、司馬江漢、谷文晁、円山応挙、山東京伝など、有名人であれば誰でも写楽という状況でした。(笑) 最近では、『増補浮世絵類考』で記載されていた阿波の能役者である斎藤十郎兵衛説が有力視されています。

今回紹介する本は、江戸時代に浮世絵の最大派閥(最盛期256名)を形成していた歌川豊国の「歌川派」の六代を継承した六代歌川豊国氏が歌川家に伝承していた写楽の実像を語ったものです。六代豊国氏の祖父からの系譜は、以下の通りです。
祖父:初代国鶴 文化元年(1804年)生まれ
実父:二代国鶴 嘉永5年(1852年)生まれ
本人:六代豊国 明治36年(1903年)生まれ

この本は、1988年に出版されましたので、この当時豊国氏は85歳でした。つまり、祖父の代まで遡ると約200年前を語ることができるということです。歌川家の写楽に関する伝承は、北斎がその情報ソースとのことです。
伝承:北斎初代国鶴国政(梅堂)・国鶴(二代)・豊国(五代) ⇒ 六代豊国(大正末期)

私の持論は、「真実は、知っている人に聞くのが一番」というものです。いくら詳細に調査して論理構築しても、真実を知っている人の一言には敵わないと思うからです。ですので、写楽別人説が跋扈していた25年以上前にこの本を読んで、「これが真実に近いのでは?」と写楽別人説に対する熱意が一気に醒めました。(^^)
(ただし、この六代豊国氏の家系に関して、疑惑を持たれていることもあるようです。)

初代豊国の後は養子であった豊重が二代目を継ぎますが、娘の「きん」が反対して初代の弟子である国貞を立て、一時期二代豊国を名乗りました。その後、国貞は三代豊国を名乗り豊重の甥の初代国鶴に四代豊国の襲名を約束しました。しかし、国貞の死後、二代国貞が無断で四代豊国を名乗り問題となります。
その後、三代国貞の弟子である梅堂国政が「四代豊国」を預かりとして、使用しなかったようです。その後、国鶴の長男官之介が二代国鶴、次男国松が五代豊国を継ぎ、六代豊国氏に繋がっています。

豊国氏は、浮世絵師の視点から写楽の謎に関するコメントを出しています。
・浮世絵師は芸術家ではなく職人。写楽だけでなく、他の絵師も謎だらけである。有名な喜多川歌麿にしても生年も出身も不詳。
・多くの絵師は枕絵、秘画などを描いて糊口をしのいでいた。そのため、写楽に秘画がないのは、プロの絵師でない可能性がある。
・下絵修行もなく、挿絵も描かず、上下関係もなく、いきなり「大本番」の黒雲母版大首絵の出版は、それ自体異常すぎる
・名人の極意は「北斎の捨て定規、写楽の輪」という歌川の伝承がある。
⇒ 写楽の輪は平面的な円ではなく立体的な円、つまり球形をしている、ということ。
⇒ 写楽が絵師ではなく、立体を相手にした彫り師であったから。

さて、いよいよ歌川に伝承した写楽の実像です。
・写楽は、本名を庄六(=写楽)という欄間の彫り師で、豊国、北斎と囲碁仲間だった。
・出身は摂津佃村。叔母が義太夫の三味線弾きで、庄六も竹本座に通い十返捨一九と知り合う。
・事情があり、江戸に下る。寛政9年7月7日に江戸佃島で没した。
・庄六の江戸行きは、26歳頃。佃島に済んだ庄六は欄間や水屋の彫刻で糊口をしのぐ。
・江戸で義父の下駄屋の甚助と出会い、下駄屋を手伝う。下駄屋では金融業や貸本も行う。
・庄六は神田錦町の店が与えられ、東国屋と名付け、歌舞伎の楽屋にも出入りする
・下駄屋甚兵衛は版元になることを考え、蔦屋を通じて馬琴、北斎、京伝を知った。
・一九は、庄六のスケッチを見て驚く。蔦屋が役者絵を出したいと一九に相談し、庄六を紹介する。
・蔦屋は庄六の絵を見て驚くが、これは売れないと言い、売れなかった分を引き取る条件を出し庄六も承諾する。(いわば自費出版のようなもの)
・庄六=写楽、佃島=東洲
・作業は、一九と蔦屋が共同で行い、最初は28枚を黒雲母版で出す。これを見て北斎が驚く。北斎はショックを受け、「あれは誰だ」と執拗に蔦屋を問い詰めた。同様に歌麿もショックを受ける
・さらにショックを受けたのが、豊国で、初代豊国の作画は、写楽の模倣に近い
・第一期は有名無名をとりそろえたもので、当然のことながら売れなかった。
・第二期は当時の流行役者のみを描く。(蔦屋の注文だろう)
・写楽の絵は売れなかった。役者絵というのは第一に役者が買う。ヒイキ先に配るからである。この役者がクレームを付けたのであるから始末が悪い。
・庄六は蔦屋との約束通り、売れ残りの絵を引き取り、自分の下駄屋でその絵をくじ引きで販売し、結構売れた。しかし、町奉行から「富籤の無許可販売」の罪で神田錦町の店「東国屋」は閉鎖となる
・寛政9年6月蔦屋が死亡。同年7月7日、庄六は物干しから落ちて死亡する。
・庄六のスケッチは、豊国が預かり熱心にその手法を学んだ。

さらに、庄六に関する驚きの情報があります。
写楽は足の指が六本あった。指六 ⇒ 庄六と名を付けられた。
⇒ 歌麿が写楽を意識して「不具のうつし絵」、「五体の不具」という言葉を使っている。
⇒ 広重の「東海道五十三次」の絵の登場人物の半数近くが六本指で描かれている。広重は、庄六のスケッチを参考にしていたのかも知れない。

如何でしょうか?
歌川家に、これだけ詳細な伝承があるのであれば、もう少し重視すべきだと思いますが、現状ではほとんど無視されているような状況です。私はそこにも真実の光が見えます。(笑)

写楽に関しては、以下もご覧ください。
・写楽は北斎か? 「写楽」問題は終わっていない 田中英道著を読む
・江戸美術考現学 浮世絵の―光と影  仁科又亮著 を読む
・美術評論家の瀬木慎一を悼む

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「フリーソロ」という信じられない世界 [クライミング]

今回は、フリークライミングの中でも、「フリーソロ」と言われている世界を紹介します。

climing.jpgフリークライミングには、3~4m程度の低い壁をロープを使わないで登る「ボルダリング」(写真の左側)と更に高い壁を確保用のロープを使って登る「リードクライミング」があります。(写真の右側)

写真で見ると、左側のボルダリングの壁は高さが低く見えますが、実際には一番上まで登ると怖いです。(笑)
私はボルダリングしかやっていませんので、リードクライミングの怖さは想像するしかありませんが、人から話を聞くとやはり最初は怖いようです。しかし、リードクライミングは、ロープで安全が確保されていますので、きちんと確保を取れていれば、安全なようです。(もちろん、万が一の場合は、墜落という危険は当然ありますが...)




さて、「フリーソロ」というのは、上に書いた安全確保用のロープを使わない特殊な登り方です。安全確保がありませんので、当然、「落ちれば死ぬ」ことになります。実際、過去に多くのクライマーが亡くなっているそうです。
まずは、若手のAlex Honnold の画像を見て下さい。

何百mもの高さの壁をロープなしで登っています。しかも、この高さで腕をクロスさせ、足もクロスしています。まったく信じられません。見ている方がちびりそうです。画像を見て分かるように、足も手もきちんと保持できるような明確で大きな突起があるわけではありません。完全に私の想像を超える世界です。

私がいつも練習しているボルダリングのマットが無くなり、その下が100mの崖だと想像しただけでも、ちびってしまいそうです。(笑) 実際にボルダリングしていても、腕がパンプアップして握力がなくなったり、手が痛くなったり、足がつったりします。そんな状態になっても、フリーソロでは休みながらでも登り続けなければなりません。(登るよりも降りる方が難しいので...)
フリーソロをする場合は、事前にロープを使って自信がつくまで十分に練習をすると言われているます。しかし、間違えて足を滑らせたり、一瞬でもミスをしたり、少しでも眩暈がしたりしたら...。

いくつか動画を紹介します。興味がある人はじっくり見て下さい。


これはちょっと長いですが。


ちょっと古いですが、Catherine Destivelle のフリーソロです。これは音声がありません。最初はロープを付けて登っていますが、途中で引っかかったためにロープを外しています。その辺りをカメラで追っていますので、演出なのでしょうが、怖いことには変わりありません。途中、両足をつっぱって登っていますが、足がつったらどうするんだろう、と思ってしまいます...(笑)

私もこれを見て、モチベーションを上げて登ります。(^^)

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STAP細胞は再現できない大発見だ! 「マレーシア航空370便」 ベリー西村著を読む (2) [歴史の真実・陰謀論]


マレーシア航空370便〜隠蔽された真実とケッシュ財団の影マレーシア航空370便_隠蔽された真実とケッシュ財団の影
← 右側がKindle版です。

前回は、小保方さんのSTAP細胞を書く余裕が無かったので追加します。

まず、西村氏のいう神である「Ω様」の説く素粒子理論は、以下の通りです。大きい順に書いてみます。

(大きい)
細胞
分子
原子
原子核
陽子
中性子
電子
クォーク
ヒッグス粒子:2013年4月、CERNでの実験で観測された。現在の観測限界。
光子
時間子
意識子:意識エネルギー
重力子:素粒子としては最小のもので、「真の素粒子」。
根源意識:純粋なエネルギーで素粒子の形態はない。
(小さい)

大きいものは小さいものに影響を与えられない。小さいもののみがより大きいものに影響力を保有するのが宇宙の大法則である

現在の私たちの科学での観測限界は、「ヒッグス粒子」までです。この実験装置(CERN)は、山手線レベルの全周27Kmの円形のトンネルの中で陽子ビームを加速、絞り込んで正確に衝突させることで観測しました。この建設費用は、欧州、米国、日本、ロシアなどが出資したそうです。さらに小さな素粒子を発見するためには、さらに巨費を投じて巨大な実験施設の建設が必要となりますので、限界があるようです。

さて、今回のメインテーマであるSTAP細胞ですが、「Ω様」は、小保方氏の発見したSTAP細胞は再現できないと言います。その理由は、「小保方氏の純粋で強烈な意識子により生み出され、発見されたのがSTAP細胞なのじゃ」ということだそうです。
このSTAP細胞は地球全人類の誰一人として理解が出来ないのじゃ。
ええっ、地球の全人類の英知を持ってしても理解できないのですか、それってめちゃくちゃな発見ということですか。
そうではない、アインシュタインと同じなのだ。彼は現代物理学をまったく理解出来なかった。従来の医学、科学論では素粒子論は把握できないのじゃ。そこで説明する量子学者にこう言った。「・・・、では何かね、僕が月を見ているときだけ月はそこに存在し、見ていないときにはそこに月は存在しないと君は言っているのかね」 この返事だが「確率の問題です」と量子学者は答えたのだよ。
Ω様の言われることがよく理解できません。詳しく教えてください。
京都大学の山中伸弥教授が皮膚などの細胞に遺伝子を注入して作製したIPS細胞やES細胞というのは原子~分子の働きによるものじゃ。従来の医学、科学、つまり古典物理学で理解も検証、再現、追認、追研可能な研究なのじゃ。ところが小保方晴子氏の発見したSTAP細胞というのは中性子、電子の作用によるもので、この領域は量子力学、つまり量子医学の範疇での発見なのじゃ。
だが「意識子」というものがお前達の科学界では認められることはない。科学とは再現でき、誰もが再現、追認観測が可能である事が大前提なのじゃ。ところが「観測者意識」に左右されてしまう不確実な再現性をもつものは科学ではなく、お前達は「精神世界」に分類しておる。STAP細胞発見は正にこの領域での医学的発見なのじゃ。お前達日本人による偉大な発見を、同じお前達日本人の手で潰し、海外の成果に追いやるのは嘆かわしいことだよ。お前達が2020年に「量子医学」と呼称する大発見なのだから。

小保方さんは、記者会見の時に「ある種のレシビがある」発言していましたが、この説によると、実際には同じレシピで実験をしても小保方さんにしか再現できないことになりますね。
ここでは、ポイントだけを書いていますが、興味ある方はぜひ一読することをお勧めします。

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「マレーシア航空370便」 米中軍事ケシュ技術争奪戦の生贄 ベリー西村著を読む (1) [歴史の真実・陰謀論]


マレーシア航空370便〜隠蔽された真実とケッシュ財団の影マレーシア航空370便_隠蔽された真実とケッシュ財団の影
← 右側がKindle版です。

以前、「福島原発4号機は何故爆発したのか? 「原発マトリクス」 」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-03-11)で紹介したベリー西村氏の本で、マレーシア航空370便の消息不明事件、小保方さんのSTAP細胞に関する内容が書かれています。

西村氏は、20年前から氏が「Ω様」と呼んでいる神様からメッセージを受け取り、いろいろな教えて受けているそうです。ただし、最近このブログで紹介している宗教とは違い、
特に神の声が聞こえるわけでもなく、ただ私の心に閃くだけのことである。
と書かれています。その真偽はともかく、私はその結論に注目しています。

Ω様との会話の例です。
ちょっと待ってください。対極エネルギーが重力なら、根源意識の愛というエネルギーって「反重力」ってことになりますよね。
だからお前達の宇宙は無重力なのだよ。つまり無重力とは創造場ということじゃ。
ではビッグバンは無かったのですか?
そうじゃ。
ではダークマターやダークエネルギーっていうのはどうなのですか。
根源意識と重力が混合した「場」がダークマターと言う、また根源意識場をダークエネルギーと表現しているのじゃろう。

マレーシア航空370便の件ですが、「ケシュ財団」という組織がキーワードになるそうです。この財団は、イラン生れのケシュ博士が研究した国際特許申請済みの画期的テクノロジーを人類に無償で開放する「世界平和の達成」を目的として設立されたイタリアを本部とする非営利団体とのことです。
ケシュ財団が持つ技術は、エネルギー、宇宙開発、医療技術など多岐にわたるようで、例えば、福島原発事故の放射能物質の除染技術も含まれています。(このブログの最後に紹介します)
もしこれが本当であれば、「宇宙戦艦ヤマト」のようにイスカンダルに放射能除去装置を取りに行かなくても良くなりますね。(笑)

ケシュ財団の技術は、2008年にイランに技術供与されており、2011年にイラン上空を偵察していた米軍の無人偵察機RQ170を無傷のまま捕獲することに成功したそうです。捕獲された偵察機は、ステルス爆撃機B2とそっくりで、翼だけの機体形状を持つ最新無人偵察機だそうです。
イランは遠隔操作でRQ170内にあるLSIを機能停止させる技術と、自動帰還システム、自爆システムを無効にしたのじゃ。そして強い誘導電波でRQ170に指定された帰還座標を乗っ取ったのじゃ。

さて、いよいよマレーシア航空のボーイング777型機に関してですが、この本では小松製作所のブルドーザー管理システムを例に出して説明しています。小松製作所では、世界に販売した建設機械やブルドーザーのすべての稼働状況が小松本社でリアルタイムで管理できているそうです。
いいかな、全世界に販売したブルドーザーなどの建設機械でさえ、遠く離れた小松本社内で稼働位置、稼働状況、エンジン診断、監視を行っているのじゃぞ。もちろんボーイング777のエンジン状況も同じである。飛行位置もエンジンが稼働か不稼働かさえ、すべてリアルタイムで制作社であるイギリスのロールスロイス社で監視しているのじゃ。(中略)このシステムは9.11事件以来、ボーイング社 の機体にはすべて装備されておる。
つまりボーイング社ではマレーシア航空370便と操縦士の意志とは関係なく、すべての操縦操作を地上からコントロールできる。またイギリスのロールスロイス社ではマレーシア370便の飛行位置もエンジン稼働状況も、管制当局などとは関係なくすべてリアルタイムで把握していたってことですね。
詳しくは書きませんが、この事件はケシュ財団の技術を巡り、米国CIA、英国諜報機関、マレーシア政府、中国などの思惑が絡んで、起きた事件ということです。興味ある方は、この本をぜひ読んでください。

ケシュ財団の技術を使えば、福島の放射能も安価に除去できるという夢のような技術ですが、日本政府は動こうとしていません。以下に書かれている理由には、目からウロコでした。
たとえばじゃ、お前が部屋のホコリを除くために掃除をするとしようか。100平方メートルの部屋に100個のホコリが有った場合、お前はどのようにそのホコリを取り除くかな。
そりゃ掃除機を使ってあっという間に綺麗にできますよ。
あっという間に綺麗になったのはお前の部屋じゃが、その100個のホコリはどこに消えたのかな。
それは掃除機の中です。
そうじゃな、100個のホコリはお前の掃除機のポケットに集まっておる。それは高濃度放射線汚染物質と呼ばれているものじゃな。日本政府や東電はその方向ではなく100個のホコリを1000平方メートルの部屋に拡散させて目立たなくする方法、つまり低濃度放射線物質にして取り扱いや保管を簡単にしようとする方向で動いているのじゃ。

ここで紹介したケシュ財団の動画を紹介します。


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天上界のメッセージ「大天使ミカエル」 アマーリエ著 を読む [宗教について]


4巻 大天使ミカエル (アマーリエ スピリチュアルメッセージ集)以前、「光の天使たちよ! 「心の発見」 高橋信次著 を読む 」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-04-25)を紹介しました。
この本は、大天使ミカエルが、天上界からのメッセージを主婦であるアマーリエさんに伝えたものを本にしたものだそうです。

ミカエルは、高橋信次氏の活動の時にも、娘の佳子氏に降りてメッセージを伝えていましたが、今はアマーリエさんに降りているそうです。この本によると、天上界の計画は以下のようなものだったそうです。

●第一の計画:九次元霊の一人であるエルランティが日本に高橋信次として生れ活躍した救世運動。その後に続くエル・カンタラー(ブッダ)の活動の基礎づくりをした。
●第二の計画:同じく九次元の一人であるエル・カンタラーが大川隆法として日本に生れ、宇宙規模の法を説き、地球を愛でひとつにまとめあげることを目的とした救世計画。魔の妨害で頓挫した。
●第三の計画:第一、第二の計画が失敗した場合を考えた救世計画。魔に強い戦闘系巫女であるアマーリアを中心に行われる大改革運動。

う~ん、そうなんですか...。これで言うと、高橋信次氏は大川隆法氏の露払いということになりますね。そんな事は個人的には、全く認められません。(この本では、OR氏と書いてありますが、どう考えても大川隆法氏なので、そう書きます)
確かに大川隆法氏の霊言集が次々に出版され、1980年代後半から書店の一角に大々的に平積みされるのをリアルタイムで見てきた私としては、何らかの力の後押しは感じていました。(霊的なものと言うよりはお金の力です(笑))

実は、私は初期の大川隆法氏の本は結構買って読んでいました。(汗;)初期の頃は、お父さんである善川三朗氏の名前で出ていました。この頃の本は、大川隆法氏が父親の善川氏の質問に答える形で霊界のメッセージを伝えていました。その本の中には、父の質問に対して、「くどい! 何度同じことを聞くのか!」というような感じで大川氏が父親を叱りつけるような場面もあり、それなりに臨場感がありました。(^^)
しかし、「坂本龍馬の霊言」あたりから、「ん? これって、NHKの大河ドラマを見てれば言えることだよな...」と違和感を感じ、それ以来一冊も読んでいません。

この本によると、第一の計画も第二の計画も魔王ルシフェル・サタン率いる、「魔」の妨害によって頓挫したそうです。霊言を降ろしている人にとっては、今話をしているのが天上界の霊なのか、「魔」の霊なのかが区別がつかなくなり、間違った霊言を伝えてしまう、ということになったようです。

まあ、興味の無い人にはどうでもよい話ですが...。
ただ、この本の面白い所は、
でも、神は、証明はしない。
証明を求める者に対しては、沈黙をもって答えるという、
「汝、聖霊を試すことなかれ」
「汝、天上界の神々を試すことなかれ」ということを、古来より人びとに伝えて来たはずなのです。
我々、神々の言葉を、聖霊の言葉を信じられぬ者は、証明をみせたところで、けっして、信じられるものではないのです。
ふすまが開き、「冷蔵庫の中に入っているお刺身食べてもいい?」という言葉で一時中断
大天使ミカエル 信仰心というのは、本来は目に見えぬ神というものを信じるということ。
目に見えるものだけを信じているのであるなら、唯物的な物質主義的なものを拝するという、物質信仰と何ら変わらないではないですか。

というように、主婦の生活感がそのまま本に記載されていることです。
どうですか? なかなか臨場感があると思いませんか?
大天使ミカエルの言葉を中断させるとは、すごいですね!(^^)

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「週刊誌、TV 小保方叩きの異常」 Will 2014年6月号 を読む [社会]


WiLL (ウィル) 2014年 06月号 [雑誌]雑誌のWill 2014年6月号に小保方さんに関する記事が載っています。
「週刊誌、TV 小保方叩きの異常」 特集 STAP細胞問題の核心と「小保方の査問はまるで宗教裁判だ」の2つです。今回は、「週刊誌、TV 小保方叩きの異常」 西岡昌紀(神経内科医)について書きます。

みなさんは、今回の小保方さんの騒動をどのように感じているでしょうか? 新聞やTV、雑誌の報道を見て、「STAP細胞は怪しい」、「論文を捏造したとんでもない女」というように感じているのではないでしょうか?
私も、最初のSTAP細胞の発表の時は、突然若い割烹着を着た女性研究者が、世紀の大発見!というような報道を見て、「何か怪しい」と感じていました。

しかし、その後のマスコミの報道と理研の発表を見ていると、疑問を持たざるを得ません。西岡氏は書きます。
小保方さんは犯罪者か
理研とマスコミによる小保方晴子さんへの攻撃が目に余る。STAP細胞発見の発表直後には、あれだけ小保方さんを持ち上げた同じマスコミが、小保方さんを犯罪者のように扱っている。

Nature誌に発表した「STAP細胞があるのか否か」と小保方さんが画像を「捏造」したような報道が混然一体となって小保方さんを攻撃しています。
小保方さんが「捏造」した可能性を疑う理研上層部とその他、小保方さんを批判する側の人々は、その「捏造」の証拠を示すべきなのである。
ところがこれまでの報道を見ると、その挙証責任の所在を忘れて、「捏造しなかったことの証拠」を示せ、と小保方さんの側に求めるかのような報道が行われている。まるで、「お前が魔女でないというなら、魔女でない証拠を見せろ」と言わんばかりである。

小保方さんの記者会見の時に、小保方さん以外にも実験に成功した人がいると発言しましたが、それに対してマスコミが「その人の名前は明らかにしなかった」と責めているのには驚きました。あの記者会見で、その人の名前を出せば、その人の所にマスコミが殺到して迷惑がかかるのは明白ですので、言わないのは社会人としては当然ではないでしょうか。 記者たちは自分たちの記事のためにみんな動くものと思っているのでしょうか? まったく...。

今回の小保方さんに対する理研の態度やマスコミの報道を見ていると、私は50年前の「佐野乾山事件」とまったく一緒だなと思いました。佐野乾山事件の時は、佐野で発見された200点あまりの尾形乾山の陶器を英国人の陶工であるバーナード・リーチが「全部ホンモノ」と朝日新聞に発表したことから始まりました。その後、しばらくは、マスコミは「世紀の大発見」、「重要文化財級」などの称賛が続きましたが、その後は、お決まりの「贋作報道」です。
特に毎日新聞は、毎日とは言いませんが(笑)、毎週のように佐野乾山の贋作報道を流しました。そして、今回の小保方さんの時と同じように発見者のプライベートな問題を週刊誌がいろいろと面白可笑しく書きたてました。
戦前に佐野乾山を世に広めたS氏という人がいましたが、その人は佐野乾山は6点しか存在しない、と公言しており、その作品はそれまで真作と認められていました。しかし、その佐野から200点もの佐野乾山が新発見された時に、そのS氏は先頭に立ってニセモノ説を唱えました。
今回のSTAP細胞に関しても、似たような人がいましたよね?(^^) 国会で証言した人が...。
佐野乾山事件は、マスコミ的に新鮮味が無くなり報道しなくなって、「何となくアヤシイ」とういう印象のまま、ほとんど研究もされずというのが現状です。

STAP細胞も、そろそろマスコミが飽きて、報道しなくなれば同じように「何となくアヤシイ」という印象のままになる可能性が高いと思います。ただ、STAP細胞は科学の問題なので、研究者が研究を続けていれば正しいことが証明される可能性が残っていることが救いです。

最近の研究は、特許出願するためやライバル研究者に情報を出したくないので、論文には詳細に全部は書かないことが多いとのことです。スマホの世界では、「技術は開発するものではない。マネをするものである」という韓国メーカーが台頭しています。先の見えない研究開発に年間何百億円をかけるのであれば、マネすれば良いし、人ごと買ってもよいという考えのようです。その代わりに、この企業は年間1兆円もの広告宣伝費を使って世界中にそのブランド名を広めています。
理研などの研究でも同様なことが起こる可能性があるようです。ですので、きっとSTAP細胞には小保方さんの言うような特別な「レシピ」のようなものがあるのだと思います。

くれぐれもマスコミに踊らされないように気をつけましょう

そう言えば、5月21日の「久米島沖で爆発音 きのこ雲を確認」の事件は、Webでは話題になっていますが、ニュースで検索するとほとんど報道されていません。(1件のみ)
http://www.rbc.co.jp/news_rbc/%E4%B9%85%E7%B1%B3%E5%B3%B6%E6%B2%96%E3%81%A7%E7%88%86%E7%99%BA%E9%9F%B3%E3%80%80%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%81%93%E9%9B%B2%E3%82%92%E7%A2%BA%E8%AA%8D/
これが報道統制というものなのですね。

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真樹先生の名作 「ワル」 真樹日佐夫原作 影丸譲二作画 を読み直す。 [真樹日佐夫]

ワル 1 (グループゼロ)
真樹先生の代表作であり、名作とも言える「ワル」の紹介です。
この「ワル」は、1970年~1972年まで少年マガジンに連載されました。
都内の名門校である鷹ノ台高校にいる不良生徒の氷室洋二と教師、校長との戦いを描いた作品で、主人公の氷室は、最終的に教師殺しの罪で少年刑務所に入ることになります。
氷室は、子供の頃から剣道の師範である父親から才能を見込まれて、厳しい剣道の修行を行い達人の域に達していました。その剣の力を利用して自らのロジックを貫き通す戦いを繰り広げます。

ワル 2 (グループゼロ)
最近、Kindle版があることに気づき、一気にダウンロードして再読しました。
いや~、傑作ですね! やっぱり。

最初の1巻目からぐいぐい引き込まれていきます。この「ワル」は、真樹先生の劇画原作と言う意味ではデビュー作です。しかし、このマンガが連載されていたのは、少年マガジンです。当時、梶原先生の「巨人の星」、「あしたのジョー」、「空手バカ一代」などが連載されており、「少年マンガを大人たちが読んでいる」として社会問題化(?)していましたが、あくまでも対象は、「少年」です。そして、私も小学生~中学生の時期にこのマンガを読んでいました。
今、改めて読むと、自分の息子が小学生の時には読ませたくな内容です。(笑)

ワル 3 (グループゼロ)
梶原先生も不良やヤクザをよく作品に登場させますが、この「ワル」での描き方は梶原作品と全く印象が異なります。リアルと言うか乾いていると言うか、とにかく少年マガジンの他の作品とは明らかに異質な印象を受けます。
そして、氷室洋二は単なる不良ではなく、自らの言動に対しては自分なりの筋を通す事を優先します。それがたとえ自分の不利になるようなことであっても、筋を通すためには黙って受け入れるという生き方がとってもカッコ良く、私の考え方もかなり影響を受けていると感じます。

そもそもこの「ワル」の主人公である氷室洋二のモデルは真樹先生自身だと言われています。たしかに真樹先生の父親も剣道の達人で、子供のころから手ほどきを受けていたそうでし、少年刑務所に入ったことも周知ですよね。また、作品上の状況や対戦相手のキャラクターなどにも真樹先生の自伝に書かれている内容が散見されます。

ワル 4 (グループゼロ)
さらに少年マンガにふさわしくないのが(笑)、女性がレイプされるシーンが多いということです。同級生の女子高生、女教師、女子大生など4人が被害者となり、そのうち二人がその後自殺することになります。女子高生が妊娠するという話は、「金八先生」にも出てきますが、レイプシーンなどは、他の少年マンガではなかなか出てこないですよね。

極めつけは、英語教師の美杉麗子です。もともと氷室を更生させるために鷹ノ台高校に赴任しますが、自分の美貌を利用して氷室の部下を籠絡しようしますが、失敗して教師を辞めます。その後は夜の街で女を磨いて氷室に対抗しようとしますが、結局、氷室にレイプされて氷室の軍門に下り、押し掛け家政婦として同棲生活を送ります。この美杉麗子の心の動き(憎しみ ⇒ 愛情) や葛藤は、他の少年マンガでは見ることができないものです。もちろん、当時中学生だった私も、「レイプされた相手を好きになるか??」と、まったく理解できませんでした。(^^)

そして、最終回の最後のシーン(氷室と麗子の駅での別れのシーン)も印象的です。
「こんなところまで わざわざ つれてってほしいからあとを追ってきたんだろう」
「だ だれがあんたなんかと!」
「ほう おれはまた てっきり ―― 大言壮語のわりにはなにもできなかったのは自分のこころをいつわっていたためだと あらためて おれへの愛情をさとり知らされた ―― で あとを追ってきたとばかり思っていたが」
「じゃな! 元気でやれよっ」
「洋二 いく! つれてって!!」
「ばか野郎! だから いったろ 世話かけやがって――」 (氷室が麗子の手を引き電車に乗せると同時にドアが閉まる)

とても少年マンガの終わり方ではないですよね。(笑)
再読して、今更ながらこの作品の奥深さが分かりました。
みなさんも是非読んでみて下さい。

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これからはミラーレス一眼の時代か? 家電批評 「一眼カメラの選び方がわかる本」 を読む [写真]


一眼カメラの選び方がわかる本 (100%ムックシリーズ)
以前、「編集権の独立って? 最近のカメラ雑誌を見て感じたこと」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2014-04-13) の【追記】で紹介した本です。
2014年のミラーレス一眼カメラ、一眼レフカメラを評価して、ベストバイ、ネクストバイを選んでいます。この「家電批評」という雑誌は、掲載する製品の広告料を貰っていないので公平な評価を行っていると言われています。

ミラーレス一眼カメラというのは、これまでの一眼レフカメラにあった、「撮影用レンズの入射光を光学式ファインダーに導くための反射ミラーが存在しない」(ウィキペディアより)構造のカメラです。反射ミラーが不要な分だけ、小型、軽量、低コスト化が可能となりますが、子供やペットなど動く物を撮影する場合などは光学ファインダーの方がメリットあると言われていました。

しかし、ここ1、2年でオリンパスのOM-D E-M1や富士フイルムのX-T1など電子ビューファインダー(EVF)でありながら、光学ファインダー並みの見えを実現している機種が登場してきました。また、撮像素子が1600万画素から2400万画素、3600万画素などの高画素化が進むと、光学ファインダーではフォーカスが合っているかどうか判断できなくなるなどの光学ファインダーのデメリットや反射ミラーの切り替えショックによる画像ブレなどの問題も出てきているようです。(私は一眼レフカメラを使ったことがないのでどの程度か不明)

その意味で、現時点でミラーレス一眼カメラにするか、一眼レフカメラにするかという判断に迷っている人には、とても参考になる一冊だと思います。詳細は本を買って読んで頂きたいと思いますが、その結論だけを書いてみます。

①お手軽一眼(5万円台までのミラーレス)
ベストバイ:α5000(ソニー)
ネクストバイ:DMC-GF6(パナソニック)
②スタンダード(5~9万円台)
ベストバイ:X-M1(富士フイルム)
ネクストバイ:α6000(ソニー) E-M10(オリンパス)
③上級一眼(10万円以上)
ベストバイ:X-T1(富士フイルム)
ネクストバイ:DMC-GX7(パナソニック) E-M1(オリンパス)
④フルサイズ
ベストバイ:α7(ソニー)
ネクストバイ:EOS 6D(キヤノン) D610(ニコン)

結論として、ベストバイはすべてミラーレス一眼機となっています。特に②、③にニコン、キヤノンの一眼レフ機の名前が一つも出てこないのには驚きました。これは、両社の宣伝を沢山載せているカメラ雑誌ではなかなか書けない結論だと思います。

一般的には、「一眼レフカメラは画質が良く、プロが使っているカメラ」、「ミラーレス一眼は廉価版」というイメージがありますが、この本の評価結果を見ると画質に関しても全体的にミラーレス一眼の方が良い評価を得ています。一眼レフカメラがミラーレス一眼カメラに勝っているのは、動いている被写体に対するAFのスピート、精度のようです。動体の撮影には、やはり光学ファインダーが有利なようですね。

一眼レフにしようか、ミラーレス一眼にしようか迷っている人にはお勧めの一冊です。
この本をよ~く読んで自分が欲しい機種を選んで下さい。

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光の天使たちよ! 「心の発見」 高橋信次著 を読む [宗教について]


心の発見 (神理篇)さて、このブログでは初めて宗教に関する本の紹介です。
まずは、著者のGLAの創設者である高橋信次氏について説明しなければなりません。

高橋信次(1927~1976年)氏は、長野県生まれ、日大工学部に学び高電工業(株)というエレクトロニクス系の会社の経営者という顔がありました。今だったら「IT企業家」と言われていたかも知れません。高橋氏は40歳の頃から霊的現象が現れ、「ワン・ツー・スリー」や「フワン・シン・フワイ・シンフォー」と名乗る守護霊に教えを受けることになります。(後にそれぞれイエス・キリストとモーゼであるとしていました) 氏は講演を通して、人々の霊視や除霊を行ったり、古代の人物を人の憑依させて霊言を話させたりしました。そして、GLAという宗教法人を作り、「正法(しょうほう)・神理」(神が定めた自然の法則)と人々に説いていましたが、高橋氏が若い頃から予言していたように、48歳という若さで亡くなります。

氏の教えは魂の輪廻転生を基礎としており、自身も釈迦の生まれ変わりであると考えていたようですが、晩年には自分はエル・ランティ(九次元霊の一人、ヤハウェ、アラーと言われた)だとの発言があったようです。また、その頃の講演では、娘の佳子氏に「大天使ミカエル」が入ってもらい霊言を語らせていました。これにより、高橋氏は「佳子が大天使ミカエルなのでは?」と思うようになっていたようです。これが氏の死後の大混乱を招くことになります。

高橋氏の霊視や霊能力に対する評価は非常に高く、氏の霊能力に対する疑問は聞いたことがありません。それによって多くの熱狂的な信者が集まり、他の宗教からも帰依する人たちが多くいました。しかし、氏の48歳という若過ぎる死によって、GLA教団はバラバラになってしまいます。教団がこれまで高橋氏に深く帰依していた古くからの信者ではなく、娘の佳子氏を「大天使ミカエル」として後継者に決めたことで、多くの信者が教団を離れていきました。当時、佳子氏が書いた「真創世記」という本はベストセラーになり、私たちの世代にとっては思い出深い本になっています。ただし、この本はSF作家である平井和正氏が書記となって書いたと言われています。(今はやりのゴーストライターですね) また、当時のGLAの内部の話をモデルとして書いたのが、(マンガの方ではない)小説の「幻魔大戦」だと言われています。角川文庫から出ており、私も夢中になって読んだものです...。ああ、懐かしい!(笑)

さて、「心の発見」ですが、平易でありながら読む人の心をつかむ文章で書かれています。私は、氏が亡くなってから5、6年経った20代の半ばの頃に初めて読んだのですが、すぐに高橋氏の考えに引き込まれてしまい、氏のほとんどの本を貪るように読みました。一時は、GLAに入団しようと本気で考えて、本部に電話をした事もあります。いろいろな事情で入会はしなかったのですが、その当時のGLAは上記のような混乱した状況だったようですから、入会しなくて正解でしたね。(^^)
6年ほど前に、仙台に単身赴任することになったのですが、泉中央の駅の近くにあったアパートのすぐそばにGALの東北本部を見つけて本当に驚きました。今のGLAは、高橋佳子氏が中心となって宗教というよりはセミナーなどで啓蒙活動などを行っているようですね。

この高橋信次氏の本で宗教に目覚めた私は、その後も高橋氏に関連した本を読む事になりました。高橋氏の死後、沢山の後継者と自称する人たちが現れました。

天国の扉―未来への幸せをめざしてその頃、国分寺の北口にある大きな本屋によく通っていたのですが、そこでこの本を見つけました。著者は千乃裕子という人で、大天使ミカエルは、高橋佳子氏ではなく自分だと主張し、本や機関誌を通して天上界のメッセージを伝えていました。
私もその頃は、その本や機関誌をずいぶんと買っていました。(^^) その千乃裕子氏が、2003年に白装束集団(パナウェーブ)としてTVやマスコミで連日報道されて有名になった時は本当にビックリしました。
俺は何を信じていたんだ! って...。 人生いろいろですね。(笑)

でも、私は高橋信次氏は本物だったと今でも信じています。

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心の原点―失われた仏智の再発見 (心と人間シリーズ)原説般若心経 (心と人間シリーズ)人間・釈迦 1―偉大なる悟り (心と人間シリーズ)悪霊 (1) (心と人間シリーズ)心の指針―苦楽の原点は心にある (心と人間シリーズ)心の発見 (科学篇) (心と人間シリーズ)心の発見 (現証篇) (心と人間シリーズ)

編集権の独立って? 最近のカメラ雑誌を見て感じたこと [写真]

苫米地英人先生は、雑誌「サイゾー」のオーナーとして知られています。先生は、「タイム」や「ニューズウィーク」のように編集権の独立にとてもコダワリをもっているそうです。つまり、雑誌の編集内容に関して、オーナーである苫米地先生は全く口を挟まないということです。先生の話では、「サイゾー」で、先生の親しい友人のスキャンダルが掲載されてしまい、困ったこともあるということです。

編集権の独立に関しては、これまで、例えば雑誌に某メーカーの車の記事を書く場合は、絶対に某メーカーの広告は掲載しない、というようなことが行われてきたそうです。つまり某メーカーから広告料をもらってしまうと、某メーカーに不利な記事は書けなくなるという事態を事前に防ぐことが目的です。これは、これまでの紙媒体ではずっと守られて来たことのようですが、Webの世界ではブログに関連した内容の商品の広告を掲示するような全く逆のことが行われていると先生は指摘しています。

以前このブログで紹介した、オリンパスの不正疑惑に関しても、大手メディアは当初、全くと言っていいほど報道しませんでした。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-05-19
ウッドフォード氏が解任直後に「恐ろしかったのは、オリンパスの疑惑をファクタが報じた後も日本国内の主要なメディアは何も報じようとしなかったことだ」と述懐している。

これは、大手メディアに対して多額の広告費を支払っているオリンパスに対して、それを批判する記事は書けないという構図です。これは、みなさんも福島原発の事故の時の東電に対する大手メディアの弱腰な姿勢を見て実感したのではないでしょうか。

さて、前置きが長くなってしまいました。このブログでも書いているように、最近、ミラーレス一眼を購入したことで、にわか一眼マニアとなった私は、頻繁に書店に通って多くのカメラ雑誌に目を通します。そこでビックリするのが、雑誌を開けると、必ず大手カメラメーカーの広告がそれぞれ10ページくらい掲載されていることです。しかも、号によっては、その広告とほとんどとシームレスに雑誌の記事が続いていることもあり、「どこまでが宣伝でどこからが記事なんだ?」という状況です。

さすがに、昔から続いている雑誌には、そのようにあからさまな記事は少ないですが、一般人が手にするようなビジュアル系のカメラ雑誌にそのような傾向が強いように思います。例えば、あるメーカーの画期的な新製品が発表された場合でも、その製品だけの単独の特集とはせずに、広告料の多いであろうメーカーの旧製品との比較するような記事にしたり、単独の記事にする場合でも、広告料に応じた順番にするなど編集者の苦労が読みとれます。(^^)

また、日本ではカメラ雑誌の表紙は、広告料の多いメーカーの製品しか掲載されない、とも言われているそうです。これまで、あまり興味がなかったので気にしたこともありませんでしたが、そのようなことになっていたのですね。
本当のカメラマニアは、雑誌の記事など気にせずにWeb上で生の情報を得ているでしょうから、あまり影響はないと思いますが、これからカメラを購入しようと思っているようなビギナーには影響は大きいでしょうね。
かと言って、広告料がなくなって雑誌が無くなっても困りますが...。(^^)

【2014.04.25 追記】
本屋で「家電批評」[特別編集] 「一眼カメラの選び方がわかる本」 を買ってきました。
この本は、カメラの広告を一切掲載せずに、製品で評価をしていると言われています。
その本の中のベストバイを書いてみます。
①お手軽一眼 : α5000 (ソニー)
②スタンダード一眼: X-M1 (富士フイルム)
③上級一眼 : X-T1 (富士フイルム)
④フルサイズ : α7 (ソニー)
何だか、普通のカメラ雑誌での評判と違いますね。(^^)
もちろん、これらの評価の中には、キヤノンやニコンなどの一眼レフカメラも入っています。
やっぱり広告の影響って、あるのでしょうね。

みなさんも、一度カメラ雑誌に目を通してみて下さい。

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デジタルカメラマガジン 2014年 04月号カメラマガジン2014.4 (エイムック 2814)日本カメラ 2014年 04月号 [雑誌]デジキャパ ! 2014年 04月号 [雑誌]

道場六三郎が負けた! アルトア・ルターとの名勝負 料理の鉄人を振り返る

もう20年も前になりますが、私はTV番組の「料理の鉄人」が大好きでした。

初代の鉄人は、道場六三郎(和)、石鍋裕(フレンチ)、陳健一(中華)でした。バブルの余韻が残るその当時、石鍋氏の名前は「クイーンアリス」のオーナーとして名前を聞いたことはありましたが、残りの二人は知りませんでした。特に、その当時は中華と言えば「浅草橋ヤング洋品店(浅ヤン)」に出ていた周富徳氏が有名だったので、何故中華の鉄人は周さんじゃないのか? と思っていました。(その当時の陳さんはとにかくよく負けていました(^^))

その鉄人の中で、私は和の鉄人である道場六三郎氏の大ファンでした。最初見た時は、それほどすごい人とは思いませんでしたが、回を重ねる毎にそのすごさに圧倒されました。和食でありながら、キャビアやフォアグラ、トリュフなどを自由に使いこなし、いつも、その引き出しの数の多さに驚かされました。(今では、多くの料理人が食材として使っていますが、その当時は衝撃的でした)

この「料理の鉄人」は、アメリカでも放映されていたそうで、米国の弁護士と話をした時に、
「Iron Chefって知ってる?」
「もちろん、知ってるよ! 私は最初のバージョンが好きだな。」(いくつかバージョンがあったそうです)
「道場六三郎は知ってる?」
「もちろん! 大ファンだよ。」
という事でした。この弁護士も、当時の「料理の鉄人」が大好きだったそうです。

この番組で、一躍人気者になった道場さんですが、「道場六三郎」っていう名前は最初は芸名かと思っていました。なんだかカッコ良過ぎる名前ですよね。なんでも六人兄弟の3番目ということで付けられたそうですが...。
当時、道場さんはほとんど負け知らずでしたが、仕事も忙しくなってきたので、そろそろ鉄人を引退しようと考えていたそうです。そんな時に対戦した挑戦者が、ドイツ生れのフレンチシェフであるアルトア・ルター氏です。

この対決が、道場さんの気持ちを変えました。動画が消される前に見て下さい。


何と、勝ったのは挑戦者のアルトア・ルター氏でした。ルター氏は、東京郊外の東久留米の駅前に小さな店を開いていました。その当時、車で10分ほどで行ける埼玉県の朝霞に住んでいた私は、早速お店を見にいきました。確かに駅前にお店はありましたが、本当に小さなお店で、とても和の鉄人を破った料理人のお店とは思えませんでしたが、店の外に「道場六三郎に勝利!」と手書きで書いてあった事を覚えています。

この敗北で目覚めた道場さんは、その後も鉄人として勝ち続け「最強の鉄人」と言われることになりました。もし、この時にルター氏に負けていなければ、道場さんはその後すぐに引退していたかも知れませんね。そういう意味で道場さんにとっても思い出深い対決だったでしょうし、何回見ても楽しめる奥深い戦いです。

それから何年かして、ルター氏のお店「シェ・シルビア」で食事をしましたが、ずいぶん前なので、美味しかった事以外は何を食べたか覚えていません。(笑) 奥さんの清子さんと話をして、料理の鉄人に出た後、お客さんがとても増えたそうですが、職人気質のルター氏は、人に任せられずに全部自分でやるため忙しくて大変だったという話を聞きました。

その「シェ・シルビア」も2005年に閉店したそうです。とっても残念です。
また、行きたかったなあ~!

残念と言えば、フジTVで復活してコケた「アイアン・シェフ」、とっても残念でした。(苦笑)

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日本美術の七不思議ベスト1 「風神雷神図」に見る 宗達のすべて「芸術新潮2014年4月号」 [美術]


芸術新潮 2014年 04月号 [雑誌]



現在、発売中の芸術新潮の2014年4月号の特集は、『日本美術の七不思議ベスト1「風神雷神図」に見る宗達のすべて』です。俵屋宗達と言えば、一般には「琳派の創始者」というイメージですが、それに関する疑問を投げかけた特集です。

俵屋宗達に関しては、このブログで2回ほど紹介しています。
・宗達は本当に琳派か? 俵屋宗達 琳派の祖の真実 古田亮著 を読む
・宗達 光琳 乾山が揃い踏み 琳派芸術 ―光悦・宗達から江戸琳派― に行く

今回の特集の筆者は、安村敏信氏で、2013年3月まで、板橋区立美術館館長をされていた方です。日本美術全集では、第13巻『宗達・光琳と桂離宮』を監修されました。

特集の目次は、以下の通りです。
≪風神雷神図屏風≫ 9のキーワード
1.「琳派への疑問」
2.俵屋
3.モティーフ
4.ルーツ
5.技法
6.形式と構図
7.色彩と背景
8.後継者たち
9.制作年代の謎

まずは、「風神雷神図屏風」の謎について。安村氏は日本美術史七不思議のベスト1と主張します。
①落款・印章が全くないのに宗達筆を否定する論文を見たことがない。
②明治17年のフェノロサの調査では「伝宗達」とされていた。(宗達筆と伝わっているという意味)
③江戸時代の記録のどこにもこの作品が出てこない。
④それにもかかわらず、明治30年代から宗達真筆とされており、現在国宝に指定されている。

そもそも「琳派」とは、この宗達の作と言われている「風神雷神図」を尾形光琳が模写し、その光琳の画を酒井抱一を模写し・・・と「私淑によって継承された」流れを一派と考えたものです。しかし、この本で、「光琳は宗達をそれほど重視しておらず、抱一はオリジナルが宗達であることを知らなかった」と書かれています。だとすると、「琳派」の意味とは何なの?

その他にも「琳派」の代名詞ともいえる「たらし込み」の真の意味を琳派の絵師たちは誰一人理解していなかった、とさえ書いています。読んでいて「へ~!」の連続です。(^^)

琳派ファンには必読の書と言えます。

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江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす (日本文化 私の最新講義)浮世絵美人解体新書美術館商売―美術なんて…と思う前に (智慧の海叢書)宗達と琳派の源流 琳派美術館 (1) (琳派美術館)河鍋暁斎―奇想の天才絵師 (別冊太陽)狩野探幽 (新潮日本美術文庫)広重と歩こう東海道五十三次 (アートセレクション)もっと知りたい狩野派―探幽と江戸狩野派 (アート・ビギナーズ・コレクション)工芸と琳派感覚の展開 琳派美術館 (4) (琳派美術館)抱一と江戸琳派 琳派美術館 (3) (琳派美術館)

男性は読まないように! 「炭水化物が人類を滅ぼす」 夏井睦著 を読む [ダイエット]


炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書)炭水化物が人類を滅ぼす~糖質制限からみた生命の科学~ (光文社新書)

← Kindle版もあります。

著者の夏井先生は、1957年秋田県生まれ、東北大学医学部卒業。日本形成外科学会認定医。石岡第一病院、傷の治療センター長で、以前このブログでも紹介した「傷はぜったいに消毒するな」(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-02-03)で医学界に衝撃を与えた「湿潤療法」を実践している先生です。

この本の冒頭の書きだしが面白い。
本書では、中年オヤジでもスリムに変身できる方法を紹介する。だが、本音を言えば、できれば同年代の男性には読んで欲しくないと思っている。書店で見ても、気がつかずに素通りして欲しいとすら思っている。
なぜか、この方法なら、誰でも簡単に、短期間で努力なしに、ほぼ確実に痩せられるからだ。痩せないわけがない、という驚異のダイエット方法だからだ。(中略)
しかし、私としては、自分が痩せればそれでいいのであって、自分以外の同年代のオヤジたちには痩せて欲しくないのである。私以外の中年オヤジはずっとデブ体型のままでいて欲しいのである。すっきりと痩せてしまった私の引き立て役として、彼らにはメタボ体型を保って欲しいのだ。

夏井先生は、このブログでも紹介した江部康二先生の記事をWebで読み、2011年暮れから翌年の5月にかけて、半年で11キロもやせたそうです。それによって、高血圧も高脂血症も自然に治ってしまい、昼食後の居眠りをしなくなり、夜もぐっすり眠れるようになったとのことです。
さらに、酒を飲んだ時に〆の雑炊やラーメンなどの炭水化物を摂らなくなったことで、二日酔いが無くなったと言います。これは、肉などのタンパク質は、胃液ですぐに分解するけれど、炭水化物は何時間も胃の中に留まることが原因とのことです。

そもそも「糖質」とは何か? 糖質制限とは? というと、以下の通りです。
簡単にいえば、糖質とは、「血糖値を上げる栄養素(食品)」である。摂取した後、すみやかに血糖に変わるのが糖質である。問題の本質は、血糖を上げるか上げないかだけなのだ。
血糖をもっとも効率的に上げるものが、ブドウ糖(グルコース)だ。だから、糖質制限においてはブドウ糖そのものが含まれる食品はなるべく避けるべきだし、体内でグルコースに変わるデンプンも控える必要がある。

ですので、糖質さえ制限すれば、糖質以外の肉や脂はいくらカロリーが高くてもお腹いっぱい食べても問題ないのです。これは、これまで常識とされていた、ダイエットの時の「カロリー神話」を覆すものです。私も知らなかったのですが、このカロリー値の測定法は19世紀に提案された方法が現在も使われているそうです。そして、その値は、夏井先生に言わせると「うさんくさい」ということになります。
◇体温は最高でも、せいぜい40℃であり、この温度では、脂肪も炭水化物「燃焼」しない。つまり、人体内部で食物が「燃えて」いるわけがない。
◇そもそも、細胞内の代謝と大気中の燃焼はまったく別の現象である。
◇各栄養素ごとの物理的燃焼熱は、小数点1~2桁の精度で求められているのに、エネルギー換算係数を掛けて得られた熱量はどれも「キリのいい整数」であり、数学的に考えると極めて不自然で恣意的だ。あえていえばうさんくさい。
◇動物界を見渡すと、食物に含まれるカロリー数以上のエネルギーを食物から得ている動物が多数存在する。

この糖質制限をうまく実践するために、食物を角砂糖に換算するという方法が書かれています。これは、私も読んで納得しました。例えば、コーラ590mlには65gの糖分が含まれているそうです。これだけ聞くと「へぇ~」で終ってしまいますが、これを角砂糖に換算すると16個強になります。これを聞くと「え~?」となりませんか?
その昔、Appleのスティーブ・ジョブズがペプシコーラの社長をAppleの社長にスカウトした時の決めセリフが、
「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えるチャンスをつかみたいか。」(ウィキペディアより)だったそうです。さすがジョブズは、糖質に関しても知識があったのですね。
(本当か?(^^))

その他、スポーツドリンクなども、500ml中に33.5gの糖分が含まれているそうですから、角砂糖8個分にもなります。以上をまとめると、次のようになります。

・食パン(6枚切り)1枚 :30g ⇒ 角砂糖 7.5個分
・素うどん一玉=白米一膳 :55g ⇒ 角砂糖 14個分
・コーラ 590ml :65g ⇒ 角砂糖16個分
・スポーツドリンク 500ml :33.5g ⇒ 角砂糖8個分

コーヒーや紅茶に角砂糖を2個以上入れると甘過ぎて飲めなくなりそうですが、私たちは、それ以上の糖分を知らずに摂取していることになります。これを知っているだけで、糖質制限しようという気になりますよね。
特に、白米や食パン、麺類などは砂糖のように甘くないので、お腹いっぱい食べることができますが、それを角砂糖に換算するととんでもない量になってしまいますね。

さて、私も今日から、糖質制限をしようと思います。(笑)

ダイエットに関してはこちらもどうぞ。
・小麦は食べるな! 「ジョコビッチの生まれ変わる食事」 ノバク・ジョコビッチ著 を読む
・私も実践! 「やってみました1日1食!! 」 船瀬俊介著 を読む
・万病が治る! 20歳若返る! 『かんたん「1日1食」!! 』 船瀬俊介著 を読む
・間欠断食は効果抜群! 口ぐせダイエット 佐藤l富雄著 を読む
・ダイエット本の決定版! 「やせる」 勝間和代著 を読む

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傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学 (光文社新書)キズ・ヤケドは消毒してはいけない―治療の新常識「湿潤療法」のすべてさらば消毒とガーゼ 「うるおい治療」が傷を治す医療の巨大転換(パラダイム・シフト)を加速する――糖質制限食と湿潤療法のインパクト

白州次郎はユダヤ人か?『白州次郎の嘘』 日本の属国化を背負った「売国奴ジョン」 鬼塚英昭著を読む [歴史の真実・陰謀論]


白洲次郎の嘘  日本の属国化を背負った「売国者ジョン」
白州次郎と聞くと、当時としては日本人離れした185cmの長身(175cmという説もあり)と甘いマスク、高級車を乗り回し、伯爵家出身の正子さんと結婚など煌びやかなイメージが浮かび上がります。

伊勢谷友介氏がNHKのドラマで主演を演じたことで、さらにそのイメージが固定された印象があります。そして、その甘いマスクでありながら、終戦後はケンブリッジ大学仕込みのキングスイングリッシュで日本の敗戦処理に奔走し、マッカーサーと頂点とするGHQに唯一反抗した男として知られています。
このブログでもその英語力とそのカッコよさを紹介しました。
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2012-02-01

ところが、その白州次郎はとんでもない売国奴であったと主張をしているのがこの本です。
著者の鬼塚英昭氏は天皇や日本の黒幕などに関する著作が多いようです。
1997年11月、青柳恵介の『風の男 白州次郎』という本が世に出た。
それから、白州次郎を賛美する本が続々と出版された。
私は「なぜこんな現象が起きたのであろうか?」と訝しんでいた。
鬼塚氏の疑問は「白州次郎とはいったい何者なのか」という素朴なものです。鬼塚氏は、白州次郎のことを調べれば調べるほど、疑問が湧いてきたようです。

まずは、ケンブリッジ大学で学んだということに関しての疑問です。
中学五年間を通じて成績は中以下、の少年が、突然のようにイギリスに行き、その二年後に、ケンブリッジ大学に入学できるものであろうか。
実際にはケンブリッジ大学を卒業したというのは間違いで、聴講生だったようです。
白州次郎はイギリスにいた1919年(17歳)から帰国するまでの約10年間、一人の日本人とも会っていないのである。私の調べたかぎりでは、五つ違いの兄・尚蔵とも会った形跡はまったくない。だからこの間の約10年間、日本語をほとんど喋りもせず、本も読まなかったと思われる。

そして、白州次郎は、イギリスから帰って来て、英字新聞社に勤めた後、「セール・フレーザー商会」という商社の取締役となり、月給500円を得ていました。この当時の大卒者の初任給は70円程度だった時代です。
この男のダインディズムに世の女性たちが憧れるのである。しかし、読者よ、少しだけ冷静になって考えてみられよ。十年近いブランクをもって、日本人らしくない、全くの英国人の魂を持った男が帰ってきて、二年足らずで大金を湯水のごとく使うことが、”なぜ”できたのかと。
その頃すでに父・文平の事業は破産している。いくら調べても、セール・フレーザー商会で何をやり、どんな業績を上げたのか、何もわからない。

白州次郎と言えば、彼の著書である 『プリンシプルのない日本』 からも分かるように「プリンシプル」を非常に重要視していました。そして、日本人離れした長身と風貌、そして「プリンシプル」を重視する考え方。そして、白州次郎は、英文のメールで日本人のことを「彼ら(they)」書いていたことから、鬼塚氏は、「白州次郎は日本人ではないのでは?」と考えます。

結論を言うと、鬼塚氏は「白州次郎はユダヤ人である」と考えています。
白州次郎の祖父の退蔵が神戸女学院の創設に関与したことから、父である文平の家に神戸女学院の外人教師が寄宿していたそうで、そのうちの誰かが白州の母親であろうと推測しています。そして白州の祖父をジャーディン・マセソンの経営者であるウィリアム・ケズウィックと考えています。つまり、白州次郎の「プリンシプル」は、日本人にも英国人にもないもので、ユダヤ人のものである、というのです。
この本の中で紹介されている北康利の『レジェンド 伝説の男 白州次郎』(2009年)の中の記載が興味深い。
毎日新聞元記者の田中洋之助は、ロンドンに赴任する直前の送別会の席で、英国大使館の広報官から、
「ミスター・シラスは、ケンブリッジ在学中、ずっとイラン人で通していたと聞いています」
と聞いたそうだ。

鬼塚氏は、白州次郎は、ユダヤ金融資本が日本を操るためのエージェント(この本では「コンプラドール」と表現している)として動いたと考えています。そして、いわゆる「ヨハンセン・グループ」と言われる、吉田茂、樺山愛輔、牧野伸顕、貞明皇后らとともに、ジャーディン・マセソン社に協力して、日本を敗戦に道引くように暗躍していたというのです。

つまり、これまで書いたことから分かるように、NHKドラマにあったような 「マッカーサーと対等に渡りあった」とか「ホイットニーをやり込めた」などという話は、白州次郎が自分で広めたホラ話であるということです。
ちょっと淋しい話ではありますが、まあ、そんなものかも知れません。なかなか説得力のある本です。

白州次郎に興味のある方は是非読んでみて下さい。

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風の男 白洲次郎 (新潮文庫)プリンシプルのない日本 (新潮文庫)白洲次郎 占領を背負った男白洲次郎 (コロナ・ブックス)日本のいちばん醜い日日本の本当の黒幕 上巻 龍馬暗殺と明治維新の闇原爆の秘密 (国内編)昭和天皇は知っていた八百長クライシス あらかじめ決められた恐慌天皇のロザリオ 下巻 皇室に封印された聖書

福島原発4号機は何故爆発したのか? 「原発マトリクス」 ベリー西村著 を読む [震災・原発]


原発マトリクス_日本裏政府と世界闇組織の陰謀
早いもので、3.11から3年が経ちました。
改めて、震災、津波、原発事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、被災された多くの方々、そして、まだ地元に戻れていない方々にお見舞いを申し上げます。

今回紹介する本は、久しぶりに原発関連の本で、Kindle本で555円とお買い得です。

副題が「日本裏政府と世界闇組織の陰謀」と言うものです。作者のベリー西村氏に関しては、全然知識が無かったため、「また新手の陰謀論か! まったく、いい加減にして欲しいな。」(← お前が言うなよ(笑))
と思って読みだしたのですが、ちょっとショックでした!

福島原発に関しては、いろいろと本を読んでいたので若干食傷気味だったのですが、甘かったです。
この本のテーマは、「福島原発4号機は何故爆発したのか?」です。
水素爆発した1号機、キノコ雲を出して核爆発した3号機に目が行っていましたが、そう言えば4号機はいつ爆発したんだっけ?
私が知っているのは、以前、このブログで紹介した青山繁晴氏のコメントです。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-06-07
通常兵器ではこのような破壊はおきないんじゃないか、場合によっては小型戦術核のような攻撃でなければここまでの破壊はないんじゃないか、というようなありさまでありました。」というコメントは衝撃的でした。そして、言われてみれば、4号機はいつ爆発したのか記憶がありません。
テレビカメラで爆発が撮影された1、3号機と違い、4号機は爆発の目撃者もいない。原子力安全委員会の関係者は「どの仮説も検討すると『ありえない』という結論になる。いつ壊れたかする特定できていない」と言う。4号機の爆発映像は確実に撮られている。では、なぜ放映もされず、現在に至っても流出しないのだろうか?
1号機や3号機の爆発は、TVでもWebの動画サイトでも何度も映像が流されています。しかし、4号機の爆発に関しては、その映像が見つからないのです。ここに西村氏は疑問を持ちます。
軍事核研究者という私の視点から言えば、福島第一原発で、3月という冬の電力低消費時期に発電していたことの方が、よほど違和感を感じてしまう。東北地方や北海道では、暖房には灯油利用のストーブ使用が中心であり、暖房用エアコンの利用率はかなり低いのである。

西村氏は、「福島原発は『核関連物質』の生産工場であった」と考えています。原発の爆発によって飛び散った放射性物質の核種から、西村氏は福島原発で、モリブデン99、プルトニウム239を生産していたと推測しています。そして、地震・津波の影響で隣の3号棟が核爆発した後、陰の組織であるイルミナティが小型高速増殖炉「プリズム」と高濃度プルトニウム製造の機密漏洩を恐れて、4号棟を自爆させたというのが西村氏の主張です。
「こちらBSP、計算が完了した、燃料プールへの影響はない」
「了解、4号炉の屋上も吹き飛ばしてほしい」
「それは無理だ、プリズムの自爆装置では屋根は飛ばせない、指向性を持たせている」
「了解、空母レーガンが待機している、プリズムは任せた」
「爆破は何時がいいか」
「15日、日本時間の早朝だ」
「了解した、屋根はそちらで頼む」

みなさんも、4号棟には、1,535本もの燃料棒が入っており、そのうち204本は使用済みではない新燃料であることに驚いた方も多かったと思います。

ここで結論だけ書くと、どうしても荒唐無稽に感じるでしょうが、一読すると説得力のある仮説だと思いました。
まだまだ福島原発には分からない部分が多いですね。
興味ある方にはお勧めの本です。

【地震・原発関連】
・また人工地震か? 今度は長野県中部の地震が・・・
・東北道の放射線量を RD-1503で測る! 仙台の震災の影響は?
・また人工地震か? 中越地震が増えています。 注意しましょう!
・3号機は核攻撃? 菅首相の対応は、米国の指示通りか?
・なぜ、南足柄の茶葉に放射線物質が? 福島原発の影響? 関東地方への影響を考える。
・福島原発事故の放射能の影響 --- 埼玉県の場合
・これから地震は大丈夫なのか?
・原発は地震で壊れるようにできている 武田邦彦著 雑誌Will 2011年5月号 を読む
・東日本大震災の地震はオカシイ? 地震波形を見る!
・3.11同時多発人工地震テロ リチャード・コシミズ著 を読む
・原発や地震に関して気になること その2
・東京湾でも津波が発生か? 東京湾地震に関して
・原発や地震に関して気になること
・何かオカシイぞ! 東日本大震災前の建設関連株の動き
・子供たちを被爆させるな! 原正夫 郡山市長の英断に拍手! 
・放射能で首都圏消滅 古長谷 稔著 を読む
・東日本大震災は人工地震か?
・原発事故に関して ・・・ 武田邦彦先生のブログを参考にする

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夢研究者と神―神が語った睡眠・宇宙・時間の秘密陰謀 天皇奠都と日本純血統人の使命洗脳―あなたが集団催眠から脱却する本です

やはり画面が大きいのはいいね! Kindleの8.9型タブレットを追加!


Kindle Fire HD 7 8GB タブレット

以前、Kindle fire HD 32G を買ったことを書きました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06)これはこれで、なかなか使い易いタブレットだったのですが、慣れてくるともう少し大きな画面が欲しくなってきました。特に、雑誌やA4の文書を読む時などは細かい字を読むのが厳しい年齢になってきましたので...。(汗)


Kindle Fire HDX 8.9 16GB タブレット
そんな時に、新しい8.9型のタブレット(Kindle Fire HDX 8.9タブレット)が発売になりました。しばらく我慢していましたが、「キャンペーンで5,000円値引き」に釣られてポチってしまいました。この新しいKindle Fire HDX 8.9 ですが、とっても軽いんです。
詳細は、(http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00D3TVHDE/ref=bb1_dev_kfa63?ie=UTF8&nav_sdd=aps&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-1&pf_rd_r=09RBPRF5SGJYC664XHFG&pf_rd_t=101&pf_rd_p=160022369&pf_rd_i=489986)を見て頂ければと思いますが、Kindle Fire HD 7との比較を書くと、以下のようになります。
Kindle Fire HD 16GKindle Fire HDX 8.9
LCDサイズ7インチ8.9インチ
解像度1280 x 800 (216ppi)2560 x 1600 (339ppi)
重量345g374g

ポイントは、重量です。7インチから8.9インチになって重量がほとんど変わりません。前のタイプの8.9インチは、567gもありましたので、今回のモデルチェンジで200gも軽量化したことになります。
7インチの方は、LCDの周辺(額縁)がかなり厚くて若干不細工でしたが、今回の8.9インチは狭額縁になり、解像度も上がっており、これはすごい進歩だと思います。
ただし、専用の「ORIGAMIカバー」は、重量が300gもあり、せっかくの軽量モデルの意味がないと思い、軽いタイプの革のカバーとしました。これで、7インチのものと同じ500g台の重さで快適に使えています。

さて、実際の見え方ですが、これは、前回紹介したマンガ「孤高の人」の表紙を一緒に出した時の画像です。
kindle2.JPGこれだけ違うと近くが見え難くなっている私と同世代の人たちでもストレスなく見ることができると思います。大きさとしては、7インチが文庫サイズで8.9インチが書籍サイズと言えます。
ですので、Kindle版の雑誌などを見る時は、8.9インチでさらに大きなサイズが欲しくなります。やはり雑誌はipadレベルの大きさが必要かも知れませんね。私としては、今のところ不満はありませんが...。

みなさんもKindle生活にトライしませんか? (笑)

(注)ただし、Kindle用の端末ですので、通常のパソコン、タブレットのWeb、アプリの使用がメインの方は使い難いかと思いますのでご注意ください。

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K2の東壁に挑む 「孤高の人」 坂本眞一著 を読む [クライミング]


孤高の人 1 (ヤングジャンプコミックス)
今回は、新田次郎の同名小説のマンガです。

私は新田次郎の小説は読んでいませんので内容の違いは分かりませんが、おそらくかなり違うと思います。その理由はマンガの導入部は、ロッククライミングから始まっているからです。(新田次郎の小説が発表されたのは、1969年でロッククライミングそのものが一般的ではなかったはずですので...)

このマンガ、クライミングのジムに置いてあったので、休んでいる時間に何気なく手にとって読んだのですが、思わずのめり込んで真剣に読みだしてしまいました。

孤高の人 2 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)話は、主人公である高校生の森文太郎が転校してくるところから始まります。この主人公は、過去のある事件が原因で、人とは関わらずに自分一人の殻に閉じこもる性格でした。その森文太郎にクライミング好きのワルがちょっかいを出して、素人の主人公に5,6階の高さの校舎の雨どいを伝って屋上までフリークライミングさせるというトンデモない展開です。しかも、安全確保しない「フリーソロ」という登り方で見事登り切ってしましいます。しかも、その1週間後にクライミングのコンペ(試合)に出場してしまいます。
私は2年以上、ボルダリングをやっていますが、その経験からしても、絶対にありえない話です。まあ、マンガですので、そんなことを言ってもしょうがありませんが...。

孤高の人 3 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)それをきっかけに森文太郎は、クライミングに目覚め、最終的にはK2(標高はエベレストより低い8600mであるが、エベレストよりも難易度が高い)の東壁を単独登攀することを目指すクライマーとなります。このマンガは、面白いのですが、登場人物(ほとんどがクライマー)のほとんとが「嫌なやつ」です。(笑)
そして、主人公の森文太郎は、いつも、そのような周りの人間に騙され、利用されてしまいます。正直言って読んでいて気が滅入ることが多いマンガです。そのような重苦しさが嫌いな人にはお勧めできません。
クライミングに楽しさを求める人は、同じ山岳マンガの「岳」を読むことを強くお勧めします。

孤高の人 4 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)日本でエベレストやK2の単独登攀というと、このブログでも紹介した山野井泰史氏(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-12-14)が有名ですので、このマンガに出てくるエピソードも山野井氏のものからの影響が強いように感じます。逆に山野井泰史、妙子夫婦の生きざまを知ると、このマンガに描かれているエピソードもそれほどインパクトを感じなくなるかも知れません。(^^)


クライミングに興味がある方にはお勧めのマンガです。

クライミングに関しては、こちもどうぞ。
・ユージ ザ・クライマー―世界最強のクライマー平山ユージのライフストーリー
・凄過ぎる山との戦い 垂直の記憶 山野井泰史著 を読む

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孤高の人 コミック 1-17巻セット (ヤングジャンプコミックス)岳 コミック 全18巻完結セット (ビッグ コミックス)


任那日本府はどうなった? 「日韓がタブーにする半島の歴史」 室谷克実著を読む [社会]


日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)日韓がタブーにする半島の歴史(新潮新書)


← 右側はKindle版です。

朝鮮半島の歴史に関して書かれた本です。

著者の 室谷克実氏のプロフィールは、Kindle版にはなかったので、ウィキペディアから引用します。
1949年(昭和24年) 日本の評論家・ジャーナリスト。東京都出身、慶應義塾大学法学部卒。大学卒業後に時事通信社に入社し、政治部記者、ソウル特派員、宮崎支局長、宇都宮支局長、時事解説編集長、時事評論編集長、地域づくり編集長などを歴任した。

昭和中ごろに生れた私たちの世代は、古代の朝鮮半島の南端に「任那日本府(みまなにほんふ)」があった事を習っていますが、現在の教科書では教えられていないようです。念のために高校生の息子の日本史の教科書を見てみましたが、加羅諸国は記載されていますが、「任那日本府」の記載はありませんでした。これも韓国からの影響なのでしょうね。知らない人のために、ウィキペディアからの記載を紹介します。
任那日本府(みまなにほんふ)とは、『日本書紀』の雄略紀や欽明紀など[1][2]に見える、古代朝鮮半島南部の伽耶の一部を含む任那にあった倭国の出先統治機関。宋書倭国伝の記述にも任那という記述が見られ、倭王済や倭王武が宋 (南朝)から任那という語を含む号を授かっている。

つまり、古代日本は朝鮮半島の南部に出先機関を持っていたということなのですが、「自分たちが一番」、「何でも自分たちがオリジナル」と考える韓国にとってはそれは許しがたいことなのでしょう。私自身も、当時の大国であった中国からの技術や文化は、半島を経由して渡ってきたというのは確かだろうと漠然と考えていました。

そのような考え、印象は間違いである、というのが室谷氏の主張です。室谷氏は5年間のソウル特派員から帰国した後に、『「韓国人」の経済学』を書いたそうですが、
当時はまだ、「韓国=昇龍論」が、日本社会を勢いよく闊歩していた。それは「勤勉な韓国人によりもたらされた昇龍のような勢いの韓国経済が日本を抜き去るのは時間の問題だ」といった”お話”だった。こんな”出鱈目なお話"に、日本人が染められていくのは、断固として阻止しなくてはいけない―そんな思いで書いた。(中略)
その本で書いたのは、①韓国人は儒教に染まりきっているので、「額に汗して働くこと」を蔑視しているから、まともな工業製品はできない、②その国の経済は統計数値を誤魔化しているので表面はピカピカだが、実は「外華内貧」だ―といったことだ。
最近は、サムスン、LGなどの大企業は、日本人技術者を引き抜くことで、製品のレベルを上げていますが、韓国全体として見ると今でも室谷氏の主張は正しいと思います。

そして、室谷氏がこの本で主張していることは、以下のことです。
倭人は半島の民族から様々なことを教えられたどころか、半島に初めて統一国家を築く新羅の基礎づくりを指導したのは、実は倭人・倭種であり、新羅も百済も倭国のことを”文化大国”として敬仰していたのだ。
これは、日本の古事記や日本書記などの日本の資料から出された主張ではありません。
中国、朝鮮に残っている古文書を読むとそう解釈するしかない、ということです。
例えば、半島に伝わる最古の正史(官撰の歴史書)である『三国史記』には、列島から流れてきた脱解という名の賢者が長い間、新羅の国を実質的に取り仕切り、彼が四代目の王位に即くと、倭人を大輔(総理大臣に該当)に任命したとある。その後、脱解の子孫からは七人が新羅の王位に即き、一方で倭国と戦いながらも新羅の基礎をつくっていったことが記載されているのだ。(中略)
半島で、半島の史官が、半島の王の命令を受け、半島の王朝と人民のために編纂した半島の正史に、そうした内容が書いてあるのだ。
あるいは、七世紀半ばに完成した中国の正史『随書』には、こんな一節がある。

新羅、百済皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之、恒通使往来
<新羅も百済も倭国を大国と見ている。優れた品々が多いためで、新羅も百済も倭国を敬仰し、常に使節が往来している>
(中略)
『随書』は殆ど同時代書であり、これを編纂した唐の最高級の知識人たちは、倭国-新羅、倭国-百済の関係を、こう見ていたのだ。

隣の国は、日本が黙っていると(黙っていなくても)自分たちの都合のよい歴史を捏造してくる国です。そして、それに迎合する日本人が多いことも事実です。過去の歴史を正確に認識して誤りなく後世に伝えることが大事ですね。
ここで紹介した以外にも「目からウロコ」の内容が書かれています。是非読んでみて下さい。

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呆韓論 (産経セレクト S 1)悪韓論 (新潮新書)韓国人がタブーにする韓国経済の真実「韓国人」の経済学―これが外華内貧経済の内幕だ朝鮮半島―南北「情報心理戦」の真実

乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む [落合莞爾]

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落合先生の中国陶磁器の秘密に関する本です。
この本は定価15,000円と非常に高価ですが、そこに書かれている内容は中国陶磁を研究する人には非常に重要な内容が書かれており、是非一読して欲しい本です。

内容を簡単にまとめると、
・紀州徳川家に伝来していた中国陶磁器は、張作霖が奉天で所有していた乾隆帝の秘宝である。
・清朝皇帝は、本当の宝物は北京ではなく、清王朝の発祥の地である奉天に秘蔵していた。
・張作霖は、軍資金を得るためにその秘宝を大正の末頃に紀州徳川家に売却した。(現在の価値で約750億円)
・徳川家に入った陶磁器は、早い時期に流出し、デビッドコレクションや東京国立博物館など有名美術館に収まり名品と評価されている。
・陸軍中将上原勇作の特務であった吉薗周蔵が大正9年に奉天に行った時に作成した「奉天古陶磁図経」にそれらの陶磁器の大きさや特徴、実寸の絵柄が書かれていた。
・平成8年に落合先生が「奉天古陶磁図経」を入手して研究を重ね、図経に記載されている陶磁器がどこに所蔵されているものかを解説したものがこの本である。

zukan.JPG落合先生は、平成元年頃から地元和歌山の恩師である稲垣伯堂を通して、紀州徳川家所蔵の陶磁器(中国陶磁器、李朝など)を入手しました。平成2~3年にかけてそれらの陶磁器に関して図鑑を作成して刊行しました。(元、明の中国陶磁器、李朝に関して刊行) この図鑑を作成する過程で、落合先生は所蔵の中国陶磁器の専門家の意見を参考にしながら、自分で作成窯と時代の鑑定を行いました。

落合先生は平成4年10月に岸和田市の依頼で中国、李朝の陶磁器の展覧会を開催しましたが、朝日、読売新聞、毎日放送などによる贋作報道によって贋作事件に巻き込まれてしまいます。これに関しては、落合先生の「ドキュメント真贋」に詳しく書かれており、このブログでも紹介しました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2011-01-02

その後、平成7年から落合先生は、佐伯祐三の真贋事件に吉薗明子氏の代理人として関わります。その過程で、明子氏の父である周蔵氏が書いた手記を入手します。その中には大正~昭和初期の軍部の動き、特に陸軍の中枢にいた上原勇作やその部下であった石光真臣・真清兄弟、甘粕正彦、藤田嗣治、貴志彌次郎などの動きが詳細に書かれていました。その内容は、現在落合先生が書かれている”疑史”シリーズのベースとなっています。

そして、その周蔵氏の手記の中に周蔵氏が大正9年に奉天で作成した張作霖所蔵の中国陶磁器に関する「奉天古陶磁図経」がありました。その図経には、先生が入手した中国陶磁器の名品の多くが記載されている他、陶磁器界で名品と言われているものが多く記載されていました。
この「奉天古陶磁図経」は、奉天に行って張作霖所有の陶磁器と当時満鉄で小森忍を中心に中国陶磁器の贋作造りを行っているのを見た周蔵氏が、のちのちこれらの中国 陶磁器の真贋問題が起こると予想し、真贋判定に使うために作成したものです。

しかし、その周蔵氏の思いとは逆に、周蔵氏の作成した文書は偽造されて小森忍が中心となり三重県の佐那具陶研で作成した中国古陶磁や乾山など茶道具の倣造品の売却に利用されることとなります。その売買には、陶磁業界の中心的な学者や業者が関わっていたことが日本の陶磁界の暗部として残っています。そして、それが昭和36、37年ごろに起こった、「永仁の壷事件」や「佐野乾山事件」につながるわけです。
「永仁の壷事件」では、贋作を作成した陶工、それを重要文化財に認定した文部技官、それを承知の上で売却していた業者が仲間となって行っていたことが事件になったものと考えられます。
また、落合先生の関わった「岸和田事件」や「佐野乾山事件」などは、これまで業界に流通していなかった「本物」を業界から排除するために新聞やTVなどのマスコミを利用して意図的に起こされた事件と言えると思います。

この本で興味を引くのは、吉薗周蔵氏が「佐野乾山事件」ともかかわりがあった点です。
昭和36年に始まった佐野乾山事件を知った周蔵は、「これは犯罪である」と憤慨し、独自に調査を始めた。佐野乾山事件には、佐那具窯関係者と佐藤進三が創立した日本陶磁協会が深く係わっていたことを知る周蔵は、毎日新聞に押しかけて抗議をしていたが、調査のために赴いた大阪の新橋の高級料亭付近で、黒塗りの自動車に圧迫され、土塀に押し付けられる不慮の交通事故に遭い、それが原因で腎臓を痛め、腎委縮の症状で昭和39年10月に他界した。
当時、異常とも思える毎日新聞の新発見の佐野乾山に対する贋作キャンペーン報道に対して、周蔵氏も憤慨していたことは心強い話です。しかし、周蔵氏がその事故に遭わずに生きていれば、おそらく佐野乾山事件も解決していたであろうことを考えると非常に残念です。

落合先生は自分で書かれた図鑑で特定した窯や時代鑑定がかなりの確率で「奉天古陶磁図経」の記載と合致することに驚きます。しかし、先生はさらに研究を重ね、所有の名品のいくつかは清朝康熙、擁正時代の御窯での倣造品であると判断しました。倣造品と言っても、皇帝が作らせた御窯の製品ですので、その多くがオリジナルよりもすぐれた名品であると判断しています。

この本では、現存の「奉天古陶磁図経」に書かれている一品、一品に現在知られている陶磁器を推定して書かれていますので、中国陶磁器に関して興味がある方には必読の書ですが、値段が高いのと装丁が普通の冊子である点が少々残念です。
内容に関しては、以下をご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/hokusai/kishiwada/houtenkotoujizukyo.htm

奉天古陶磁の素晴らしい作品については、紀州文化振興会のHPをご覧ください。
http://www.kishu-bunka.org/toujishi.html

この本の購入に関しては、紀州文化振興会のHPをご覧ください。
http://www.kishu-bunka.org/

【佐野乾山に関しては、K's HomePageを参考にしています。(http://kaysan.net/sano/sanokenzan.htm)】

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項」 落合莞爾著 を読む
・落合秘史はここから始まった! 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』 落合莞爾著 を読む
・「天皇とワンワールド」 京都皇統の解禁秘史 落合莞爾著 を読む
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・現皇室は南朝の末裔だ「南北朝こそ日本の機密」 落合莞爾著 を読む
・「日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義」 - 版籍奉還から満鮮経略への道 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

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奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 (落合秘史)南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)金融ワンワールド 地球経済の管理者たち天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実

ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その2 [格闘技]


芦原英幸正伝

前回紹介した本ですが、芦原氏以外についても他にもいろいろと興味あることが書かれているので紹介します。

●柳川次郎との関連について
以前、このブログで柳川次郎と芦原氏に関連したことを書きました。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2010-04-25) ここで紹介した真樹先生の本では、柳川氏の名前を聞いただけで、震え上がる芦原氏が書かれていましたが、これもどうやら事実とは異なるようです。
柳川は本部時代から芦原に目を掛けていた。若い時代、関西の裏社会をたった一人で震撼させたという様々な伝説や武勇伝を有する人物だが、芦原の罪のない天衣無縫なやんちゃさに、柳川は若き日の自分を重ねていたのかもしれない。
「お前は私に似ているから・・・。だけど筋だけは外しちゃいけないよ」 そんな戒めの言葉を受けたと芦原は言った。(中略)この日まで少なくとも芦原と柳川は「大山先生より柳川先生が本当の師やった」と芦原が述懐するような関係にあったということだ。(下線は引用者が追加)
ここで書かれている柳川氏と芦原氏の関係を見ると、上記ブログで紹介した真樹先生の記述には違和感を感じます。この本に書かれているような関係であれば、柳川氏が気にいらないことがあれば、直接芦原氏を叱りつけることが自然だと思います。
実は、この真樹先生の「血と骨」という本ですが、以前から不審に思っていました。この本は短編集なのですが、空手や武道関連ではなく、普通の小説の中に「余生」という柳川氏と芦原氏のことを書いた短編が入っているのです。おそらく武道関係者は、誰も読まないような本です。ですので、読み直す度に違和感を感じ、「真樹先生は誰に向けてこの小説を書いているのだろう?」と常々思っていたのです。
この小島氏の「芦原英幸正伝」を読んで、この「余生」は真樹先生が「誰か」に、芦原氏を貶めるような文章を書いてくれと頼まれて仕方なく書いた短編ではないかと考えました。真樹先生としても気が進まないが、立場上断る訳にもいかないので、武道関係者が読まないような普通の小説の短編集に埋め込んだのではないでしょうか。(あくまでも私の推論です)

前回のブログで紹介した、支部長会議で芦原氏が大山館長に詰め寄った時に、柳川氏が芦原氏を諫めました。
「芦原、もうやめんか。如何なる場でも、如何なる時でも自分の師匠や親分に食ってかかるのは仁義に外れた行為や。師弟関係は親子も同然やないか。お前が今やっていることは、仁義に生きる世界なら万死に値する最低の行為なんや。場をわきまえんか」
一瞬我に返った芦原だが、もう止めることはできなかった。芦原は柳川に向かって「先生との縁もこれまでちゅうことですね。先生は館長の味方やもんね。ワシは今から先生のカタキになるちゅうことですわ。好きにしたらええ」と言い放つと、会場を後にした。

大山館長の右腕として、大山道場の時代から館長の元にいた黒崎健時氏のコメントです。
「弟子が師の悪口を言うのは許されないことで、私のように若い頃から仁義を重んじる世界にいた者にはよく分かっていることです。だがそんなことさえ綺麗ごとに思えるほど、私にとって大山は何一つ師らしいことをしていないんです。要は喧嘩ができない大法螺吹き。空手では私より強かったとしても、人間としてはあんなに外見と違って臆病な男はいませんね。右翼の世界、極道の世界、武道の世界など、『漢』を売りものにする世界では最低な人間です。」

●正道会館について
芦原氏が極真会を除名になった後、芦原氏の弟子だった石井和義氏が正道会館を立ち上げて、極真会館のコピー(パクリ)としか思えないスタイルで急激に勢力を伸ばしました。それに関して、雑誌「フルコンタクトカラテ」などの編集長だった山田英司氏が疑問を唱えます。
怖いよなぁ、あのケンカ十段を敵に回したクーデターだぜ。(中略) 大阪の梅田の近くでさ、ビルのなかだけどヘビーサンドバッグなんて十基も吊るしてあるし、だいぶ金がかかっているんじゃないかな。それに選手や指導員を引き抜くのに億単位の金が動いているとも聞いてるよ。だって、ついこの前できたと思ったらもう全国にたくさん支部があるんだぜ。(中略) そんな感じでカップヌードルのようにどんどん支部長作って芦原会館潰しに動いているってもっぱらの噂なんだ。

その後の正道会館の躍進は、みなさんご存じの通りだと思います。芦原氏を裏切り、極真会館とももろに対抗する組織でありながら、大きな妨害を受けることなく躍進した裏には大きな闇の力と巨額の金が動いていたというのが小島氏の見解です。

●芦原氏の病気に関して
芦原氏は、1988年に一番頼りにしていた愛弟子である二宮城光氏と決別します。そのことが芦原氏に与えたショックは大きかったようで、精神的にかなりのストレスが溜まっていたようです。また、その他にも会館の運営や子供の教育などストレスの原因は多かったようです。
1991年、芦原氏はALS(筋委縮性側索硬化症)を発病し1995年4月に死去します。この病気は、全身の筋肉が急激に衰えて行く病気で、原因は分かっておらず、現状では治療方法も対処療法しかないようです。自分の強さに絶対の自信を持っていた芦原氏の最後が、このような病気で終わるとは、何とも残酷な運命とした言いようがありません。一日一日落ちている自分の筋力を芦原氏はどのような気持ちで捉えていたのでしょうか?
本当に残酷なシナリオだと思います。

その他にも書ききれない内容が満載の一冊です。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達の偶像崩壊! 「添野義二 極真鎮魂歌: 大山倍達外伝」 小島一志著 を読む 
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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大山倍達の遺言大山倍達正伝芦原英幸伝 我が父、その魂拳王―復讐 Revenge (BL NOVELS)格闘家に告ぐ!実戦格闘技論ストーカー、痴漢、通り魔、強盗…女性がキケンから身を守る24の方法

ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1 [格闘技]


芦原英幸正伝
梶原一騎先生の「空手バカ一代」の後半の主人公として活躍した「ケンカ十段」芦原英幸氏に関する本です。

著者の小島氏は、早稲田大学の同好会で極真空手を学び、卒業後に福昌堂に入社し「月刊空手道」の編集記者となります。そして、極真会を除名されてマスコミから遠ざかっていた芦原氏や極真会館の大山倍達館長と深く交友し、特に大山館長とは最晩年まで交遊が続きました。著書に「大山倍達正伝」、「大山倍達の遺言」などがあります。

小島氏は、芦原英幸氏に関しては、2008年に「芦原英幸伝 わが父 その魂」を出しましたが、共著者である芦原氏の息子である英典氏と意見の相違が生じ、それに関してアンチ小島派から猛烈なバッシングを受けました。そのため、この本のAmazonの書評を見てもアンチ小島派の意見が多く出されています。

私は、昔から小島氏の本は好きだったので、アンチ派のバッシングを醒めた目で見ており、早く次の本が出ないかと心待ちにしていましたので、この本を本屋で見つけた時はすぐにレジに走って読み始めました。いろいろと批判はあるのでしょうが、小島氏の本には大山館長や芦原氏に関して、小島氏にしか書けない内容が詰め込まれており、私としては多くの人に読んで欲しいと思っています。

さて、「空手バカ一代」を読んでも分かるように、四国に行っていた当初、芦原氏は大山館長にとってかわいい愛弟子でした。同じく、大山館長の愛弟子であった真樹日佐夫先生の本から引用します。
「近いうち、面白い男に会わせられると思うよ」
と彼が言い出した。
「ほう、誰です」
「芦原といってね、愛媛支部長として派遣して二年になるか」
それが私が芦原英幸の名前を聞いた最初である。
「四国といえば、かの少林寺拳法の本場じゃないですか。支部活動も、さぞやりにくいことだろうな」
興味をおぼえて身を乗り出す私に、大山は微笑し、
「それが、どこ吹く風といった按配らしいんだ。細心な反面、底抜けに豪胆な男でねえ。なかなかの男前でもあるし、真樹さんとは気が合うと思うが」
と、いかにも愉しげな風情であった。(「極真カラテ二十七人の侍」より)

そのように良好な関係であった大山館長と芦原氏ですが、「空手バカ一代」の後半の主人公になったことで、その関係のもヒビが入ってしまいます。大山館長にしてみると、自分の半生記として始まった「空手バカ一代」の主人公がいつの間にか芦原氏になってしまった、しかも大人気、という何ともやり切れない気持ちになっていたようです。また、芦原氏と同じように、このマンガに登場した添野義二氏や山崎照朝氏らと出してもらえなかった極真関係者達の間で、嫉妬ややっかみによる感情的な縺れも生じたようです。
やはり、あの芦原への除名処分は行き着くところ、大山の嫉妬が全てだったと。同時に大山の嫉妬を誘発させた芦原の破天荒な言動の数々が、縦社会の枠をはみ出していたという事実も認めなければならないだろう。
具体的には、若い頃から芦原氏と親交のあった小倉正一郎氏のコメントを見ると分かります。
あの当時館長相手にため口をきいたのは芦原先輩しかいませんでしたよ。大山館長の悪口も、というより不満ですが、日常茶飯事で・・・。しかもわざと館長に聞こえるように言う。それが先輩なんです。

その結果、芦原氏は1980年9月8日に大山館長から永久除名処分を受けます。それに先立つ3月9日に京王プラザホテル42階で開催された緊急全国支部長会議の席上、芦原氏除名の緊急動議が出されます。(このために開かれた緊急全国支部長会議でした)

この時、芦原氏は大山館長に歩みより、
館長、ワシがこの窓割ると言っちょるんです。こんな腰抜け支部長は置いといて、館長が芦原を外に放り出してくださいよ。アンタ「牛殺しの大山」と言われちょるんでしょ。何頭もの牛を殺したんでしょ。熊も退治したって聞いてますけん、ワシみたいなヒヨッ子潰すなんて簡単やないですか。破門だ除名だ手回しのいいことせんでも、今ここで決着をつけてください。
と挑発したそうです。
そのような経緯で除名になった芦原氏ですので、大山館長は芦原氏については、
芦原は弱い奴しか相手にしなかったから、強豪が集結する全日本から逃げた

というようなことを公言していたそうです。しかし、実際には違ったようです。
芦原氏自身は出場する気でいたのですが、「25歳以上は審判」ということで、出場できなかったそうです。(大山館長が芦原氏を出したくなかったようです)

また、オランダ支部から巨漢の強豪カレン・バッチ(190cm、100Kg)が来た時、本部の指導員メンバーは総なめにされ、唯一対等に戦ったのが、藤平(リングネーム:大沢昇)氏だけだったと言います。当時指導員だった盧山初男氏もボロボロにされて、その後、一時極真会館を離れることになります。そのカレン・バッチに対して大山館長は、四国から芦原氏を呼んで戦わせて、空手の本家の威信を保ったのですが、
カレン・バッチに勝ったのは藤平だけ。芦原なんて逃げ回っていたよ
とコメントしていたそうです。

最後に、歴代の日本チャンピオンとの組手について、佐藤俊和氏(第8回大会優勝)のコメントを紹介します。
私の時もそうでしたし、盧(山)先輩(第5回大会優勝)も三浦先輩(第4回大会優勝)も芦原師範には散々な目に遭わされました。でも芦原師範には憎しみとか怒りとか、そういった感情がないんです。可愛い後輩に稽古をつける程度の気持ちしかない。だからやられたほうもあまり根に持たないんですね。(()内の補足は引用者が付加しました)

芦原英幸ファン、極真フリークには必読の書だと思います。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達の偶像崩壊! 「添野義二 極真鎮魂歌: 大山倍達外伝」 小島一志著 を読む 
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その2
・大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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大山倍達の遺言大山倍達正伝芦原英幸伝 我が父、その魂拳王―復讐 Revenge (BL NOVELS)格闘家に告ぐ!実戦格闘技論ストーカー、痴漢、通り魔、強盗…女性がキケンから身を守る24の方法

凄過ぎる山との戦い 垂直の記憶 山野井泰史著 を読む [クライミング]


垂直の記憶―岩と雪の7章垂直の記憶 (ヤマケイ文庫) ← Kindle版です。

世界的に有名なクライマーである山野井泰史氏の本です。
山野井氏は以前紹介した、平山ユージ氏などとともに、アメリカのヨセミテでフリークライミングを行っていましたが、その後、アルパイン・クライミング(山の頂上を目指す)の道に進みました。特に、20代後半からはヒマラヤの高峰にチャレンジしてきました。

この本は、その12年間に18回挑戦したヒマラヤ高峰へのチャレンジについて書かれたものです。
通常、ヒマラヤの8,000m級の登山ではチームを組んで行いますが、山野井氏の特徴は、フリークライミングで培ったクライミング技術を駆使して単独、あるいは奥さんの妙子さんとの2人で新ルートの開拓を行うことです。山野井氏も最初はグループで登っていたようですが、自分が登れると思っていても単独行動できないことに違和感を感じたようです。キャンプ中のテント内での場所取りの問題、食事や飲み物を回し飲みする場合の思惑など、極限状況の中では相当なストレスが溜まるようです。
しかも、山野井氏は8,000m級の山を登る時でも酸素ボンベを使用したことはないとのことです。

この本で、1992年10月のメラ・ピーク西壁への挑戦を諦めた時の記述で気になったのが、無線での妙子さんとの会話です。
「あと一時間で安全地帯に入れる。雪も降ってきて、ルートも分からなくなるが、多分、大丈夫だ」
「じゃあ私、途中まで迎えに行くから」
「ダメだよ。途中に冷たい川があるんだ。指を失ったばかりじゃないか」
「大丈夫。迎えにいくよ」
え? 指を失ったばかりって...
早速、ウィキペディアで調べてみると、
1991年10月7日、ベルニナ山岳会隊の石坂工と共に、ヒマラヤのマカルーに無酸素登頂に成功するも、下山中に嵐に巻き込まれたため、8100m地点で二日間の露営を余儀なくされる。石坂隊員が凍死。山野井は命は助かったが、重度の凍傷によって、手の指を第二関節から先の10本全てと、足の指8本の切断の重傷を負う。(ウィキペディア 山野井妙子)
手足の指を失っても翌年に山野井氏と一緒にヒマラヤに行っている。
山野井さんの奥さん、凄過ぎる!

そして、この本の最後に2002年10月のギャチュン・カン(7,952m)北壁への挑戦が書かれています。この時も奥さんと一緒に挑戦しています。山野井氏は登頂に成功しましたが、その帰りにマイナス40℃雪嵐の中で妙子さんと雪崩に巻き込まれてしまいます。何とか二人とも命は助かりましたが、7,200mの高度で酸素不足、栄養失調、疲労が重なり、二人ともほとんど視力が無くなった状態で何とか無事帰還しました。この時の描写は読んでいて息が苦しくなるような緊張感が伝わってきます。
二人は、下山の途中で岩にぶら下がってビバーグせざるを得なくなります。
凍傷になった手で、苦労しながら妙子は一人、作業をしつづけた。両足をぶら下げながらロープに座るころ、妙子も目が見えなくなった。
ものの数分で腰から下は完全にしびれ始め、そのうち感覚を失った。寝袋にも入れず、ヒマラヤの寒気は体を凍りつかせた。足の指を切るかもしれない。手の指も切るかもしれない。それでも明日には平らな氷河に戻れる。それだけが希望だった。

六日間の吹雪と寒さとの闘いの末、生還した二人ですが、その後凍傷のために泰史さんは手足の指10本を切断、妙子さんは両指10本をすべて付け根から失うことになりました。このような肉体的なダメージを受けた二人はどのような人生を歩んだのだろう...という思いが頭に浮かびましたが、お二人ともその後も、山を登り続けているようです。何と凄い夫婦だと思いました。


本当に山が好きなんですね。これだけ打ちこめるものがあるとは本当に素晴らしいと思います。
しかし、妙子さんのボルダリングには驚きました。指を失ってあれだけできるというのは凄いと思います。
あと、本当に仲の良い素晴らしい夫婦だと思いました。羨ましいです。(笑)

クライミングに興味がある人には是非読んで欲しい本です。

クライミングに関しては、こちらもどうぞ。
・ユージ ザ・クライマー―世界最強のクライマー平山ユージのライフストーリー
・K2の東壁に挑む 「孤高の人」 坂本眞一著 を読む

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白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻 (新潮文庫)ソロ  単独登攀者 山野井泰史 (ヤマケイ文庫)凍 (新潮文庫)白夜の大岩壁に挑む―クライマー山野井夫妻ソロ―単独登攀者・山野井泰史

ユージ ザ・クライマー―世界最強のクライマー平山ユージのライフストーリー [クライミング]


ユージ ザ・クライマー―世界最強のクライマー平山ユージのライフストーリー

日本が世界に誇るクライマーである、平山ユージさんの高校時代から2003年の米国ヨセミテの大岩壁エルニーニョへの挑戦までを追った本です。





一般の人は、クライミングに関してあまりなじみが無いと思いますので、まずはこの動画を見て下さい。クライミングと平山ユージさんのすごさが分かると思います。



平山ユージさんは、15歳でクライミング初めてから高校生の17歳からアメリカに渡り、さらに修行を重ねヨーロッパに渡って当時の最先端のクライミング技術を学びました。その頃からコンペ(試合)に参加して各国の強豪達と戦い好成績を収めてきました。

平山さんがやっているクライミングは、フリークライミングと言われているもので、安全確保用のロープなどは使いますが、登る時には何も使いません。(安全確保用のロープさえも使わない人たちもいますが、これはちょっと別世界の話でしょう)

最近、日本でも加速度的にジムが増えているボルダリングは、そのフリークライミングの一種です。最初の頃は、ボルダリングは実際の山のクライミングの訓練用という捉え方だったようですが、最近は一つの独立したジャンルになっています。

私はボルダリングを初めて2年になりますが、まだまだ初心者なので偉そうなことは何も言えませんが、平山さんのヨセミテのエルキャピタンの動画を見て、信じられないと言うのが正直な感想です。ご存じのようにボルダリングは、ロープを使わずに3~4m程度の高さまでの課題を登りますが、それでも一番上で落ちそうになると怖いし(笑)、前腕はすぐにパンパンにパンプアップしてしまいます。どうやったら、3時間近くもあのような難課題をスピートを落とさずに登り続けられるのか全く分かりません。本当に別世界の人としか思えません。(^^)

この本は、平山さんが高校生の時代から、米国、ヨーロッパに渡り世界のトップクライマーになるまでを追っているのですが、いろいろな人たちとの出会いやかかわりを書いています。そして、順調にトップクライマーとなった平山さんがスランプに陥った状況やその克服までも丹念に書かれており、全然次元は違いますが、とても参考になりました。

フリークライミングに興味がある方にはお勧めの一冊です。

クライミングに関しては、こちらもどうぞ。
・K2の東壁に挑む 「孤高の人」 坂本眞一著 を読む
・凄過ぎる山との戦い 垂直の記憶 山野井泰史著 を読む
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平山ユージ DVDでクライミングフリーダム―平山ユージの世界DVD>平山ユージの世界Live in Japan―日本の岩場を登る (<DVD>) (<DVD>)ROCK & SNOW 2012秋号 No.57 (別冊山と溪谷)クライミングjoy No.3 (別冊山と溪谷)

専門家の言うことを鵜呑みにするな! 専門家はウソをつく 勝間和代著 を読む [ビジネス]


専門家はウソをつく (小学館新書)専門家はウソをつく(小学館新書)


← 新書版とKindle版です。

最近はKindle本が多かった勝間和代さんの最新刊です。


この本のテーマは、「「専門家」を疑おう」ということです。
いろいろな事柄に関して、
専門家とはいえ、間違うことはある。
相手の言っていることの信頼性はどのくらいだろう
というクリティカルシンキングが重要だということです。要は、専門家と言えども、常に正しいことを言っているわけではないということですね。勝間さんは、何人かのコーチにゴルフのレッスンを受けていろいろと考えることがあったようですが、私も同じような経験をしたことがあります。

私はビヨン・ボルグ(ウィンブルドン5連覇)に憧れて1983年からテニスをやり始めました。(ウィークエンドプレーヤーですが) その当時は、ボルグの影響でトップスピンショットとバックハンドの両手打ちが流行っていましたので、私もそのプレースタイルを目指していました。しかし、どうやって打てば良いのかを教えてくれる本もスクールもほとんどありませんでした。(Webなど無い時代ですから...) なぜかと言うと、テニスのコーチ達が現役だった頃は、フラットショットとバックハンドは片手打ちのスライスショットが主流だったので、彼ら自身がトップスピンも両手打ちもやったことがないからです。そんなコーチ達が正しいショットの打ち方を教えられるわけがありません。
つまり、専門のコーチでも、よほど勉強家でなければ、自分がやったことが無いことは教えられないということだと思います。恐らく、現在の野球のコーチでもイチローの打法を教えられる人は数少ないと思います。

ということは、過去の自分の勉強や経験が生かせない分野は、専門家と言えども必死に勉強しなければ、正しいことを言えないということになります。つまり、勝間さんの指摘するように、経済や医療などリアルタイムで状況が変化するような分野は特にそのような傾向が強くなると思います。
バブル崩壊後のゼロ金利政策、デフレスパイラル、超円高などなど、日本の経済学者たちが過去に経験したことのない日本の経済状況に関して、どれだけ正しい指針やアドバイスをすることができるのでしょうか?
まずは、眉にツバを付けて話を聞くというのが正しい姿勢ということになります。

勝間さんのコメントを良く噛みしめて読みましょう。
しかし、そういった専門知識がメディアを通したり、書籍になった瞬間に
「真実」のように語られ、そして、それを信じてしまう人が多すぎること
すべての専門家が信用できるわけではないし、
また、信用できる専門家でもすべての発言が信用できるわけではない。
これも重要ですね。私たちはある分野で信用できる人の発言は、その他の分野の事に関しても信用してしまう傾向がありますよね。これも注意が必要です。

勝間さんが習ったゴルフのコーチの言葉です。うんちくのある言葉だと思います。
「登山を志して、高尾山に100回登る訓練をしても、
エベレストに登ることはできない」
テニスで言うと、「毎週草トーナメントに出場しても、ウィンブルドンで優勝することはできない」ということでしょうね。求められるスキルとレベルがまったく違うということだと思います。

勝間さんが考える「信頼性の高い専門家を見抜くための9か条は、
第1条 詳しくない分野は、複数の詳しい人、およびネットに必ず当ること
第2条 専門家の実績を「経歴」だけでなく「エビデンス」「信頼できる他者評価」で把握すること
第3条 専門家のアドバイスの裏をとる癖をつけること
第4条 過剰な自信を持っている「専門家」は警戒すること
第5条 自分の専門分野から、言われていることを類推する癖をつけること
第6条 PDCAサイクルをしっかり回している相手であり、過度に「根性論」「鍛練論」に終始しないか、気をつけること
第7条 相手の専門性に「市場性」があるかどうかを確かめること
第8条 どんな専門分野でも、少なくとも3人の専門家にアプローチせよ
第9条 誰を信じるかは、最後は自己責任、それが失敗しても、学びとすること

この中で一番共感したのが、第4条です。私の好きな美術品の世界は、故意に造った贋作も含めて真贋入り乱れた非常にアヤシイ世界で、ほとんど科学的な判断が難しい分野だと思います。(絵具や陶磁器の分析はできても、本人が亡くなってからその作品を作家本人が作ったことを証明することは、まずできません)
それにもかかわらず、「乾山がこんな作品を作るわけがない」とか「こんな画を佐伯祐三が描くわけがない」などと妙に自信をもって断定する人たちが多くいます。こんな発言を見ると「あんた、本人に会ったことあるのか?」とつっこみを入れたくなります。一番身近にいる妻や子供たちでさえ、自分の知らないことがあるのに、会ったことのない作家に関して確信を持てる客観的な証拠などあるはずがない、と私は考えます。
(実際には、ここまではある程度確からしいので真作としましょうという業界の合意に基づいて真贋の判断は決めていますが、それと本当の真贋はイコールではないという意味です)

とにかく、「専門家を疑え」というスタンスには大いに共感します。
多くの人に読んで欲しい一冊です。

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「有名人になる」ということ (ディスカヴァー携書)勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド (ディスカヴァー携書 022)勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ビジネス思考法の基本と実践無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法やせる! (光文社新書)決算書の暗号を解け! ダメ株を見破る投資のルールまじめの罠 (光文社新書)断る力 (文春新書)

ニコラス・ペタスの「SAMURAI SPIRIT」 最強の武道とは何か ニコラス・ペタス著 を読む [格闘技]


最強の武道とは何か (講談社プラスアルファ新書)



「大山倍達の最後の内弟子」と言われたデンマーク出身のニコラス・ペタスがNHKの「SAMURAI SPIRIT」に出演し、極真空手やK-1での格闘技経験を生かして、さまざまな武道を体験したことに関して書いた本です。


その体験した武道は、以下の6つです。
①空手(沖縄空手)
②柔道
③相撲
④合気道
⑤剣道
⑥弓道

この中で、私にとって一番興味深かったのが、④の合気道です。
というのは、大学で極真空手を学んでいた私には同じ大学で演武を行っていた合気道(大東流)が、格闘技としてどう見ても強そうに思えなかったからです。しかし、極真会館の二代目館長である松井章圭氏が大東流佐川先生の奥義を受け継いだと言われている木村達雄氏の道場に入門して、いとも簡単に吹き飛ばされたという話を松井氏の自伝で読み、大変興味を持っていました。そして、今ではYouTubeなどで見られる養神館の塩田剛三氏や六方会の岡本正剛氏などの神技を見ると、その素晴らしさに本当に魅入ってしまいます。

そのペタスの合気道体験は、動画でみることができます。


この動画では、合気道養神館の塩田館長の演武の画像を見てペタスが鼻で笑って、「Come on!」、「No way!」と言っていますが、どうも番組の演出だったようです。ペタスがデンマークで空手を学んでいた時の憧れの三人の武道家がいました。それが、極真会館の大山倍達館長、沖縄空手の船越義珍先生、そして合気道の植芝盛平先生だったそうです。番組を見る時は、演出があることを認識して見なければなりませんね。
それにしても、ペタスが合気道の師範に良いようにあしらわれているのを見ると、合気道の奥深さが分かりますね。

そして、空手の章では、同じ極真会館で全日本大会を実に五回優勝した極真の顔である数見肇氏が紹介されています。現在は極真を離れて自分の道場を開き、沖縄空手を学び、そこで行きついたのが「型」であると言っています。これも意味深ですね。
「空手は型だと思います。空手の技は型からくるものですから」
「試合はある意味で非日常です。でも、一番いいのは日常のなかで空手が活かされること」

数見氏は、沖縄空手の宇城憲治氏に教えを受けているそうですね。

それ以外にもペタスが、体当たりでそれぞれの武道で投げられ、吹っ飛ばされて、その凄さを実感したことを率直に書いています。ペタスという、極真、K-1で実績のある格闘家が体験するから、その武道の凄みがよりリアリティーを持って伝わってくるのだと思います。

「格闘技やスポーツと武道は違う!」ということを改めて考えさせられる本です。
武道・格闘技ファンには、必読の書だと思います。

極真空手関連は、こちらもどうぞ。
・大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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一撃の拳松井章圭極真 新たなる歩み空手 (Jスポーツシリーズ)DVD>第17回全日本空手道選手権大会 激戦43番 (<DVD>)
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梶原一騎先生の遺作 「男の星座」 梶原一騎原作 を読む [格闘技]

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男の星座 全9巻 完結セット (ゴラクコミックス) [コミックセット]← Amazonはこちら


昭和のマンガ界のドンであった梶原一騎先生の遺作となった本です。
このマンガは連載当初、「空手バカ一代」などのマンガでは書けなかった事実を描くとか、これまでの女性関係を明らかにする、などのアオリ文句が書かれていました。当時、梶原先生と噂のあった女性達は、内心ビクビクしていたそうです。(^^)

梶原先生は、「巨人の星」や「明日のジョー」、「愛と誠」などで、私たち昭和世代のものたちを夢中にさせてくれました。その後、「空手バカ一代」で、当時ほとんど無名だった大山倍達館長を主人公とした一代記を世に問います。同時期に、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」が大ヒットし、この当時、学校で空手やカンフーのマネをして遊ばなかった中学生、高校生はいなかったのではないか、というほどのブームとなりました。この「空手バカ一代」のブームで、当時は異端視されていた極真空手=フルコンタクト空手(実際に突きや蹴りを相手に当てる)が人気となり、今では空手界の主流となりつつあります。

その後、梶原先生は、少年マガジンに連載した「四角いジャングル」でマーシャルアーツのべニー・ユキーデやアントニオ猪木などを登場させ、マンガで実際の格闘技の宣伝や解説をするという、これまで無かった「メディアミックス」を実現させました。これは、例えば「四角いジャングル」でアントニオ猪木が闘う試合に関して、対戦相手の紹介や裏話を解説して盛り上げるというもので、極真会館の真樹日佐夫先生や故芦原英幸氏を登場させて、二人の会話で読者に説明をするという、今考えるとトンデモナイものです。(^^)
当時は真剣になって読んでいましたが、振り返って見ると、いかにもイカガワシイ話であふれていました。梶原先生の作品は、いくつかの実際にあった話にフィクションで大盛りして膨らませるという手法を取っています。そして、その決め文句が、「もしこの話を疑うのであれば、●●を確認してみればよい」と断言します。この●●は本当にあった話ですので、ナルホドといって騙されてしまうのでした。(笑)

さて、本題の遺作である「男の星座」ですが、これまでに書けなかった事実を書くと言いつつ、実際にはこれまでの梶原先生の作品と同様にかなりのフィクションが含まれているように思えます。しかし、私はそれを否定しているわけではありません。事実を淡々と書いただけでは、盛り上がりのない読んでいて面白くない作品にしかならないと思います。そんな昭和の純文学のような作品を梶原先生の読者も望んではいなかったと思います。(少なくとも私は...)
思えば4分の1世紀 ― 25年の余にわたり梶原一騎は劇画の原作を書いてきた。
そして、このたび「引退」を決意した。理由は今更クドクド言わぬ。思うところあって、と日本語には奥行き深い表現があるではないか。あえて一言だけ残すなら、あの百恵チャンや都はるみだって退き際を知っていた、いわんや男一匹・・・。
とにかく、これが劇画原作者・梶原一騎として最後の作品になる。題して ― 一騎人生劇場・男の星座。さよう、完全なる自伝である。(中略)
従って力道山が出てくる、大山倍達が登場する、A・猪木もG・馬場も2人のタイガーマスクに至るまで。(中略)
いろいろ世間で噂してくれた女優タレント達のことだって赤裸々に描くつもりだ。友よ、愛する読者諸兄よ、梶原一騎とのゴージャスなる「最後の晩餐」に堪能せよ!

このような、梶原先生の言葉で始まる本作ですが、まず主人公が「梶一太」である、という時点で、これはフィクションだと思わざるをえません。本当にノンフィクションを書くのであれば、本名である「高森朝樹」を使うはずですが...、それとも昭和の私小説のスタイルをまねたものなのでしょうか ・・・。

本篇は、昭和29年12月22日の東京蔵前国技館の力道山VS木村政彦の”プロレス巌流島の決闘”から始まります。ご存じのように力道山の裏切りによって木村が敗北した試合の後、力道山に喧嘩を売った大山倍達が登場します。この辺はおなじみのシーンですね。前半は、この力道山と大山倍達との交流を中心に描かれています。みなさんすでにご存じのように、この二人とも朝鮮半島から渡って来たという過去を持ちます。しかし、この「男の星座」では、力道山の過去は明らかにしていますが、大山倍達の過去に関しては描かれていません。この辺りは、まだ大山氏に対する遠慮があったのかも知れませんね。

この本には、浅草の星八神カオルとの同棲やオカマのジャニーさん、そして、大山倍達の一番弟子の春山章が、そのジャニーさんが亡くなった時に遺体を抱えて「あ~ら えっさっさ !!」 と病院を踊り回る逸話が描かれています。いったいどこまでが本当なんだろう? と考えつつ読まざるを得ない作品です。この辺りが、この本を読む醍醐味かも知れません。(^^)

そして、この本の根底には、事情による高校中退という学歴や優秀な編集者であった父親高森龍夫に対する強烈なコンプレックスがあり、それをバネに力道山という「太陽」と大山倍達という「月」と関わりながら、絶対に成り上がってやるという強烈なエネルギーがみなぎっています。

この本は、梶原先生の死去により、講談社の牧野編集長が訪れて、連載を依頼するという場面で未完のまま終了となっています。つまり、有名な「巨人の星」や「あしたのジョー」などの大ヒット作品が生れる前、いわば夜明け前で終わっているのです。ファンとしては、本当に残念なことです。
お笑いの浅草キッドの水道橋博士も熱烈な梶原一騎ファンで有名で、「お笑い男の星座」という本も出していますが、私と同様に未完で終わったこの作品を非常に残念だと言っています。
梶原漫画の一群が、俺たちの情操教育に、どれほど影響をしたかは計り知れない。そして、梶原一騎の人生ほど、波乱に富み、激烈で、昭和の匂いが漂うものはない。これは誰かが語り継ぐべきものである。
そして、博士はこの未完の遺作を真樹先生に書いて欲しい、と事あるごとにお願いしてようやくOKが出たということを読みましたが、その書くべき真樹先生も逝かれてしまいました。本当に残念です。

昭和の時代を生きたおじさん達には必読の書です!

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達の偶像崩壊! 「添野義二 極真鎮魂歌: 大山倍達外伝」 小島一志著 を読む 
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・大山倍達と力道山の伝説 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その2
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

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「と学会」の本としてどうなの? トンデモ ニセ天皇の世界 と学会 原田実著 [歴史の真実・陰謀論]


トンデモニセ天皇の世界



久しぶりの「と学会」の本です。(^^)
内容は、古代から現代までの天皇に関する事件や伝説を取り上げて、「と学会」的に解釈するという内容で、非常に読みやすく、「へ~ぇ!」と思う内容が満載です。

ところが、第二章がいけません。第二章の最初に落合先生の書かれた本についての記載があります。

伝説
孝明天皇は暗殺されず、明治天皇と協力して公武合体・大政奉還を根回しした?
真相
根拠となる吉薗周造の手記の実在が疑わしいので、落合氏の説はホラ話の域を出ない?

南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史)明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」 (落合秘史)いろいろなジャンルの事柄に関して、緻密でこれでもか、というほど瑣末な事柄に鋭い突っ込みを入れてくる「と学会」の本として、重要人物である吉薗周蔵を吉薗「周造」と間違えている時点で「こりゃダメだ!」と判断せざるを得ません。何度でも書きますが、これは「と学会」の本としては致命的なミスです。私はこの章を何度も読み直しましたが、この「周造」が出てくる度に反論する気力も萎えてきます。(笑)
「吉薗コレクション」所蔵者は中島氏を名誉棄損で東京地裁に告訴したが、その法廷で明らかになったのは、「吉薗コレクション」の顔料が他の佐伯作品と明瞭に異なること、佐伯の時代には流通していなかったはずの顔料が使われていることなど贋作説を裏付ける事実ばかりだった。結局、2002年7月30日、東京地裁では提出された「吉薗コレクション」の作品を贋作と認め、名誉棄損の訴えを退けた。
普通の人は、裁判で出された判断は正しいと思っている人が多いと思います。恥かしながら、以前は私もそう思っていました。しかし、仕事で裁判にかかわるようになってからは、その考えが180度変わりました。裁判に関しては、このブログでも何回か書きましたのでそちらをご覧ください。(http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300717393-1
と学会なんですから裁判に関しても一般人と同じ目線ではなく、もう一歩踏み込んで欲しいものです。

まず、そもそも論として、裁判で美術品の真贋が分かるのでしょうか? もし本当に真贋が分かるのであれば、真贋論争はすべて裁判で判断すべきだと思いますが、誰もそんなこと考えないと思います。なぜなら裁判官は法律に即して判断することしかできないからです。

今回の「吉薗コレクション」の裁判において、佐伯作品であるか否かの判断をするのに、真作派、贋作派の両巨頭である落合先生と朝日晃氏がそれぞれ証人に出て、議論を戦わせたのであればまだしも、利害関係のあるものは証人から外されたとのことで、実際に美術界から出された証人は、青木某という佐伯祐三関係では聞いたこともない人物でした。少なくとも、美術品の判断をする人物は、その人が「真作です」、「贋作です」と判断した時に業界でその判断が通る人でなければならないはずです。今回証人として出された青木某の鑑定書で、何億円という佐伯絵画の売買が成り立つのでしょうか?

また、贋作の証拠として出されている顔料に関しても、贋作側からの資料が出されただけで、その結果だけが一人歩きしていますが、内容は公開されていません。顔料の分析は、最新鋭の機器を使って分析すれば、「科学分析」と言えるわけではありません。そのデータが公開されて追実験で客観的に確認されることが必要だと思います。ですので、今回のデータに関して、私個人としては、大いに疑問を持っています。(悪意は無くともミスが生じる可能性は常にあります)
このような核心の内容には突っ込まず、「裁判で贋作と判断されて敗訴した」という結果だけしか見ていない記述には、疑問を感じます。

また、この項の後ろに参考文献が掲載されているのですが、それを見ただけで頭の中に「?」が浮かんできます。佐伯祐三に関する本で朝日晃氏の本が出てこないのはビックリですが、匠秀夫編・著 『未完 佐伯祐三の「巴里日記」 吉薗周蔵宛書簡』が無いのは致命的ですね。
匠氏の本には、佐伯祐三に関する朝日晃氏のパッションによって描かれている佐伯像に関する疑問点が書かれています。
「佐伯はブラマンクの「このアカデミック!」という怒りが理解できたのか?」
「佐伯は資金援助が不要だったのか?」
周造の手記なるものによると、周造は大陸での工作のために麻薬売買に関わり、巨額の資金を得ていた。そしてその資金の一部で佐伯のパリでの生活を支えていたというのである(実際には佐伯の実家は裕福で、その実家には佐伯から生活費を送るように頼まれた書簡が残っており、吉薗なる人物に資金援助を求める理由はなかった)
この「佐伯の実家は裕福で」とさらりと書いている点も「と学会」的にどうなのよ? と感じます。佐伯と同時期にパリで放蕩を尽くした薩摩次郎八も大富豪として有名でしたが、結局、日本に帰って来た時は、資金が尽きていました。いくら裕福な実家であったとしても、裕福な家庭は金銭の出入りが激しいと言われています。その点を何も突っ込まずに、通説をそのまま受け入れる姿勢には疑問を持ちます。

たとえば、第二次渡仏の時は、佐伯は自分の絵を売って当時の金で6,000円調達したことになっていますが、はたしてこれで足りたのでしょうか?
「当時の官費留学生の支給額は一カ月三百八十円、一般的には三百円あれば生活できるといわれた時代である。」(佐伯祐三のパリ 朝日晃)
ただし、これはあくまでも一人でつつましく暮らした場合であり、佐伯のように妻、子の三人家族での渡仏は倍以上の出費があったと思われますし、評伝によると毎日のように金のない留学生達が米子の日本食を目当てに食事に来ていたそうですから、さらに出費が重なったことは想像できます。少なめに見積もっても妻と子の分を入れて(300円×2.5人=750円/月)はかかることになります。これでは、渡航費を入れなくても、8カ月分しかもたない計算になります。

しかも、佐伯にはとんでもない浪費癖があります。
① 実家からの仕送りが120円の美校時代、三越で開かれていた物産展で130円の花瓶を衝動買いする。(山田新一著 「素顔の佐伯祐三」)
② 第二次渡仏時、実家から送金された250円全額で皮の手作りの人形を買う。(佐伯千代子 アサヒグラフ別冊)
これを読むと、佐伯は欲しいものがあると手元にある金を全部使ってでも買ってしまう性癖があったようです。このように計画性がなく浪費家であれば、いくらお金を送っても足りなかったであろうことは容易に想像できます。
また、上記、②から佐伯の実家から送金があったことは分かりますが、特に急な督促のような書き方ではないので、250円/月の送金であったと思われます。当然、この額では一人分にも足りません。
佐伯は第二次渡仏の時に1年で客死しますが、この250円/月の送金1年分(3,000円)と調達した6,000円を足すと、奇しくも生活費分の9,000円となります。(750円/月×12カ月)
そして、これはあくまでも渡航費や佐伯の衝動的な浪費分(これが大きい)、晩年の治療費や入院費(保険がないので、これも高そう)などは含まれていません。
このことだけでも、「実家からの仕送りで資金は足りていた」と言う通説には、大いに疑問を感じます。パリで絵を売っていたのでは? との意見もあるでしょうが、当時のパリには、日本人を含めて世界各国から、たくさんの芸術家が住んでいました。その中で、日本から来た無名の画家の絵が、定期的に売れたでしょうか? 可能性はかなり低いと思います。 (何点か売れたかも知れないことは否定しませんが、生活の糧にするにはあまりにも不安定です)

まあ、いろいろと試算してみましたが、そもそも佐伯の家が裕福であったのであれば何故、二回目の渡仏前に自分の絵を売って渡航資金を稼ぐ必要があったのでしょうか? また何故、船ではなく安いシベリア鉄道を使ったのでしょうか?
普通に考えれば、家のお金が足りなかったので仕方なくというのが理由だとしか思えません。この辺りの突っ込みが無いのも気になりますね。

「と学会」の本であれば、通説からさらに一歩踏み込んだ鋭い突っ込みが欲しい所です。
2章の記載を見ると、他の部分に関してもどこまで信用してよいのか疑問が持たざるを得ないのが残念です。

【落合先生の本に関してはこちらもどうぞ】
・「欧州王家となった南朝皇統」 落合莞爾著 を読む
・「明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌」 落合莞爾、斎藤充功著を読む
・孝明天皇、大室天皇の真実! 明治維新の極秘計画 ――落合秘史Ⅰ 落合莞爾著 を読む
・ユダヤとは何か? 落合先生の最新刊、 金融ワンワールド 落合莞爾著を読む
・甘粕正彦もユダヤ? 上原勇作の特務、吉薗周蔵の手記にみるユダヤ 落合莞爾著
・乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁図経』の研究 落合莞爾著 を読む
・マスコミの報道は疑ってかかれ! 「ドキュメント真贋」 落合莞爾著 を読む

未完 佐伯祐三の「巴里日記」 吉薗周蔵宛書簡 匠秀夫編・著 はこちら。
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大山倍達の実像は? 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 を読む [格闘技]


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか← 単行本とKndle版です。

前回紹介した本ですが、700ページもある本なので、いろいろと興味深いことが書いてありますので紹介したいと思います。

①大山倍達について
まず、木村政彦の弟分であった極真会館の大山倍達館長にに関してです。この本では、「大山倍達の虚実」という一章を割いて大山館長に関して書いています。
たしかに大山伝説には多くのフィクションがある。しかし、木村と力道山双方と濃密な関係を持ち、あの二人の一戦では木村側についていたことは間違いなく事実だからだ。
プロ総合格闘技興行が地上波に乗り、さらにネット社会になって格闘技全体の情報化が進み、いまや大山倍達を擁護すると「『空手バカ一代』幻想から脱却できない時代遅れの人間だ」と誹謗されるような状況だが、私は大山や極真空手の流れについて充分理解したうえで話をしていることを理解して頂きたい。
大山館長が韓国人であることは、話し方のイントネーションを聞くと「もしかして?」と感じる人が多いと思いますが、本で明確に書かれたのは、館長の一番弟子であった中村忠氏の著書である「人間空手」だと思います。この本を読んだ時は、大山館長の本はほとんど読んでおり、私淑状態だったので、結構ショックを受けました。まあ、当時は韓国人に対する差別がひどかったでしょうから、それを隠すのはしょうがないと思いますが...。

しかし、館長の本には必ず出ている、子どもの頃に満州で ” 借力 ” (ちゃくりき:拳法の一種)を学び、その後、空手の道に入ったというのがフィクション(嘘)だったことは大ショックでした。この本によると、館長は18歳の時に日本に渡って来ましたが、それまでに学んでいた格闘技は3年間学んだボクシングだけだったそうです。

日本に渡ってからは、京都義方会の曺寧柱に剛柔流空手を学びますが、3ケ月程度だったようです。その後、山梨航空技術学校で学びますが、その時もグローブを持ってボクシングのトレーニングを行っていたそうです。卒業後、上京して松濤館で船越義珍に1年程度空手を学んだそうですが、その後、戦争に徴用されたので空手を本格的に学んだのはその時だけのようです。

一方、木村政彦は戦前の拓大時代に松濤館と剛柔流の空手を柔道と並行して修業していました。それは義方会の東京支部の空手部門の師範代をつとめるほどの本格的なものだったそうです。そう考えると、この時点では、明らかに大山館長よりも木村政彦の方が空手も強かったと思われます。そういう意味で「打撃」、「投げ」、「寝技」のすべての技術を備えていた木村政彦は正に「史上最強の格闘家」であったと言えるのではないでしょうか。

しかし、だからと言って大山館長が弱かったと言っているわけではありません。大山館長は、その後、ボディービルダーの草分けであった若木竹丸氏に師事してウエイトトレーニングを行い、強靭な肉体を作り、山に籠って自己流の空手のトレーニングを行っていたようです。そして、木村政彦は、大山館長が興行で実際に柔道家とすもう取りの二人と闘い、わずか2発の蹴りで倒すのを見ているそうです。

この本を読んで、私は遠藤幸吉の「あのねえ増田さん、大山が本当に好きだったのは牛島先生なんだよ」というコメントが気になりました。
「大山はね、たしかに木村さんのことを尊敬していた。だからいつもそばにいたがったし、後をついてまわっていました。木村さんのことを尊敬していたことは間違いない。だけどね、大山が本当に好きなのは牛島先生のことなんです」
「それはどういうことですか?」
「大山は牛島先生の極右思想に惹かれていたんです」

木村政彦の師である牛島辰熊は、柔道家として頂点を極めましたが、思想家としての顔がありました。それは、陸軍で軍事の天才と言われた石原莞爾の思想に傾倒し、後に東條英樹暗殺計画まで図るほどでした。当時の戦況は、日本の敗戦は濃厚であるにもかかわらず、東條は国民を騙して戦争を継続しようとしていました。そして、牛島は暗殺の実行犯として、自分の育てた「最強の格闘マシーン」である、木村政彦を使おうとしました。しかし、当の木村政彦は自分が強くなること以外には全く興味がなかったそうで、師の思い通りには動きませんでした。
牛島辰熊には思想があった。
加納治五郎にも大山倍達にも思想があった。
しかし、何度も言うが、木村政彦にはそれがなかった。

②柔術から柔道へ
まず、木村政彦が活躍した戦前は、柔道といっても現在のように講道館だけでなく、「講道館」、「武徳会」、「高専柔道」の三つの流派がしのぎを削っていました。明治十五年に加納治五郎が講道館という新興柔術流派を作りましたが、最初は町道場の一つにすぎませんでした。それが、富田常雄の小説「姿三四郎」によって、一挙に有名になり、現在の世界の講道館になっていったのです。これは、池袋の少し大きな町道場であった極真会館が梶原一騎先生の「空手バカ一代」で世界の極真カラテになったのと似ていますね。

それらの大本は古流の柔術なのですが、講道館柔道は当て身を禁止とし、当初は寝技がなく立ち技を中心とした技の体系を作りあげました。それに対して武徳会は半官半民の全国的な組織で、立ち技と寝技を両方取り入れていました。そして、もう一つの勢力がいわゆる「高専柔道」です。高専と言っても、現在の高専ではなく、戦前の旧制高校と旧専門学校による高専大会の柔道のことです。そしてこの「高専柔道」は、寝技が中心の柔道で、木村政彦をして「柔道の最盛期は高専柔道にはじまり高専柔道の消滅とともに終わった」言わしめたほどでした。

③阿部謙四郎と合気道
師匠の牛島辰熊に毎日のようにしごかれていた拓大予科時代の木村政彦は、どんな大会でも無敵でした。しかし、唯一、予科二年生の時に出場した全国の若手五段から強い選手を選んで行われた「済寧館武道大会」で大きな敗北を味わいました。
その相手は、武専助教の阿部謙四郎という選手です。
彼と組み合ってまず驚かされたのは、ふんわりとしか感じられない組み手の力と柔軟さだった。(中略) 文字通り掴みどころのない感触で、どんな技でも簡単に吹っ飛びそうな気さえした。
これはたやすい、私は思い切って得意の大内刈り、大外刈りを放った。次いで一本背負い。しかしどうだろう。まるで真綿に技をかけたようにフワリと受けられ、全然効き目がない。(中略) これではまるで一人相撲ではないか・・・。(中略) 相手の技に対して戦々恐々、防戦一方で試合は終わった。結果はもちろん、私の判定負けである。
木村政彦を翻弄した阿部謙四郎の柔道の秘密は、なんと、柔道と並行して植芝盛平に合気道を学んでいたことだったのです。これには驚きました。しかし、阿部が合気道を学んでいた件は、木村政彦は知らなかったようです。木村はこの阿部に完膚無きまでに敗れたことで奮起し、更なる研鑽を重ね、本当の無敵の王者への道をたどることになります。つまり、無敵の木村を生んだのは合気道であったとも言えるわけです。
そして、実は合気道の植芝盛平と木村政彦が立ち会う可能性があったそうですが、木村の親友であり、植芝の弟子であった塩田剛三の機転で、実現しなかったそうです。格闘技ファンとしては、是非とも実現して欲しかったですね。残念です。(^^)

④ウエイトトレーニングについて
木村政彦、大山館長は、若木竹丸に当時は一般的でなかったウエイトトレーニングを行い、鋼のような肉体を作り上げています。しかもその内容が尋常ではありません。
・100数十Kg、200Kgを超える重量で数百回、数千回という単位で延々とベンチプレスを行う。
・寝る前には腕立て伏せ1,000回を日課としていた。
⇒ その結果、ベンチプレス250Kg、ストレートアームプルオーバー90Kg、握力は200Kgを超えていたと言われています。
現在の理論で言えば、毎日ウエイトトレーニングをやるのは逆効果、1日筋トレをやったら2日は休息が必要と言われていますが、上記のような、どう考えてもオーバーワークの木村のトレーニングでどうして鋼のような肉体ができたのでしょうか? もしかすると、現在の筋トレの理論が何か間違っているのではないか、と疑問を感じてしまいますね。

以上のように、これはいろいろな観点で楽しめる本です。
是非、一読をお勧めします。

大山倍達については、以下もご覧ください。
・大山倍達の偶像崩壊! 「添野義二 極真鎮魂歌: 大山倍達外伝」 小島一志著 を読む 
・大山倍達と民族運動 「大山倍達正伝」 小島一志、塚本佳子著 を読む その1
・ケンカ十段! 芦原英幸正伝 小島一志著 を読む その1
・極真会館はなぜ分裂したのか? 大山倍達の遺言 小島一志、塚本佳子著 を読む
・笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝
・日本の空手界を変えた名著! 「空手バカ一代」を読みなおす 
・ケンカ道 その”究極の秘技”を探る 篠原勝之著
・空手超バカ一代  石井和義著

【お知らせ】
8/16(金)夜7時から日本テレビの「笑神様は突然に…」という番組で、仙台大観音が紹介されるそうです。そして、このブログで使用した写真を使用するとのメールを頂きました。どの程度使用されるのか分かりませんが、みなさんもお時間があれば、ぜひご覧になって下さい。
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Gスピリッツ Vol.24 (タツミムック)七帝柔道記力道山の真実 (祥伝社文庫)GONG(ゴング)格闘技2011年7月号大山倍達正伝ヘーシンクを育てた男


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